651Dの会(田辺高校1年D組同窓会)

 同窓会は10月16日水曜日催した。僕らは田辺高校第19回卒業生。1967年に卒業したが1年D組は1965年にバラバラになって、2年生に進級した。そして65歳で初めての同窓会を催した。651Dの会の名前の由来である。

 僕は39歳までは順風満帆のサラリーマン生活だったが、思ったことを口にしないではいられない性格が原因でその後左遷。子会社での生活が続いた。最後の5年間は元の技術職に戻ったが、辛苦をなめながらの現役生活だった。しかし人生捨てたものではない。妻との出会いもそう思う要因だが、素晴らしい優秀な友人たちに恵まれた、いや恵まれている。

 この1年D組で出会ったのが、百々君である。2年生になったとき彼とは別々のクラスになって、2年生の終わりに父親の仕事の都合で転向していった。小学校からのいやそれ以前からの谷口君、大学での鈴木君と石井君、職場での島貫君と大滝君。Uターンしてもいつでも連絡を取れる彼らと違って、百々君とは連絡を取る方法が無かった。

 僕と妻が昼間時間があれば必ず一緒に見ていた関西の人気番組「ちちんぷいぷい」。あるときそれを見ていた妻が「あなたさん(妻は結婚以来今も僕のことをそう呼んでくれている)近江八幡が映っているで。」と。近江八幡市は僕たちが結婚して初めて一緒に住んだ街である。テレビでは1人の男性がインタビューされている。男性は八日市市(現 東近江市)にある、「近江商人博物館」の館長で名前を百々孝義と紹介された。

 風貌と姓名からしてあの百々君に違いないと思って、番組が終わってから電話番号を調べて電話したが、すでに午後5時を過ぎており、「館長はすでに退社されました」とのことだった。FAX番号を聞いて、「もし貴方が田辺高校に在籍されたことのある、百々孝義さんならば、お電話ください。私は……」というメモを送った。翌朝9時早速彼から電話があった。1年D組は百々君以外にも会いたい仲間がたくさんいる、とても好きなクラスだったので、早速同窓会をしようと心に決めて、彼を含めて近しい人たち6人に呼びかけて実現する運びとなった。

 そして僕らが65歳の時に第1回1年D組同窓会を催した。第19回卒業生全体の同窓会が5年に一度行われる。それ以外の年は10月の第3水曜日に毎年行おうと申しわせて、今回で5回目である。

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