雷と渓谷【Lycian way8】

朝一でキッチンへ向かう。

オープンスペースのキッチンは、天井が高くよく風が抜ける。

朝露に濡れたブーゲンビリアが、朝陽に照らされ白く映っていた。

誰にも食べられずに熟れすぎたオレンジが、足元に転がっている。

昨夜なにも食べなかったから、腹ぺこだ。

Kasで買った栗を煎る。

ジョージア南部の山では天然栗をたくさん拾って食べたが、その栗があまりに小さすぎて(1cmぐらい)栗を生まれて初めて食す友人を失望させていた。

トルコの栗は日本の栗と同じでふっくらしていて、名誉挽回の良い機会だと思った。

栗好きな父を想いながら、汗をかく栗を眺める。

チーズトーストも作った。

チーズと刻みにんにくをたっぷりフライパンに投入し、パンを乗せる。

その上から別の鍋で重石をし、カリカリに焼いた。

最後に粗挽きの胡椒をかける。

自分たちで作ったオリーブオイルを小皿に分ける。

栄養バランスの悪いご馳走が並ぶ。

熱々のチーズトーストと、少し焦げた栗を食べた。

そして、パンにお手製オリーブオイルをつけて、口に入れる。

おいしい。

もっと、青臭いものだと思っていた。

しかし、新鮮なオリーブオイルは、さっぱりしていて臭みがない。

これは、飲める。

幸先の良い朝を迎え、向こう一週間晴れる気がしてきた。

外に出ると、遠くの山は青く、朝靄が立ち込めている。

濡れたアスファルトがきらきら輝いている。

久々に歩く気がした。

最後にまともに歩いたのは4日前だ。身体が重く感じる。

最初の7.5kmは登りだが、暑くなく景色も良い為、心地良かった。

歩くことへの歓びを噛み締める。

高台から昨日訪れたビーチを臨む。

陽が差したところだけが夜光虫のように光を放っている。

あまりの美しさに、登るのをやめて海辺でキャンプしようかと話し始めた。

その瞬間、モスクから大音量のアザーンが流れ始めた。

響きわたるその声に耳を澄まし、考えることを一旦やめた。

掻き消されてしまうはずの木の葉の擦れ合う音や、小鳥のさえずりが誇張される。

湿った土の匂いが押し寄せる。

アザーンを聴き終えるといつも、ひとつの旅を終えた気分になる。

「もう、ビーチはいいや。歩こう。」

そう言って歩き始めた。

絶景の連続だった。

放牧中の女性に出会う。

彼女のテントは海を臨む絶景に建てられており、手入れが行き届いていた。

Butterfly Valleyと呼ばれる深い渓谷は、靄がかかって神秘的だった。

こんなに美しい景色を見ても「晴れていたら」と思ってしまう心理は、いつ植え付けられたのだろうか。

Butterfly Valleyを臨むリゾート地に着くと、雨が降り出した。

大粒になってきたかと思えば、2m先が見えないほどの豪雨となり、びしょ濡れになった。

すぐに商店の前の軒下に避難したが、30分経っても一向に止まない。

周囲に何軒かホテルがあるが、どこも休館中で人気がなかった。

歩いて探すことを諦め、1軒ずつ電話した。

そのうち一番の高級ホテルが呼び出しに応じて、受け入れてくれることとなった。

このままテントで寝たら、風邪を引いていただろう。

100リラまで値下げしてくれた優しいオーナーは、バルコニー付きの広い部屋に案内してくれた。

人生でいちばん眺めの良い部屋だったかもしれない。

雨で霞んで見えないが、Butterfly Valleyを臨むバルコニーはとても広く、ハンモックが吊るされている。

濡れた服や靴、バックパックをハンガーに吊るし、乾かす。

シャワーはお湯が出ないため、諦めた。

サンドイッチを食べ、アンタルヤからイスタンブールへの航空券を購入した。

あまりの安さに興奮していたが、テントやトレッキングポールの持ち込み条件について調べていると「帰国」という文字が一気に現実味を帯びてきた。

あぁ、わたしは帰るんだ。

涙が出た。

遠くでは雷が光っている。

泣いていても気持ちは晴れないので、ブランケットを持ってバルコニーに出た。

音のない雷は、別の星を観ているような気分になる。

雷を眺めながら、バルコニーのソファでうとうとと眠りについた。





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