ハウツー本は待てない人のためのもの

先日、とてもショックなことがあった。

本屋で、ハウツー本に手が伸びたこと。

ハウツー本を無意識に欲してしまったこと。

ああ、何をやってしまったんだ私は…と自分を瞬時に咎めた。


私は、ハウツー本が嫌いだ。嫌いなはずだ。

(もちろん、ハウツー本にもいろいろな類のものがあると思うが、)こういうときはこう動け、こういうときはこう考えろ、と小手先の方法だけ書いてあるものは嫌いだ。そして、それを妄信的に実行しようとする人も嫌いだ。嫌いというか、そういう人にはなりたくない。そう思っていた。

それなのに私は、無意識にハウツー本を手にとっていた。愕然とした。


嫌いだ嫌いだと言ったけれど、全面的にハウツー本が悪いわけではない。受け取り方の問題でもある。「へ〜、こうやれば絶対大丈夫なんだ〜、やってみよ〜」というのが危険なのだ。本に書かれたその手法は、そんなに簡単に生まれたものではないはずで、その手法が生み出されたのは、その人自身の体験が蓄積されたからだと思う。その蓄積された体験を無視して、そこから生み出された結果だけ、なにも疑わず考えず使おうとするのは、軽率だ。

それでも、早くその方法を知りたくて、どうしても鵜呑みにしてしまう。


ハウツー本は、待てない人のためにあるのだと思う。

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