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「友」でいること

「友達がね、結構辛い立場にいるのよ」

そう言って友人は事情を話し始めた。
そういえば、私にもそんな友人がいるな、と思ったので、今回は私が友人だと思っている人の話を書こう。

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私は、この友人との付き合いは長い。

この友人も今、精神的に大変な状況に追い込まれていて、とても心配しているけれど、自分はお節介なくせに、他人のお節介を怒りを込めて否定する人なので、私は見守るだけ、なにもしない決めていた。

多分相当まいっているはずだ。
とはいっても、他の人達とおしゃべりをしたり、新しい恋人候補を物色する元気はあるらしい。
空元気だとしても、それで気が紛れるならいいと思っている。

ただ、空元気だと感じるから、余計に心配になってしまう。
強がりなところも、弱いところも知ってるからなおのこと。
心配すまい、すまいと思っていても、私自身は友人だと思っているから、やっぱり心配なのだ。

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でも、だからこそ残念であり、悲しくもある。

辛いなら辛いと言って欲しいし、八つ当たりでも何でもして欲しい。
いくらでも聞くし、それこそ、深夜早朝にだって構わない。
私にとっては友人であることには間違いないから。

実のところ、私が勝手に友人だと思っているだけで、結局のところ友人にとっては私なんて友人の部類に入っていないのかもしれない。
ただの知り合いでしかないのかもしれない。

私みたいな人間なんて、自分の友人であることを隠したい、いやむしろ、恥じているのかもしれない。

それは仕方がない。本人が決めることだ。
自分と他人の関係性など、他人の意思などで影響されることではない。
自分の感情で判断すればいいことだから。

私なんかが友人でなくとも、友人はたくさんいる。
私なんて必要はない。

私は友人だと思ってたけど、ただの独り相撲だったのかもしれない。

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たった一人の人間を支えることもできない。
力になることすらできない。

たった一人の人間に希望を与えるどころか、助けにもなれないのに、私は果たして生きている意味があるのだろうか。

「そんなことないよ」
「いるだけで励みになるよ」
そんな定型文の小手先の励ましなどいらない。
そういうことじゃないんだ。

大切な人すらも守ることができない。
私自身の存在意義を失わせる充分すぎるほどのダメージなのだ。

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私はネガティプ志向が強いので、よく自分の存在意義を考えることがある。

私なんていなくてもいいんだ。
私なんか誰も相手にしない。
私なんかいなくても、代わりはいくらでもいる。
私なんかいなくても、世界は何も変わりない。
私なんかいなくなっても、日常は何も変わらず過ぎていく。

でも私は、こうして産まれてしまった。
そして今、ここにいる。
仕方ないから、生きている。

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元々お節介である私は、最近お節介をしないようにしている。
助けが必要であるとしても、本人が希望しなければ意味はない。
心配したりやきもきすることはあるけど、あえて口も手も出さない。

たまに我慢できずに、お節介してしまうことがある。
でも、お節介をすると、後悔が襲ってくる。
その人のためになっていなかったらと思うと、懺悔してしまう。

「人の役に立つ」
聞こえはいいが、その人にとって必要で、その人のためになることではないと、ただの迷惑行為でしかない。

難しい。

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私にとってこの人は、大切な友人。
どう思われていようと、友人であることには変わりはない。
支えになりたい、助けになりたいと今でも思っている。

それは、私が私であるためのもの。
「本当の自分」
が感じた、
「人としての心」
かもしれない。

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<終わり>

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