アジールと精神医療;舟木徹男「精神の病とその治癒の場をめぐる逆説――アジール/アサイラム論の観点から」を読んで

松本卓也・武本一美編著『メンタルヘルスの理解のために――こころの健康への多面的アプローチ』(ミネルヴァ書房、2020年)所収の舟木徹男「精神の病とその治癒の場をめぐる逆説――アジール/アサイラム論の観点から」を拝読。以下に内容の紹介と感想などを。

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「アジール(独 Asyl、仏 asile)」、「アサイラム(英 asylum)」はギリシャ語で「不可侵」を意味する語に由来しており、何らかの力によって守られた特別な空間、時間、地位のことである。例えば大使館のようなものを考えるとイメージしやすい。大使館は日本国内にありながら日本の権力が及ばない場所であり、そこにいる人々は日本の法秩序の外にある特殊な地位を保証される。

この論文はアジールの観点から精神障害者が社会からどのように扱われてきたかを考察し、精神病医療の問題点を浮き彫りにする。アジールはもともとは神聖な力、呪力によって守られた場所であり、世俗的な権力の及ばない領域だったが、近代化に伴って国家の力が増大すると、国家の秩序に従順でない者たちを閉じ込め、管理するための場所になっていく。そしてこれに並行して、精神障害者もアジールの中に閉じ込められ、管理され、抑圧される対象になっていく。イタリアではこのような精神障害者に対する抑圧的な仕組みを改めて、精神科病院を廃絶するに至っている。このような動きを舟木は精神科医療の「脱アサイラム化」と呼ぶ。今後の精神科医療の在り方を考える上で参考にするべきモデルだろう。

論文の後半では日本の精神科医療に焦点が当てられる。日本におけるアジールに関しては、網野善彦の言う「無縁」との関わりが欠かせない。かつての日本では、決まった土地に住み、お上に厳重に支配されていた農民とは異なり、地縁や血縁に縛られず各地を遍歴する人々がいた。そのような人々の属する領域が無縁である。近代化以前の日本では、地域共同体や家族共同体で世話をすることができない精神障害者もまた無縁へと、すなわち各地を流浪する非定住民の社会へと吸収された。しかし近代化以後は多くの無縁の人々と同様に、精神障害者たちも国家の管理の下に置かれることになる。

「脱アサイラム化」との関わりで、特に問題点として挙げられるのは、精神障害者を社会に対する潜在的な脅威と見なし入院治療や通院治療を強制することができる心神喪失者等医療観察法と、その背景にある刑法39条の問題、それから精神障害者を身内の「恥」と見なして「世間」から隠そうとするが故の「社会的入院」の問題である。いずれも大変難しい問題で簡単な解決が見つかるものではないが、日本人のメンタリティに深く根付いているものであることが詳らかにされて興味深い。「世間」という言葉の意味の歴史的変遷についての紹介も面白かった。「世間」とはもともとは自分と関わりの薄い「他郷」を、そしてまた網野のいう「公界」=「アジール」を指していた。しかしムラ社会において次第に他郷との交流が開けてくるにつれて、世間とは自分と関わりのないものではなく、自分たちに批評的な目を向けてくるものになる。こうして私たちは身内の目の他に、多層的に広がって私たちを取り巻く世間の目を意識するようになっていく。この世間からのプレッシャーの強さは日本に生きる人間ならば誰でも実感するところだろう。今はやりの「自粛」にみられる「同調圧力」に言及して舟木は「そこでは家族ですら、その成員を守る砦とならず、むしろ「世間」を代理して個を抑圧する傾向を持つ」と書く。精神障害者に対する扱いは、このような日本社会の傾向の一つの発露なのだろう。

網野善彦について書かれていた部分を読んで、最近拾い読みをしていた、政治学者のジェイムズ・C・スコットの『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(立木勝訳、みすず書房、2019年)を思い出した。ここでは古代のメソポタミアにおける国家形成の歴史が、大きな力をもった人々によって狩猟採集民が農耕に縛り付けられていく過程、人間による人間の「家畜化」の過程として描写されていた。歴史学者のウィリアム・H・マクニールも、『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、中央公論新社、2007年)の中で、「狩猟採集者としての生活で長い間に培われた人間の性向とは根本的に矛盾する苦役」であり、「終わることなく繰り返される単調な労働のリズムへの永遠の服従」と呼ぶ(上巻、p. 84)。定住と農耕が人類文明を大きく発展させ、人間社会を豊かにした一つの要因であることは確かだが、こういったものを読んでいると、私たちが農耕文明から引きついだ社会構造や労働観、生活スタイルを続けることが人間にとって果たして良いことなのか問い直す必要があるように思う。

折しもCOVID-19の流行によって「新しい生活」へのプレッシャーがかかっている中、精神障碍者のみならず、あらゆる人間にとっての幸せな社会の在り方を考える一助になる論文だった。舟木は、イタリアで精神医療の改革を推進したバザーリアの弟子、ロテッリの次の言葉を引用して論文を締めくくっている。「結局のところ、我々がやった仕事というのは『恐れ』というものに勝つ、恐れを克服する、ということだったんじゃないか」(大熊和夫、『精神病院はいらない!――イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言』、現代書館、2016年、)。精神障害者だけではなく、貧者、路上生活者、移民、人種的あるいは性的マイノリティなどを攻撃する人々の根底にあるのも「恐れ」だと思う。その恐れを克服することがこれからの人類の大きな課題だ。

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