2024.1.19日記

今日は早稲田の演博のAV資料室に行きチェルフィッチュの『わたしたちは無傷な別人である』の映像を視聴した。この作品は今PARAで受講してる演技のワークショップで一部だけ戯曲を読んでいて、いったいどんな話なんだろうと興味を持っていた。7人の役者が交互に役を演じたりト書きを言ったり、「次にこのセリフを言うんだけど」などと小説の神の視点的な位置から語るメタ的な手法は『三月の5日間』にも引き継がれているものだった。中流階級の夫婦の妻は「幸せというのはどんな人でも幸せになることができる、些細なことに幸せを感じることができる」と思っているのだが、そんな妻のもとに不穏な男が訪ねてきて言う。「あなたの言う誰でも幸せになれるというのは条件がある」と。それは「その時点である程度幸せだということだ」と。恵まれた環境にいることが当たり前で、不遇な環境にいる他人のことを想像できないということ。そのことに気づいて苦しんだとしても結局「無傷なまま苦しんでいる」のだと作品は問うてくる。2010年の作で今のチェルフィッチュにはないナイーブさが逆に新鮮だった。20代前半に観てたら完璧に影響されてただろうな。