ロンドン生活61日目

授業が始まった。今週の時間割は

月曜:Cultural Policy and Practice - What is Culture?

  :Introduction to Marketing: Audience development 1

火曜:Tate Modern day

水曜:Social media

まだほとんどがレクチャー形式で、一回2時間の講義をひたすら聞いている。ただ予想していた通り、私にとっては内容の難しさと英語(めっちゃ喋るの速い)が組み合わさって難易度が鬼。「もぅまぢむり。。出家しょ。」って感じ。英語で遅れをとっている私が授業についていくためには予習復習を人よりたくさんしないといけないなと感じた。特に初っ端のCultural Policy and Practiceの授業では文化がどのように定義されてきたか、文化を構成する要素は何か、という抽象的な話が中心となり、そこに様々な固有名詞を伴う具体例が出てきてもうお手上げ状態だった。それに先生はユーモアを交えた口調で喋っているっぽくて、みんなが時々笑うのだが、何が面白いのか全然わからずにみじめな思いをした。この先も続くだろう(笑)。

火曜の授業ではグループに分かれてテートモダンへ行った。

先生は、テートブリテン、テートモダン、ナショナルギャラリー、ナショナルポートレートギャラリー、 ヴィクトリア&アルバート博物館というロンドンの5つの主要な美術館で20年以上働いた経験をお持ちで、優しくおだやかに話をされる素敵な方だった。今回の授業のテーマは、美術館のキューレーションについて考えることだった。展示室は複数に分かれており、「なぜキュレーターはいくつかの作品をまとめて一つの部屋に置いたのか」「作品に対するキャプションはいかに鑑賞に役立つor影響するか」について、4、5人の小グループに分かれて展示物を見ながら話し合った。また、各自が事前に「個人的な物」を持ってくるように指示されており、その特定の物を展示室に置くことにより(その物の持つ意味と展示空間との関係により)、展示空間自体がいかに変化するかについて考えた。

とても面白い授業だったが、なかなか自分の考えを英語で伝えることができず、というかそもそも現代美術の展示物をうまく捉えられず、悔しい思いをした。

ただ、自分は深く考えすぎなのだという気もした。先生も仰っていたように、「芸術作品の鑑賞というのはすべて鑑賞者の個人的理解・経験・歴史・性格などに依っている」ため、それぞれの人が自由に思いを巡らせることができることも大事だ。

現代美術が「わかる」人のためだけに現代美術があるのでは困る。「わからない(と思う)」人にとっていかに開かれているか、「わからない」から「興味がない」となってしまわないために、いかに美術館が(あるいは私にとっては劇場が)開かれた場所となっていくかについて、考えるきっかけになった。