カレンダーをめくる
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カレンダーをめくるという行為は、なんだか不思議だ。
この間、ふと自分の部屋を見回したとき、
部屋にかかっている「March」でとまっているカレンダーに気づいた。
この部屋にいかに愛着がないか、いかに家で過ごせていないかを痛感した。
かなしかった。
最近は会社から帰ってくるとすぐ寝てしまうし、休日も出かけてしまうし、
家にいても、リビングにいることが多くて、
自分の部屋でゆっくりと過ごすことを忘れていた。
そんなこんなで9ヶ月以上、時間から置き去りにされたカレンダー。
本来、めくってあげないと、この子には存在意義がない。
だから私は、カレンダーを殺していたとも言える。
そういえば、カレンダーを買ってすぐの時、それこそ年明け直前の時って、
ぱらぱらっとすべてのページを見て、この絵が好きだから、早くこの月にならないかな〜、
なんて思いながら、来年のその月に思いを馳せてしまう。
この時は、未だやって来ないその月を、待ち遠しく感じている。
また、カレンダーはめくることが楽しい。
新しい紙に移る、という行為は、やっぱりさっぱりと気持ちよくて好きだ。
カレンダーもそのひとつ。
上部のミシン目でべりっと破く快さ。
それなのに、その月日を過ごしてみると、あれよあれよという間にその月はどんどん過ぎ去ってゆき、
私はカレンダーをめくることを待つこともできず、ただひたすら、時間軸の上をぴゃーっと駆け抜けるのに精一杯になってしまうのだ。
そうしてカレンダーは、置いてきぼりを食らう。
「忙殺される」の「殺」というのは、カレンダーを殺していることを表しているのかもしれない。
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