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平成の研究〜平成から令和への旅〜夜会考④

 およそ100年前、キュリー夫人がラジウムを発見して以降、人類は原子爆弾を手に入れ原子力発電を手に入れ、現在原子力宇宙船が開発されようとしている。
しかし、たった100年前キュリー夫人がラジウムを発見した当初は「それが何に使えるのか?」はわからなかった。
その時点では人類にとって「太陽が何故光っているのか」という謎が解明されたに過ぎず、キュリー夫人の発見がその100年後の我々にどれだけの影響を与えることになるのか、その当時の人類もキュリー夫人本人もわからなかったであろう。
発見当初は放射性物質の危険性も分からなかったため、キュリー夫人は研究に用いた放射性物質が原因で再生不良性貧血を患い1934年に亡くなっている。

つまり、当たり前であるが、研究とはその最中はこれが何なのかわからないのである。
わからないから研究をしているのだが、人は安易に「そんな研究何になるんだ?」と研究者に心無く発言してしまうものであるが、研究者本人も「それが何になるのか」はわからない。

「そんな研究して何になるのか?」という疑問自体がお門違いであり、野暮な発言なのである。
その時はわからない、しかし未来にはこの研究結果が何かになると信じて研究者は果てしない研究の海に出るのである。


平成31年4月31日夜9時つまり平成が後3時間で終わろうとしている夜、私は雨の中急いで皇居を後にして家路を急いでいた。
皇居へは退位礼正殿が行われており、多くの見物客と日本のみならず世界各国の報道陣がいたが、自分が居た門から皇族の方々は出てこられず、警察官もマイクで「皇族の方がここから出て来る予定はありません!」と何度もアナウンスしていたが、多くの見物客は平成最後の皇居の写真を撮ったりただぼんやりと眺めたりしており、私もしばらく写真を撮ったりアルジャジーラ速報の後ろに映り込もうとしたりしていたが、どうしても夜には帰らなければならなかった。
それはおおがきさんのツイキャスが平成の最後に放送されるはずだと信じていたからである。

信じていた、というのは確証があったわけではないが、必ず放送されると漠然と信じていたのだ。
私とおおがきさんとは数年前からパブリックスペースの研究を始め研究者として多くの研究を共にしてきた。
その一貫として去年の9月からツイキャスをやっており、その経緯は前回のブログで触れたので割愛させて頂くが、ツイキャスを通じて日々の研究を進めていく中我々は取り組まなければならない研究テーマにぶち当たったのである。
「平成の研究」である。


私は平成の直前昭和60年に生まれたので、物心ついた時から今までの人生はほとんどが平成であった。
おおがきさんも少年時代に平成を迎えたので、平成そのものが人生と言っても過言ではない。
しかし、私は平成の終焉目前にしてある感情がふつふつと湧いてきたのである。

「平成がしっくりこないまま平成が終わってしまうではないか」

平成研究に取り掛かるようになる以前、いつものようにおおがきさんとツイキャス夜会で別の研究テーマについて盛り上がっている時、(全然ロリコン犯罪者じゃないですよと周囲にしっかりアピールしながら危険な所を歩いている子供に危ないよと促す方法についての研究など)ふいにおおがきさんが話の脈絡とは関係無く「そんでもって平成も終わってしまうっつーじゃない!」と言った瞬間、私は寝耳に水と言うのだろうか、こんだけ日々「研究研究」豪語しておきながら、肝心の今生きている平成を研究していなかったことに気づかされたのである。
我々は平成を研究で駆け抜けたように思っていたが、平成自体を研究していなかったのだ。

私は若い頃からやたら物事に対して斜に構え、主流を嫌い、ムーブメントを疑い、脇道から俯瞰であらゆる事象を分析し「研究」と言う形で消化して生きてきた。
しかし、その為何に対しても乗り遅れ、何のムーブメントにも乗り切れずやっかみに近い小言で揚げ足を取り続ける面倒な老人に片足を突っ込みかけていた。

平成の何にも乗り切れず、もっと自分らしい平成は未来にあるはずだとあらゆるものを先延ばしにしたまま、何の本番も来ないままその平成が終わってしまう。

翌日職場に行って作業をしている最中もおおがきさんのふいに行った言葉が度々頭の中で鳴り響いていた。


「そんでもって平成も終わってしまうっつーじゃない!」


平成の残り二カ月、たった二カ月ではあるが、まだまだ時間はある。
出来ることは沢山あるのだ。
仕事が終わっておおがきさんに連絡し、平成最後二カ月のラストスパートを平成の研究に費やさなければならないことを告げるとおおがきさんも近しいことを考えていたのだろう、「そうなんだよ!」と言っていた。

こうして二カ月の果てしない平成研究の旅が始まったのだった。

まず平成の研究、と言っても30年間もある平成を全て網羅するには日にちが限られているために研究の手法を割り切って絞らなければならなかった。

私の場合は「しんやく」という手法を取り入れた。

「しんやく」とは数年前、大阪でおおがきさんとパブリックスペースでの夜会での議論の末たどり着いた手法で、簡単に言うと歌や小説など既存を新たに自分なりの解釈で訳して行くことであり、全く別の物語が現れると新約聖書のように別の一冊が出来上がることから、「新訳」と「新約」の二つの意味で使っている。
※以後新訳

私はこの「新訳」という手法を使って平成のヒットソングを一から解読する作業に徹した。
おおがきさんは「平成元年からウィキペディアを読み込み一年ずつ解読して行く」という手法で研究を始めた。
(その年々でキーポイントであろう曲は新訳していた)

この模様はお互いのツイキャスにて記録しているので、是非合わせて聴いて頂きたい。

一つ例をあげるとすれば、平成の前半から中期にかけて大ヒットしたGLAYのHAWEVERという曲。


サビを見てみると
「絶え間なく注ぐ愛の名を、永遠と呼ぶ事ができたなら、言葉では伝える事が どうしてもできなかった、愛しさの意味を知る」となっており、これを新訳していくと、「絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼ぶことができたなら」とはどういう状況か?
「絶え間なく注ぐ愛の名を」なぜ「永遠」と勝手に言い換えようとしているのか?
しかし、その続きは「言葉では伝えることがどうしてもできなかった」とあり、愛を永遠と勝手に言い換えて会話を進めたために言いたいことが伝わらなくなっている……。
そしてサビの終わりは「優しさの意味を知るー」と続く。
会話の意味は全く伝わらないけど、相手はわかってるフリをしてくれたのではないか?
というように一語一語を分析し新訳していくというのをサビだけでなく一行目から最後まで歌詞の全てを解読していくことにより、平成に何が隠れていたのか?ということを発掘していくのである。

※ツイキャスでの新訳の様子・「平成の研究、GLAYのHOWEVER解読

これは一曲だけでかなりのエネルギーと時間を要する。
時には全く新訳できない曲にもぶちあたったりした。
特に平成の後半に進むにつれて新訳が二進も三進もいかない曲ばかりが台頭してきたのもこの研究を進めたからこその発見であり、おおがきさんも「ここら辺の時代から新訳家泣かせの新訳ガードがある曲ばかりになってきてるよ!」とかなり苦戦していた。

一語一語解読を進めるために仕事で朝7時起床にもかかわらず朝5時近くまで新訳に費やすこともザラであった。
しかし、おおがきさんも同じく次の日仕事にもかかわらず朝方まで平成の研究に徹していた。
平日は一人でツイキャスにて平成研究を進める、土日はおおがきさんとツイキャスコラボ夜会にてお互いの研究の状況を話し合う、というリズムがいつしか出来上がっていた。

つまり、やむ終えず休む日もあったが週7日まるまる平成研究に没頭しており、まさに「寝る間を惜しんで」毎晩研究していた。

そして平成もあと残り10日となった時、私は頭痛と目眩とくしゃみという謎の奇病にやられ完全に体調を崩してしまった。
仕事中もなんども目眩が訪れ、作業が捗らない状況に陥っていた。
いつかこうなる気はしていた。
研究中の物質が原因で自ら健康を害してしまう研究者のそれのように、研究者なら誰しも背負っているリスク、ミイラ取りがミイラになってしまうリスク。

そして私は体調不良のまま一つの大きな不安が過っていた。
おおがきさんは大丈夫だろうか?
そういえば珍しく三日間ツイキャスでの平成研究を休んでいた。

そして、その夜恐る恐るおおがきさんにLINEをするとしばらくして一言返信がきた。






「声が出なくなりましたー」





私は「いかん!」と叫んだ。新時代を幕開け目前にして二人して力尽きては本末転倒ではないか。

残り少ない平成を健康に無事にいなければならないのだが、我々はいささか焦っていた。
新元号が「令和」と発表され、平成研究も佳境に入りずっと先送りしていた曲、平成で最も売れた曲「世界に一つだけの花」の新訳という大仕事に慌てながら差し掛かったのだ。
しかし、「世界に一つだけの花」に取り掛かった瞬間、何故か配信をしているパソコンが何度やってもフリーズして配信が止まるのである。
そして手分けして別々の曲を新訳していたおおがきさんも、この事態を見てこの曲の抱える巨大なエネルギーを察し、翌日から「世界に一つだけの花」の研究に取り掛かった矢先に体調を崩したようである。


おおがきさんの返信は、

「世界に一つだけの花は何らかの力で解凍を拒んでいるようです」

と続き、
「ナンバーワン、オンリーワンで韻を踏んでいると見せかけて説明が足りない、もしかすると別の○○ワンが続くのかも知れない………もしかして犬?」


という衰弱した最中にもかかわらず途中までの最新の研究結果を教えてくれたのだった。

「私に言えるのはここまでです………メイ、レイワ、ビー、ウィズ、ユー」

と最後に告げ、シュワルツェネッガーの画像と親指を立てたLINEスタンプが送られてきて交信が途絶えたのだった。
おおがきさんがもはやスターウォーズのヨーダのように半透明のようになっていることは容易に想像出来た。


「May the REIWA be with you」


「I'll be back」


私もかなり体調を害していたが、残りの研究はまだまだやらなければならず、「おおがきさんは必ず復活する」 そう信じて平成最後まで研究を全力で費やすしか道は無かった。




平成31年4月31日夜9時。
つまり、平成が後3時間で終わろうとしている夜、私は皇居の前にいた。
この二ヶ月、毎日平成研究に費やし、「やるだけのことはやったんだ」ということ、そしてその平成が今日で終わるということ、その何とも言えない時代の一場面を、研究者として一目見なければならないと思っていた。
かなりの雨が降っていたが、かなりの人が皇居を眺めていた。
立ち去る前、少し離れてもう一度数秒皇居を眺め「この時代とは何なのだろうか、そして時代とは何なのだろうか」と思っていたら、何かの帰りにふらりと寄った風な派手めな格好をした若い女性二人が皇居を一目見て「エモっ!」と言っていた。

「この感覚、エモいだったのか」

最後にこの平成研究にずっと渦巻いていた感覚、研究が進めば進むほど心身共に疲れ果てていくこの感覚、「エモい」だったのか。そうか、ずっとエモかったのか。

私は最後の最後に寝耳に水感とエモいの大発見の感動を抑えながら、急いで皇居を後にして家路を急いだのだった。

「令和までに回復出来れば」

おおがきさんはそう言っていた。おおがきさんは必ず復活するはずだ。

健康を害しながらも平成研究で平成最後を全力で駆け抜けたおおがきさんの復活を見なければ、平成の研究は完成しないのだ。

急いで自宅に帰り復活の知らせを待っていたが、残り2時間、残り1時間と容赦無く刻一刻と平成は終わりに近づいていく。
気づけば23時45分になろうとしていた。
平成も残り15分。
おおがきさんは思っている以上に体調不良なのかも知れない、そう思った矢先にiPhoneにツイキャスから通知が来たのだった。

「おおがきさんがツイキャスをはじめました」

急いでパソコンの画面を見るとスクリーンに「平成を掲げた小渕さん」が映し出された。

そして、聴き覚えのある曲が威勢良く流れはじめたのだった。

ZEEBRAさんのstreetdreamsだ!


https://youtu.be/Uu8Oan_WI9c※↑聴いたことのない方は是非YouTubeにてお聴きください。



流れ始めたのはZEEBRAさんのstreetdreamsであったが、イントロが終わって歌い出したのはおおがきさんの声だった。



「ただマイク握りたくて!夜な夜ながむしゃらにブラザー達かき分けて! あれはナインティーナインティやたらとファンキーだけれどもただのパンピー!何だこの変なジャァッパニーズ!みたいに見られてマジかったりぃっ! 」


確かにおおがきさんの声であった。本意気でラップをするおおがきさんの声であった。
チャンピオンが帰って来た!何だかわからないが私はそんな気持ちになっていた。
まだ本調子ではない掠れた声でおおがきさんは続けた。



「テレビにラジオっ!新聞も世界が動く俺が韻踏むとまさにWorld Is Mine!変わりづらい
この世界変えるここFar East Side! 何だって本気でやりゃ叶う成さねばならぬだから成せばなるきれいごとだとか言うな マジでうるせぇ!俺のこの人生で証明するぜっ!」


我々はスポーツや格闘技、テレビや映画、漫画、平成の30年数多くの復活劇を目にして来た。
しかし、ここまでの復活らしい復活を真の復活を自分はかつて見たことがあっただろうか。

不死鳥だ。
平成の終わりに私は不死鳥を見た。

おおがきさんはZEEBRAさんの絶妙にかっこいいトラックに合わせて続けた。



「俺がNo.1ヒップホップドリーム!不可能を可能にした日本人! これが俺のスタイル!俺のヴァイブス!ぜってぇ誰も真似できねぇ俺のライフ!ヨウッ!掴めNo.1ヒップホップドリーム!胸はれ誇り高き日本人!声上げな!声上げな!声上げな!みんな声上げなっ!!」




気づけば私は立ち上がって両手を挙げて踊っていた。
平成を生きてよかったと思った。
いつもつまらなく、いつも誰かと食い違い、嫌なことばかりだった平成を最後まで生きてよかったと思った。

何て楽しいんだ平成。

何て輝いているんだ平成。

ありがとう平成。



「道半ば!奴らっ!ハード過ぎて箸投げた奴らっ!都会に飲まれた奴らっ!今じゃ連絡も途絶えた奴ら今どうしてる! 」



おおがきさんはもはや吐血してるんじゃないかと心配になるほどの本調子でない掠れた声で、気づけば2番、3番と歌いづづけ、ツイキャスのオープニングで一曲まるまる歌い上げていた。

そして、その後急遽ツイキャスのコラボ配信にて久々の夜会を開催し、夜会の最中に0時になり何とか無事に新時代「令和」を迎えることが出来たのである。
平成を生き抜き、且つ平成研究をしてきたお互い労をねぎらい祝杯をあげたのだった。

そう、研究に研究を重ねた「平成」が終わり遂に「令和」が始まったのである!
ついにこの瞬間平成が終わりを遂げたではないか。

紆余曲折はあったが、「平成の研究」と称して心身共に疲労し健康を害すまでの過酷な平成の研究、令和へのオデッセイな旅は、これにて無事に終了したのであった。


キュリー夫人の研究ノートは100年以上経った現在も放射性物質を出し続けているらしく、厳重に保管されており、未だに不用意に触れることは出来ないという。

この「平成の研究」が遠い未来に何になるのかはまだわからない。

夜会の最中に令和になり、お互い東京と大阪で乾杯をしながらも、おおがきさんは「いやー!そんなことより南くんは渋谷のスクランブル交差点とか行かなくていいのかよ!令和からはそういうの行かなきゃダメじゃないか!パーティーピーポーじゃないの?」とこれからの研究を心配するほど見事に大復活していた。



※ツイキャスにて行っていた「平成の研究」やおおがきさんとの夜会やその他の日々の研究はツイキャスに全て録画を残していますので、気になる方は是非視聴してくれると幸いです。

○おおがきさんのツイキャス

○木石南のツイキャス



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