ロンドン生活206日目

そういえばこの前のDisability Theatreの授業で、面白いワークショップがあった。一人につき4枚の紙を渡され、そのうちの2枚に「社会において特権的だと思う自分の特性」を書き、あとの2枚に「社会において不利益を被っていると思う自分の特性」を書いて、前の黒板に張り出すというもの。クラスは全員で20人ほどで、男女比は半々か少し女性が多い。面白かったのは、女性のほとんどが、「女性であること」を不利益の側に書いているのに対し、男性は一人だけ(ちなみに私)が「男性であること」を特権の側に書いていた。また「女性であること」を特権的だと思う人はゼロだったし、「男性であること」を不利益だと思う人もゼロだった。人間、自分が特権的な場所にいることに気づくことは難しい。自分も正直いままで、男性であることが当然であり、そこに疑問や違和感を感じたことは少なかったと言える。

自分が日本で会社員だったとき(1年前はそうだったのだが)、こういう会話を耳にした。

男「女は結婚っていう方法があるからいいよな〜。仕事やめても生きてけるし」

女「たしかに、男性は働いて家庭を支えないといけないプレッシャー感じて大変ですよね〜」

ここでは、男性がある意味女性側の特権を感じ、女性が男性側の不利益を語っているように見える。

しかしこれはそもそも、「女性が家を守って男性が仕事をする」という社会にいまだに強固に存在するステレオタイプな価値観に沿った会話であり、そこでは男女という性に、あらかじめ社会で期待される役割が決まっている。

その価値観を脱しようとすればするほど、女性はあらゆる困難に遭遇するというのが、残念ながら現在の社会のように思う。

人間が性別によって生き方を制限されるのはやはり変だと思う。それは長い歴史の中で作り上げられた大きな物語であって、上記の会話をしていたのは若い男女だったが、若い世代にも、無意識に刷り込まれた固定観念がまだある。

この前参加したホームパーティーで、ジェンダーとフェミニズムの話をしていて、(私はそのとき既にパーティー苦手モードに突入していて聞いていただけだが)

フィンランド出身でロンドンで俳優を目指す女性が次のように言っていた。

「男性もまた、男性であることの辛さを感じることがあると思う。男性であることで社会に何かを期待されたり、抑圧されたりすることが女性と同様にあるはずだ。それをもっと声にして、話してほしい」

きちんと話せるだろうか。

男性はまず、男性であることについて自覚をするところからかもしれない。