ハードカバーの本に、栞の跡

 ハードカバーの本に、しおりのひもの跡、ついていた。しおりで分けた2つのページに、うねったしおりの跡。これは、ハードカバーのかたさと、少しかたい紙の素材と、本と本に挟まれていた、本棚の中のひしめきや密度と、それからー彼が微動だにしかなかった時間の長さである。
 そうか、そんなに長らくご無沙汰だったのか。
 視界にはいつも入っていた。枕元の小さな本棚にいたので、毎晩寝るときに、タイトルがちらっと。そこにいる、ということはずっと認識していた。だから、開くのがそんなに久しぶりだったなんて、なんだか少し反省してしまった。君のことはずっと好きだったのよ、そこにいるというだけで、タイトルや佇まいだけで、買った当時の心に帰るような。開いてなくとも、私を静かに鼓舞してくれています。彼の静かなかなしみが胸にきて、思わず弁明。
 カバーは少し傷んでいて、ところどころ破けている。帯も気に入っていてつけたままだが、何かがこすれた跡がついている。紙の色がそこだけはげており、触ると少し毛羽立っていて、跡がついた瞬間の激しさを思う。周りの本を出し入れした時についたのだろうか?それとも、あなたを買ってすぐに、レジの人のブックカバーも断って、電車の中でぼんやりと真剣に読みふけっていたから、外傷に気づかなったのかもしれない。
 あなたに出会った藤沢の有隣堂で、私は研究がよくわからなくなっていた。ちょうど一年前だった。先生に相談する日の当日だったか前日だったか。研究になりそう、という予感を信じて進めていたのに、これが発表の際にどんな形になるのか、果たしてそれで研究といえるのか。今まで漠然と抱いていた不安が、おばけになって立ち現れたのだ。助けがほしい。そういう時は、私の好きな人・尊敬する人の言葉に触れに行く。

 有隣堂の、詩のコーナーが私のエナジーになることは、卒論の頃から知っている。まるで・・・まるで・・・なんだ?こういうのって、なんて表現すればいいんだろう?あそこに行けば、きっと何かが歩を進めてくれる、という存在・・・師匠かな。気持ちも考えもまとまっていない状態でたどたどしく話しても、“それはいい予感だよ”と認めてくださる。
そう、今日もまさに、この時と同じ状況で、これを手に取った。これが研究といえるのかもやもやぐにゃぐにゃとずっと考えてきて、あ、ちょっと師匠のお言葉に触れよう、と思って、佐伯先生の『認知科学の方法』のまえがきと最初の九ページを読んだ。そしてもう一冊、何か今の私を認めてくれそうな、あるいは歩を進めてくれそうな、これを手に取った。
やはり、あなたはいつも一緒に行動する相棒ではないのだ。そこにずっといてくれるという事実に日々安心し、本当に困ったとき、迷ったときだけ、開くもの。何かの切り札のような。
こうして考えてみると、あなたと私のこういう関係が、まさに跡に表出されている。
あなたの周りは激しく動いていて、私はその激しい中で悩んだり、もがいたりしているのだけれど、あなた自身・あなたの中身は変わらずそこにいて、しおりもわずかにも動かさずにずっとそこにいてくれて、そのままくっきり跡がつくほどどっしりと構えてくれている。


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