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(エッセイ)ちまちま日常〜曾祖母の事

父方の曾祖母つまりは
私のひいおばあちゃんは謎が多い。

曾祖母の葬儀の際に
開け放った窓から
大きな黒いアゲハ蝶が舞い込み

不吉というよりか
らしいっちゃらしい、と皆が納得した
アゲハ蝶のような人生を謳歌した人。

元来、恋多き人生だったらしく
一度の離婚と内縁暮らしと
若い頃は旅回りの市座に
推しのような存在がいて各地を追っかけ
今で言うグルーピーのようなもんかな?
とにかく本能のままに生きた人。

最初の結婚は17歳(当時は珍しくないのかも)
日系2世の曽祖父が米国の妻子と別れてまで
一目惚れして、程なく私の祖母が生まれた。

産まれた祖母には腹違いの姉がひとり
米国に居た訳だが(マリアだかマリィ(曖昧)
戦争が本格的になり東京から東北に疎開する
その最中に空襲でほとんどの荷物が燃え
米国からのAIR MAILやらお土産やら
とにかく姉の記録になるような物を失った。

元々、曾祖母の略奪婚のようなもんだったし
戦火が強まると共に海の向こうの親類とも
結局、すっぱり縁が切れてしまった。

せっかく家族3人(祖母もひとりっ子)で
仲睦まじく疎開したはずなのに
飽き性な曾祖母は長続きというものを知らず
娘(祖母)が疎開先で代用教員の仕事につき
収入も安定した辺であっさり離婚した。

もうこうなってしまうと
海の向こうの姉の行く末やら
(母はアメリカ人でも姉は日系3世なのだから
日本人収容所に送られたりしていたら困る)
全く手掛かりが無くなってしまい

曾祖母も祖母も亡き今
私の代ではどうしようもないという
会ってみたいけど絶対会えない身内とやらに
自分に似た顔を照らして浮かべるのみだ。

ちなみに曾祖母は60歳を過ぎて
内縁関係の男性と暮らしていたが
向こうの親族にあまり良い印象が無かったのかな

内縁の夫が亡くなり葬儀の際
向こうの親族にどろぼう猫呼ばわりされたり
散々だったようだが
心の中で自業自得と思わずにいられなかったと
娘である祖母が語った。

曾祖母のふわふわとした生き様を
反面教師に祖母は身持ちが堅く
その姿勢は当然のように
私ら孫にも引き継がれ(女孫が私含め3人)

どんなにモテてもチヤホヤされても
そんなの何の足しにもならないのだから(極論)
イイ気にならず、堅実に
趣味とか仕事に没頭するように

祖母が母(曾祖母)を見て得た
やたら切実な教訓に、孫らも従った。

性格的にオタク寄りで
ひとりっ子ならではの独り遊びが好きな私
特段押さえつけるまでもなく

異性やら男女のモロモロにあまり
触手が鈍い性格は
今で言う多様化やジェンダーの走りなのかも
とか納得して生きている。

そうして老いて尚
自由気ままに生きた曾祖母は
雨の日に出歩いて少し風邪をひき
薬が嫌いで飲んだふりをして捨てたり
そんなしょーもない理由から
風邪がこじれて肺炎になってしまい
70歳になる前に亡くなった。

曾孫の私が小学校に入る前の年で
「さおりにランドセル買ってやっかんない」
が口癖だったというが叶わずであった。

ちなみに曾祖母の名前は「艶」と言う
艷やかの「つや」
手元に残る若かりし頃の写真からも
とても妖艶で美しい人だと分かる。

ついで娘の(祖母)の名前は「チエ」と言い
曾祖母に似たやはり美しい人であったが
名は体を表すかの如く
美しさに知恵、聡明さも兼ねた人であった。

何かこんな感じの系譜の物語を
自叙伝のように書き起こして
創作大賞2024の小説部門に応募したいと
あれこれ画策したんですが
何しろ筆まめじゃないのと力量不足で💧

やだ全然、書けない(むしろ1つも書いてない)
↑↑今ココ(笑)

まぁワタクシ
noteのみならずハンドメイドやら
ボクササイズ、YouTubeで英会話(懲りない・笑)
老犬のお世話に仕事と
あれこれ忙しくしてますんで

いつかそれっぽく私小説にまとめたい
曾祖母のエピソード
箇条書きにてココに記した次第であります。

あっ、忙しいと言えば推し活も♡
週末は遠く愛知県でフェス
遠くて行けないけども(笑)
楽しんで来て欲しいという念は送るぜ✨

長くなりました。

とにかく暑くて嫌になっちゃう💧
どうぞご自愛怠らずお過ごし下さいませ。













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