「体罰」って,言葉,概念って,存在価値ある???

※この記事は,「バレーボール1 Advent Calendar 2019」という企画で書きました.
https://adventar.org/calendars/4617


「体罰」を容認する人たちは,「子供の成長に体罰は必要」,「成長するためには,時には厳しさも必要」と考えているだけで,「子供を危険にさらしたい」と考えてる人は皆無だと思われます.もし,「子供を危険にさらしたい」と考える人がいたとすれば,その人,そもそも,人として終わってます(^^;;) 私自身も,人が成長するためには適切な「負荷」が必要であると考えてますし,時には厳しさも必要であると考えています.でも,それは「体罰」なのでしょうか???

無菌室で成長した生物は,外界に出ると,即,死にます.過保護,無負荷で,適切な負荷(ストレス)を経験せずに成長した人間は,外界に出ると,生存確率は著しく低くなると考えられます.筋肉も少し負荷をかけて(少し壊して),超回復することで成長すると考えられています.精神的にも,肉体的にも「適切な負荷をかけたトレーニング(適切な負荷を経験すること)」は,人が成長するのに不可欠なものだと考えられます.では,どのような負荷であれば問題ないのでしょうか.以下のような分類を考えてみました.

・安全確保して負荷をかけるのは「トレーニング」.
・予測できないことで危険な状態になる場合は「事故」.
・安全確保なんて考えずに負荷をかけるのは「暴力」.

上述を踏まえて「体罰」という概念を考えてみましょう.「精神的,肉体的に罰を与えることで(負荷をかけることで?)能力向上する」.実は,そんなもの,存在しないのでは??? 安全確保して能力向上することができてるのであれば,それは「罰」ではなく,「トレーニング」なのでは???

安全確保ができてるのであれば,「トレーニング」ですし,それ以外は「事故」,「暴力」.ただ,それだけでは?

「体罰という言葉,概念」...スポーツの現場から消え去っても,何処にも問題はないと思います.「体罰」という言葉があることで,暴力に対する言い訳になっている気がします.指導者が,「体罰」という言葉を出した時点で犯罪者に認定してもいいくらいだと個人的には考えます.

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下記参照(重複する話も含まれます):

「事故抑制」,「安全確保」のための仕組みの話:
https://www.facebook.com/jsvrorg/posts/1733494506785442

 ※下記は上記の記事をnote に転載したもの:


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