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第1話(プラザ合意)

失われた10年・20年の責任を擦り付けられいている、竹下登(大蔵大臣)と澄田智(日本銀行総裁)の、プラザ会議とは、昭和最後、日本経済は世界最強だった。そこで、欧米が「日本をぶっ潰す」ために開いた会議が「プラザ会議」である。その目論みを阻止すべく会議が開催されるニューヨークのプラザホテルに、単独で乗り込んだのが、我が日本の竹下登だった。その会議の直前、米国は日航ジャンボ機を御巣鷹山に墜落させ竹下(日本)を脅(おど)している。竹下登の奮闘も実らず、会議は20分で終了、結果、日本経済を崩壊に追い込む為に仕組まれた『プラザ合意』を、日本は飲まされる事になる。その後、バブルは崩壊、失われた10年、さらには、20年が始まり、現在に至る。

日本航空123便墜落事故(1985年)死者520人、生存者4人、今尚、世界最悪規模の犠牲者数を記録する墜落(御巣鷹山)事故ではなく、クーデター(暗殺)である。あの時代、大阪まで、東京から、日航のBOEING747を、普通に利用していたのは、誰、例えば、石原慎太郎の知人達、5名、犠牲者になっている。あの夏、あの日、あの時、あの飛行機に乗っていたのは、いわゆる、政財界のVIP(黒社会のフィクサーも含まれる)。アメリカ合衆国は、誰を殺したのだろう。揃うものは、全部、揃っていたのだろう、意味もなく、あの飛行機を狙ったわけではないだろう。事実、現在のウィンドウズやアップルを遥かに上回る、世界的なメガヒットと量産体制が確実視されていたパソコンの日本国産OS「トロン」の主要な技術達も犠牲者となっている。

あの時、小学生だった、夏休み、佐渡に旅行中だった、帰京する時、父親がたまたま民宿のテレビをつけたら、繰り返される、緊急速報の字幕、「日本航空123便がレーダーから消えました」、父親が、真剣に考えこんでいたのを覚えている、レーダーから消える、そんな現象はいまだかつてなかったから、そう、父親が言っていたのも覚えている。最近の若者達はもう知らないだろう。「上を向いて歩こう」を歌った坂本九は、御巣鷹山に墜落している。

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