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宮城帰省を経て、釜山に帰ります

こんにちは!今日はスケジュールに余裕があるのでブログを書こうと思います。

写真はさっきいってきた、散歩の様子。気持ちよすぎるね〜
東北の春の風。冷たい風と春の風が混じっていて、心地よすぎる。何にも遮られていない、澄み渡る空の贅沢さといったら…..ここが”生まれ育った場所”でよかった…と自然を味わう。

さて最近のことを記録がてら、書いていこうと思う。いつも書き始めると止まらないから、きっと今回も長くなるだろう。

仕事


最近、仕事がかなり安定してきた。今は日本語:英語:韓国語=1:1:1で教えていて、生徒さんの数も留学前に戻った。ありがたい。最近は韓国語のレッスンも結構増えて、TOPIK対策で2週間前は大忙しだった。

1日何時間レッスンする?いつ休む?フリーは自由だけれど、こういったことも全て自分で決めていかなくてはいけない。フリーになりたての頃は、色々な不安で1日に7時間レッスンを詰めていたりして、キャパオーバーでよくお腹痛くなっていた。ようやく最近は自分の心地いいペースをつかみ始め、1日4時間平日だけレッスンというスタイルに落ち着いた。土日は死守。長く続けていくためにも、このスタイルで今後もやっていこうと思う。無理は禁物。(いつもそう思っては、知らず知らずに無理するのは私です。)

仕事前に、生徒待ちながらピース。

私にとって釜山とは

心と体の調子を崩して、宮城にいきなり帰ってきてから毎日”釜山にいる意味”を考えていた。去年は留学する!韓国語を勉強する!という目的のために、韓国に渡った。だけれど、それがもうない今は釜山に住む意味ってあるのかな?と。仕事はオンラインで自分でやるのが好きだし、上手くいっている。でも、そうしたら釜山のアパートから出ない生活になって病む。この”やりたい仕事”と”住みたい場所”が上手く噛み合ってくれなくて、いくら考えても両立しなくてずっと悶々としていた。

2月に帰国したては、1月からの色々な出来事で疲弊していて韓国語も聞きたくないし、韓国ももう無理!状態だった。だけれど、実家で家族と話して、心から休んで、美味しいものを食べるうちに、まずは”韓国語が好きだ”という気持ちが戻ってきた。韓国語を教える仕事を少し増やし、そして自分も宮城の韓国語教室に通った。あ〜やっぱり、私は”韓国語”は求めているな。

それは3月くらいの話。でも、韓国語は好きでも、韓国に住む理由は見つかんないな。

そんなこんなしているうちに、4月。東京に2回行く機会があった。前の記事にも書いた通り、東京での活気や友人、妹、そして大学時代にお世話になっていた方との会話を通じて、自分の中からエネルギーが湧き上がるのを感じた。”あ〜私ももっとInternational Environmentに身を置きたいぜ〜”とエネルギー。私、英語、韓国語を話して色々な国の人と話したい〜関わりたい〜って!

東京から戻ってくると、釜山から離れて2ヶ月にもなるからか、疲れや傷も相当癒えたのか、釜山での楽しい思い出ばかりが浮かび上がるようになってきた。

あ〜オールしたな〜
カラオケいったな〜
誕生日会やったな〜
海辺で語り合ったな〜
ホームパーティしたな〜
ドライブしたな〜

色々な国の人が集うコミュニティの人々と毎週末のように遊んでいた、釜山での日々が。人生史上一番遊んだな〜。ひょっとすると今までの中で一番の青春だったのかも、と。

私はこれまで1対1で遊ぶことが多かったし、大学時代もサークルにも入っていないし、ゼミもそこまでコミットしないし。個人主義で”終電のがしました!!”みたいなことがない人生を送ってきた。唯一ドイツ留学では、はっちゃけたことをしたくらい。

でも釜山では、友達と大勢で遊ぶことが多かった。なんか、自分が属するものがあって、その人々と遊べたことは自分にとってはとっても幸せなことだった。

もちろん、人と関わるから楽しい、嬉しいという感情だけではなかった。しんどいな、めんどくさいな、辛いな、悲しいなという感情もかなり味わったけれど。でもそれをひっくるめて、宮城でも東京でも得られなかった”コミュニティ”というものが釜山ではもてたな。と。

釜山は私にとって、解放的になれる”遊ぶための場所”であり、居場所があると思える場所なんだと、ようやく心の整理がついた。思い出は財産だな〜と釜山から離れて思ったし、もっとその財産を増やしたいなと思った。きっと死ぬときに幸せだったと言えると思うから^^

釜山に戻りたい。私はきっと、今回釜山に戻る目的は”国際的な環境に身を置く”ことなんだと思う。英語で、韓国語で色々な国の人と関わる。

さっき釜山の友人とズームで話し、戻ってからの近況報告やこれからの予定を立てた。待っていてくれる人がいるって、幸せだな。

とりあえず、今の予定では仕事はアルバイトはせずに今の仕事だけを続けて、週何回かは国際コミュニティに顔を出し、週末は友達と遊ぶよいう生活をしようと思っている。

これからのことに心が踊る。

自由な私と家族の関係

今回の帰省で改めて感じる、家族の存在の大きさ。

私は、いろんなことが突然決まる。

今日住む場所を変える。
今日彼氏と別れる。
今日仕事を辞める。
今日海外へ行く。

などなど。色々な人生の方向性を、その時々で変えながら決定する。我ながら、結構自由だと思う。フラフラしてるわ〜大丈夫か〜自分〜と思うことは、多々あるがどうしてもこんな調子の生き方になってしまう。なんでこんな自由なんだろうか?その答えをこの宮城帰省で見つけた気がするから、書いてみようと思う。

今回の釜山からの帰省もいきなり夜中に飛行機を予約し、4時間後には空港にいた。家族に”今から、帰ります”とラインを送った。

家族はあまり驚かなかった。

もう私のいきなり行動には慣れている様子で、ちょっとやそっとのことでは驚かないようだ。逆に私が拍子抜けして、え?リアクションそれだけ?みたいになる。笑

2年前。東京暮らし8年目の私がいきなり”宮城に引っ越す!”と言ったときも、驚きもせずに、あ?まじ?おっけい!みたいに私の選択を受け入れてくれた。

この帰省中に家族からこれまでもらった手紙を読み返していた。その手紙には”心の旅人””心赴くままのライフスタイルいいね””自分の心に嘘をつかないのがいいところ”と、私の自由な性格を褒めてくれる言葉がたくさんあった。

この手紙や家族との日々の会話を通して思うことは、
本当に自分の自由な魂を生かして、負い目をそこまで感じずに
心赴くままにこうやって生きているのは、家族のおかげだなということ。

もし、
え、その仕事辞めるの?
え、また目標変えるの?
え、あのとき言ってたことと違うじゃん?
フラフラしてるね?
忍耐力ないね?

とずっと言われていたら、どうだろう。この自由精神に今よりは蓋をして
自分を少し偽りながらいきていたのかもしれない。

両親、兄弟がいつも”自由な私”を、受け入れてくれるだけじゃなくて”その生き方いいね!!!”と肯定してくれたから、今の生き方になっているんだな〜と感じた。失敗して戻ってくる場所がある。そして、それを失敗じゃんと責め立てず、挑戦して、よかったじゃん!と言ってくれる家族がいる。

”その時々思ったことをやってみて、上手く行かなくても微調整しながら生きていこう!”みたいに一緒に考えてくれるから安心して挑戦できるんだなと。

自分にとっての安全スポット”家族”がいるから、また釜山にいって
自分がやってみたいことをやってみようと思える。

感謝しかない。そして、母がことあるごとに言ってる”人生一度きり!信念!誰になんと言われようと自分の思った道を行く”という言葉。ひょっとすると、私はこの言葉通りに育ったのかなと思った。はは。

とにかく、家族には感謝しかない。

大好き家。

あと数日で釜山に戻ります!今度はどんな感じになるかわかんないけれど
全て経験だと思って、やってみようと思う^^

いつまでも自分の人生を楽しんでられますように。

Minami


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