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#仲間と作る本 ~いつもありがとう~

私は一人っ子で育ちました。

本当は妹がいたのですが・・・。


私が4歳になって少し経った頃、妹が産まれてくる予定でした。

当時は今みたいなエコーの機器もなく、性別も産まれてくるまで分からなかったのですが、何故か女の子と皆信じていて名前も決まって産まれてくるのを待つばかりでした。

しかし…

予定間際になって急に心音が弱くなり、産まれた時はすでに亡くなっていたのです。

4歳の記憶なので断片的にしか覚えていませんが、私が思い出せる場面は、

・父親と夜病院に駆け付けたこと。

・新生児室で赤ちゃんがたくさんいるのを見たこと(そこには私の"妹"はいなかったのですが当時の私には分かっていませんでした)。

・後日、自宅にお坊さんやたくさんの親戚が来ていたこと(通夜)。

・母親に「お人形さんどれか1つ赤ちゃんにあげていい?」と聞かれ、
私は悩んだあげく気に入っていつも持ち歩いていた人形の2つのうちの片方を棺に入れてあげたこと。

・翌日両親と3人で火葬場へ行ったこと。

切り取ったかのようにワンシーンずつぐらいしか覚えていません。

・・・それから20年余りが過ぎ、私は結婚し二人の子供にも恵まれました。

長年、実家の小さな仏壇には、赤ちゃんのおもちゃ、時には母が哺乳瓶でミルクをお供えしていて、それをずっと当たり前の光景として見ていたのですが、自分に子供が産まれたらなんだか不思議な感覚になりました。

もう私には子どもが産まれているというのに、私の"妹"はまだずっと赤ちゃん。

彼女が赤ちゃんのままでいる間に、私はこの世でいろんな経験をして無事育ってもう大人になっている。

そう思った時、初めて自分が生かされているありがたさや使命感に気付いたのです。

彼女の分まで生きなくては!

いつしかそう思うようになっていました。


そしてここ数年は何か"妹"に話したいことがあるとお墓参りに行くようになっていました。

その日の気分で選んだ、とびきり可愛いお花を買って。

どうしようもなく辛くてふさぎこんでしまいそうな時、先の見通しがたたなくてどうしたらよいか分からなくなってしまった時、嬉しいことがあった時、何かに挑戦する時…

「ねぇ、聞いてくれる?」
「もうどうしていいか分からなくなっちゃった…」
「この前はありがとうね!」

などといろんなお話をするのです。

そうやってお墓に出向いて、彼女にいろんな報告やお礼、愚痴や泣き言を言ったりして、時には大粒の涙をぼろぼろこぼして泣くことも。

でも、そうしているうちに、不思議とだんだん心が落ち着いてきて、入り混じった感情やぐちゃぐちゃになってしまった思考がすーっときれいに並んで整頓されていくような感覚になるのです。

そして帰る頃にはいつも、

聞いてくれてありがとう!私がんばるよ!大丈夫だよ!

と誓っている私がいます。

どうしようもなくふさぎこんでしまっていた事でも、その後あっさりと状況が好転したり、何故あんなに自分は泣いて落ち込んでいたんだろう?と思えてしまう程、心が軽くなったりするのです。本当に不思議。

この世にはいないけれど、私にとってかけがえのない"妹。
そんな存在を与えてくれた両親にも感謝をして、今私は生きています。

いつも側にいてくれて
ありがとう。
いつも支えてくれて
ありがとう。
            
あなたが生きられなかった分まで私は生きなくちゃね!
嬉しいことも楽しいことも悲しいことも辛いことも。
ぜ~んぶ一緒だよ。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

『皆んなで作る 感動、感謝のエピソード本
 ~みんなの力で被災地の子供達の未来を応援しよう!!~企画』

に寄せて書かせていただきました。


この度は素晴らしい企画に参加させていただきありがとうございます。

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 〜みんなで作る感動、感謝のエピソード集〜@takusan_soudan|note(ノート)https://note.mu/takusansoudan/n/ncdbb0ca2f3d3

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