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愛情とは何なのか

バレンタインの記事にも書きましたが、私の叔母は2019年の2月に胃癌で亡くなりました。61歳でした。

癌が見つかったのは亡くなる1年とちょっとくらい前だったと思います。
見つかった時にはステージ4。
すでに手の施しようはなく、抗がん剤治療での延命のみ。
余命は1年程度と宣告されました。本人は勝手に数ヶ月の命と思ってたようで、先生から宣告された時は「え、そんなに長いの?」って言ってたらしいです。
考え方によっては人生は長くも短くもできるみたいです。

叔母はどうしても病状を伝えなくてはいけない人にしか病気のことを明かしませんでした。
それが叔母にとっての正義であり、他者に対する愛情だったんだと思います。
私は母から叔母の病気について知らされました。
想像つかなかったです。来年の春には彼女がそこにはいないこと。
そうしたらなんだか怖くなって、涙が出てきました。
その時母に言われました。
「余命宣告は死ぬまでのカウントダウンってだけじゃなく、神様がくれたお別れの準備をする時間にしよう。」
私も準備をしなきゃいけないんだと覚悟しました。

叔母は闘病生活を送りながら最期の準備を始めました。
「死ぬまでにやりたいこと」を謳歌していたように思います。
大事な人と会ったり、大好きなフランスに息子夫婦と旅行したり。
私も一緒に新潟旅行に連れて行ってもらいました。
新潟で昔からの友人が料亭をやっていて、そこにご飯を食べにいくのが目的。
大好きな鰻を食べに行きました。
「おいしいね」って食べる姿は切なくて堪らなかったけど、本当に本当に幸せそうでした。
きっと叔母が死ぬまでに会いたいと闘病中に会いに行った人たちは、叔母の死後その愛情に気付いてくれたと思います。
カッコ良すぎる。私はそんな強さないです。

叔母はキリスト教徒として死んでいくことを選びました。
洗礼を受けてからは清々しい表情をしていました。
すごく切なかったけど、すごく綺麗でした。
そうやって死を選べる強さが素敵だなと思いました。

もちろん、闘病を間近でみて弱音を吐く姿も見かけたように思います。
「死にたい」という主張にどう返して良いのか迷ったこともあります。
実際にどう返したのかは記憶にありませんが、多分どうしようもない返答をしたような気がします。
弱い部分より強く見えた叔母が私の記憶にはしっかりとあります。

病状は医師の宣告通り着実に進んできていました。
自宅療養を続けていましたが、だんだんと難しくなり入院になりました。

2月11日。
母親からちゃんと話ができるうちに会いたいなら今だよ。
って連絡が来たので当時住んでいた千葉から会いに行きました。
もともと小柄な叔母でしたが、少し会わなかっただけでも分かるくらいにやつれていました。
叔母の病気が分かってから1つだけ決めていたことがありました。
絶対本人の前では泣かないこと。一番辛いのはきっと本人だから。
私が病室についてから15分くらいして先生がやってきました。
それまでは気力なく静かに横になっていた叔母でしたが、必死に「終わりにしたい」と伝えていました。
覚悟していたはずの現実がもうすぐ目の前に来ていることを実感しました。
涙が出てきました。どうにも我慢できなかったです。
そしたら叔母が私を呼んで「手を握って、顔を見せて」って言いました。
顔は見れなかったけど、手をギュッと握り、声に出して泣きました。
ちょうど看護師さんが来ている時で、看護師さんに
「可愛いでしょ?」
って話してくれました。私は最後まで愛されてたなと思いました。
小さい頃からすぐ近くに住んでいて、従兄とは兄弟のように育ちました。
叔母とも親子みたいな喧嘩をしたりもしました。
「やあやなんて大嫌い!」って叫んだこともあります。
でも私のことは変わらず愛してくれてたし、私も愛してたんだなって。
そうして鎮静剤の投与が始まりました。

それから3日後、叔母は天に召されイエスキリストの元で永遠の命を手に入れました。

その日私は不思議な経験をしました。
叔母が亡くなった時間帯は仕事中ででした。
急に気持ち悪くなって耳鳴りがしました。ほんの30秒くらいの出来事でした。
なんとなく嫌な予感はしていましたが、母から連絡が入り叔母のが亡くなったことを知りました。
お別れを告げられたのかなと思いました。
勝手にそう受け取って、勝手に愛情を受け取りました。

叔母の葬儀は教会で執り行われました。
たくさんの方にご参列いただきました。
キリスト教の葬儀でしたので、献花をする時間があります。
私は参列者の方にお花をお渡しする役を命じました。
お一人ずつお礼をお伝えしながら、時には労いの言葉いただきながらお渡ししました。
棺には従兄がスタンフォードの大学院を主席で卒業した際のアカデミックキャップを入れました。本人が希望したそうです。
従兄の主席卒業が決まり、記念の盾が送られてきたときに丁度居合わせたのを思い出しました。それはそれはめちゃくちゃ嬉しそうに眺めていました。
天国では嬉しそうに帽子をかぶってそうだな〜。
それを入れてと頼んだ叔母も、快く承諾した従兄も互いに対する愛があるなって思っています。

もし今叔母が生きていたら、あの時より少しだけ大人になった私を見せられただろうし、大切な相談もできただろうし、色々なものを一緒に見たり、食べたりしただろうなって思います。
無条件で愛してくれる人を思っていたより早く失った喪失感はきっと私が死ぬまで変わらないものかもしれないです。
でもそれで良いです。それがたぶん「愛情」ってやつだから。

うつの診断を受けてから、他者に対する愛情ってなんだろうって考えることが増えました。
友情含めて総称する愛情ってなに?って。
もちろん目に見えることはないし、大きさも容量もないものだけど、確実にそこにあるもので、
でも見えないからそこにあるって自分の中では確信してたのに全然なかったりすることもあって。
自分の自己満足になってしまったりすることも、人を傷つけることも、傷つくこともあって。
それぞれの価値観の中で、みんなそれぞれの愛情を配ってるわけだから、それの見極めって生きる上では難しいけどすごく大切なのかもしれない。

人間が全員持ち点100を持っていたとして、
他の人とかけ合わせて10000点みたいな感じで増やしていきたいタイプもいれば、
世には100点を足して200点にしていくみたいな、持ち点がずっと100点のままタイプ(言い方悪いな)もいて。
それはそれは様々な価値観の人がいる訳なんですよね。
どっちが良いとかそんなことじゃなく、それがそれぞれの個性だし、そういうことを理解して吸収した上でどうするかって話なんですよね。
良いと思った価値観は積極的に取り入れるし、違うなあと思えば流すし。
他者と100%理解し合えることは多分ないんだろうけど、どこまで相手を受け入れて、想像してあげられて、理解して、否定せずに心地よくすごしていけるかなっていうのを家族でも友達でも恋人でも大切にできればその先に愛情っていうものが生まれてくるんじゃないのかなと。
趣味が一緒とか好きな食べ物が一緒とか顔がタイプとかそんなのはあくまで付随して付いてくるオプションだと思っています。だからそんなふうに過ごせる相手を探しています。

なんだかまとまりないし、無駄に長くなりましたが愛情模索中ってことです。
基本的に変わらない、変わったものが好きです。
あと二日間お仕事頑張れば10日間のゴールデンウィークです。
美容院と体のメンテナンス以外に予定はありませんが、しっかり生き延びていきたいと思います。それではまたこんど〜

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