「芸能人」として生きている人達のことを・・
プラチナツインレイさんの記事へのご返答
三つ目の記事になります
「絶対に会えない現状・・・」
・・・ですか?
いえ、私達は、もう会っていますよ?
先日の記事でもお話ししました
「かつてふたり、なんど交流しあい
そしていま、なんどセックスをしていることでしょう *:.゜:。*・」
ここでいうセックスは
魂のセックスではありません
プラネットアースでの
私たち二人の日々のなかでの
実際のセックスです (*^ ^) ☆..・゜
彼に会いに行かないという先日の記事で、
私が言葉をオブラートに包んでしまったことで
そうした想いを抱かせてしまったのだと想います
ですのでストレートにまいりましょう ...^-^* .☆.:*・゜
ホログラムにおいて
「会いに来て」という彼に
どうして私が会いに行かなかったのかというと・・・
単刀直入に言えば
頭にきたからです
私をバカにしているのですか?
私のこと、あなたのような
芸能界で活躍する立場の人間から「会いに来て」と言われたら
大喜びでノコノコと会いに行くような下劣な女だとでも
思っているのですか?
という具合に ・゜゜★
芸能界で名をあげ活躍している人を
やたらともちあげる世間の風潮にも
私はすでに辟易していたのです
「愛しているよ!」とステージ場でいわれれば
「キャァァーーーッ!」と観客は喜ぶ
そうした光景もキライ
そうしたステージ上に立つ人間は
自分達がそうした言葉を投げかければ
すべての人が喜ぶと思ってる
私にとってはそうした行為すら軽蔑に値します
「愛してる」の言葉の意味を大事にしている私にとってはね?
そして、ステージ上に立つ人間は
自分は、凄い人間なんだと、思ってる
たっくさんの人に、その姿を見たいと
その声を聞きたいと求められて・・・
そんな扱いに慣れてしまった人間は
自分が声をかければ誰でも喜び勇んで会いにやってくるものだと
決めつけてる
私は、彼の「会いに来て」に
そうした気配を感じ取りました
ファンだから
「来て」と言ったら来るに決まってるだろ
と信じて疑わない
傲慢であるにも程があります
自分をナニ様だと思っているのですか?
ではお伺いします
一体あなたの何が凄いの?
芸能界で活躍することが
そんなに偉いことですか?
日々の生活のために
真摯に働いている人達よりも芸能人のほうが凄いだなんて
一体、誰が、言ったの?
私はそんなことこれっぽっちも思わない
むしろ、誰かがやらなくてはならないことを
地道ではあるけれど責任をもって仕事している人のほうが
あなたたちなんかよりずっと尊敬に値しますよ?
あなたたちがしている仕事というのは、
無くても生きていけるのです人は・・
娯楽は、それが好きな人には確かにいいでしょう
でも娯楽はなくても生活するには困りません
「娯楽がなければ人は生きてはいけない」とでも?
人の生死に関わるようなものではないでしょう
あなたたちのやってることは・・?
でも、ソレを誰もしなくなったら困ってしまう
そうした仕事をしている人は
ほんとにほんとにたくさんいるのです
このアセンションホログラムの世界では
社会を動かすため、生活してゆくために
どうしても必要な仕事というのが
どれほどたくさんあることでしょうか
その、誰かがしなければならない仕事のひとつ、ひとつ
それをしている人達を
まるで軽んじてでもいるかのような
芸能人の自分達は凄いんだというようなあからさまな態度は
私にとっては最大の軽蔑の対象でした
その最大の軽蔑の対象である、まさにその言動を
彼は、私に、してきたのです
なんという傲慢
傲慢、傲慢、となんど言っても
頭にきて仕方がない
本来であれば
そうした人間と関わることを
私は避けます
そうした人達と言葉を交わすことすら
汚らわしいと感じてしまう
彼の誘いへの私からの応えは
「どうしてあなたと会う必要があるのですか?
私はあなたとお話しすることなんてありません
なので、会いに行くことはありません」
そして
「そうした軽率な言動は、やめたほうがいいですよ」
・・・と、付け加えて 。.☆
芸能人が発する、「お客様は神様です」的な
皆さんのおかげでナンチャラ・・・という言葉
そしてその態度に、私は一種の謙遜をよみとります
謙遜とは・・・
「凄いですね」と言われて
「そんなことないですよぉ(でも実際自分はすごいけどね)」
というような態度です
お客様という立場の方たちのおかげで
食べてゆけている、それでお金をいただいている
真摯にその現実を自覚しているなら
発する言葉、その態度に感じ取れるのは
謙遜ではなく謙虚さのはずではないでしょうか?
私は、彼の、一見、謙虚にも感じとれるけれど
でもその実謙遜でしかない言葉や態度に
腹立たしさしか感じられませんでした
彼のお芝居は好きです、とっても
お芝居、演劇、という表現者としての彼は
ほんっとに大好き *:.゜:。*・
だから、私は、舞台や映画は観に行く
でも私が行くのは、そこまで
しばらくの間は、機会があれば
舞台挨拶のときにも足をはこんだけれど
その時のことを、色々とお話しするために ☆..・
当時の彼にとって
私と話しをすることは
「ワンネスにある人とは・・・」
を知ることでもあったのですね
彼と関わりあうこと
最初は拒否したけれど
でも結局は、関わりつづけ
お話ししつづける日々でした
上記したようなやりとりを
メールやSNSで
なんど交わしたことでしょう
今では なつかしい 思い出です ...^-^*
かつての私のブログで
「有名人」と「一般人」という区別を設けること自体
間違っている
というような記事を書いたことがありましたが
いまでも、その想いは変わりません
私は、彼を
手の届かない遠い存在とは
決して言いません
専業主婦である
その安全な世界を敢えて抜けて
彼のところへ行く?
そういう可能性もあるのでしょう、人によっては
私には、そんなこと考える余地さえありませんでしたけれど
でもそれは
専業主婦だから得られている安全を
守るためなんかではありません
事実、彼は私に
離婚して自分と結婚してほしいと言いました
世間の、普通の会社で仕事している男よりも
オレと結婚したほうがよっぽどいい暮らしができるよ
・・・って
それもカチン!と頭にきてね?
芸能界という世界で得たお金なんかで
私は生きたくなんかありません
お金は、確かにツールではあるけれど
お金を得たプロセスには
いろんな意味が込められています
旦那様が、一生懸命お仕事してくれて
そうしてお給料を家にもってきてくれる
理屈から言えば、自分が働いたんだから
自分ひとりがもらったっていいじゃない・・
って言いたくなっても無理はないのに・・・
でも、結婚したからには
そこには扶養という義務と責任が生まれます
それは子供だけでなく
収入のない妻や両親なども・・
それは逆に言えば
扶養される側は、扶養者に
経済的援助を求める権利をもっている
ということにもなるのです
つまり、家族というカタチにあるなら
収入のある人は、そうでない人達を
お金の面で面倒をみなくてはならない
結婚とは、そうした契約で
この日本は、そうしたルールで動いています
そのルールに文句も言わず
お給料をもってきてくれている夫を
私は、バカになんてしたことはありません
心をこめて
感謝をこめて
ありがとう、と、受けとっていました
大好きで大好きで仕方なくって
この人のあかちゃんをうみたいと思いはじめた頃
プロポーズされて、そして結婚して
なんてかわいいほんとに愛おしい二人の息子を授かって
流れる日々、その一瞬一瞬に
心からの幸せを感じることができる
私のホログラムでの家庭とは
そんな場所でした
夫がもってきてくれていたお金は
本当に、クリーンです
だから、心からの感謝とともに
家族みんなでたのしく暮らすために
大事に使おうね、って
子供たちにも、そういって
パパが働いてくれるから
こんなこともできるんだよ・・・って
夫が持ってきてくれるお金は
子供たちにも誇れるお金だったのです
そんな家庭で生きていた私が
なんでわざわざ離婚なんてしなくてはならないの?
・・・って
それなのに・・・
世間の、普通の会社で仕事している男よりも
オレと結婚したほうがよっぽどいい暮らしができるよ
・・・・だなんて
ホントに ナニ様 ?????
そんな感性でしか結婚というものを観ることができない
そんな彼に対し、私は怒りと軽蔑でいっぱいになりました
だから、彼より、旦那様のほうが
どれほど尊敬できて素晴らしい男性なのかを
いっぱいいっぱい語ってきかせ
そして、見せてもきました
彼に対して
お金というもののお勉強も開始です
彼のお金は、ダメなんです
よくよく考えれば
きっと誰しもが
生理的に受け付けないようなプロセスから
うまれたお金だから
夫のお給料がクリーンなら
彼のギャラはドロドロです
そして、彼からも
芸能界のお金事情の真実を
教えてもらいました
本当に、メディアの流す情報の
なんて汚らしいこと
ほんっとに、嘘ばっかり・・・
彼のお金はキライだったけれど
でも表現者としては
本当に 本当に 心からの敬意を
もっていました
その表現者という面においての
正当なギャラだけだったなら
彼のお金に対する嫌悪感を
あんなにも抱かずにいられたでしょうにね?
表現者としての彼への敬意 ...☆.:*・゜
私にはそれがあったから
彼と、繋がりつづけていたのでしょう
テレパシーでお話しができるようになってからも
しばらくは、彼にとっては耳に痛いことを
ツケツケと言っていたものです・・・
彼の凄いところはね?
私が投げかける言葉に真実を感じると
それを、す・・・・ぅ っと
真摯に受け取ることができる人だったことです
「言われてみればそうだ」
という感じですね?
よくありがちなことですが
自分を非難するようなこと否定するようなことを言われたら
反射的に、対抗しようとするじゃないですか?
「でも」「だけど」「だって」のあとに
ナンチャラカンチャラを並べ立てて自分を正当化させる
コア存在達がいつもすること
でも、彼は、当時は
コア存在にまで堕ちてしまっていたにも関わらず
私の言葉に、じ・・・っと、耳を傾け
その言葉の真意を一瞬で読み取り
それを真摯に受けとめていたのです
そうして感じたのは
「ああ、この人は、軽蔑するような人じゃない
伝えれば、ちゃんとわかる人なんだな」
ということ .。.:*・゜゜・*
私が彼にお話ししたようなことを
彼に教える人が、彼の周りにはいなかった
と、いうこと
知らなかった・・・そうした考え方を
でも今は解かった・・・
だから、自分は変わる * .。:*・
彼は、それができる人だったのですね?
そして、彼は、変わりました .:*☆
二人のなかで
ひとつの粒子も溶け合わないものはない
というほどに *:.゜:。*・
言葉で伝えあうこと
言葉のやりとりのなかで浮上した
不浄な粒子を弾き飛ばすために
エネルギーの交流を起こし
魂のセックスをして・・・
爆発する ゜・*:.。. .。.:*☆
それを何度も何度もなんどもなんども繰りかえし
摩訶不思議な体験と体感を重ね・・・
そして
今 が あります
この記事を準備している傍らで
彼は、とても静かに
私を見守っています
嵐のようなやりとりも
今は昔 .。.:*・゜゜・*
いまでは
彼と愛しあうことは
大きな安心感のなかにあります
プラネットアースは
私が叶えたかった社会の可能性が
いっぱいいっぱい広がっている世界です
ホログラム地球の生活の延長線上では
絶対に叶えることができない世界
だから、プラネットアースに来るの
みぃ~~んな ね?
人として、血肉をもった
完全に整えられた完璧な生身の身体で
もっともっと素晴らしい創造体験をしたい
もっともっとさらに多くの素晴らしいものを知りたい
そうした想いで新生地球のグリッドに入って来たひとは
みぃ~~~~~んな、プラネットアースにやってくるのです
真新しい世界で
自分自身が想像しうることはすべて
自分自身で創造することができるんだって
知るために (*^-^) *:.゜:。*・
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