ロンドン生活56日目

毎日いろんなことが起きてはその度に何かを考えるが、それをアウトプットするより早く次のことが起こって、気づけば日々は過ぎていく。授業が来週月曜から始まるにあたり、先生方と顔合わせをしたり、クラスメイトに会ったり、新入生向けのソーシャルパーティがたくさんあったりと、新しい環境、新しい人間関係もまた始まっていく。この時期には自分の国のことを話すことも多い。カフェやバーで少し深い話に入っていくと、みんながそれぞれお互いの国の問題の話をする。

私は生まれてからずっと日本にいて、海外旅行はそれなりに行ったことがあったが、他国の人とお互いの社会や文化についての考えを述べ合う機会を持ってこなかったので、それ自体が新鮮であり、驚きに満ちている。

その際に気をつけなければいけないのは、話す対象一つに対し一人ひとりのバージョンがあるということである。自分が属するより大きな集団のことを他の集団の人に話す時、自分はその集団の代表として話すことになるが、あくまでそれは一人の個人的意見でもある。たとえば他国の人の前で私が日本の話をするとき、私は日本人を代表して話すことになるが、当然私は日本人のうちの一人ではあるものの、「日本」ないし「日本人」の総体ではない。この二つがごっちゃになると、大きな誤解が生まれることもあるので、常にそれを自覚しつつ話したり、他人の話を聞かないといけないと感じている。・・と前置きした上で、最近の会話で印象に残ったいくつかをメモしておく。

中国人の友達は毛沢東が好きだ。彼曰く「中国人はみんな毛沢東を尊敬している、彼は少しは間違いをしたかもしれないが、今の中国があるのは彼のおかげである。」彼と話をしていて、海外旅行行ったことある?と聞かれたので、結構あるよと言って機嫌よく行ったことある国を挙げていって、深く考えずに「台湾」と言ってしまった。すぐに、「気をつけたほうがいいよ、台湾は中国だから。多くの中国人の前で台湾を国だと言ったらかなり怒られるからね。僕は怒ってないけど。」と、怒られてしまった。すごくセンシティブな話題であることに、自覚が足りなかった。

また、昨日はフラットメイトのインド人の女の子と寮のキッチンで一緒にご飯を作り、ビールを飲んだ。お酒好きの人がいて嬉しい。彼女はもともとジャーナリスト志望だったけど、今はソーシャルメディアのコンサルタントを目指している。なぜジャーナリストは諦めたのか聞くと、「二つ理由があるわ。」と答えてくれた。「一つ目は収入がすごく低いということ。とても忙しい仕事だけど、給料がとても低くて生活していけないということね。もう一つは、危険だということ。もし政府に反対するようなことを書くと、・・殺されちゃうわ。」え!?殺されるの?「そう。もちろん政府は公には言わないないけれど、政府に反対しているジャーナリストは、必ず何か事故にあって死んでしまうの。」オーマイガッ、それは諦めて正解だね・・。と言うしかなかった。

また別の日、日本人3人とチリ人の男の人でカフェでご飯を食べている時に、日本の話をした。私以外の日本人は二人とも女性で、日本のセクシャルハラスメントや男女不平等について話していて、少し極端な意見もあったが、私も勉強になった。そのあと直近のあいちトリエンナーレで起きた補助金不交付の話をした。チリ人の彼はとても熱心に聞いてくれ、「それって、’日本人はもう芸術は必要ありません’って表明したみたいなものだよね。」と言われた。「でもチリも同じような問題はある。そして他の多くの国でも。ただ、厳しい状況でそれを変えられないように思っても、必ず道はあると思うし、そのためにも僕たちはここで勉強している。何もしなければ、絶対に何も変わらないからね。」と言ってくれた。

お互いがお互いの国を知らない中、伝聞の情報は世界を大きく広げてくれる。ただし一方で、それはたくさんある中のうちの一つの見方・捉え方であることは忘れてはならない。大事なのはそれをきっかけにして、自分でも調べたり、他の人の意見も聞いたりして、さらに深く相手の国のことを知ろうとする態度であると思う。