不治の病こと“アイデア枯渇症候群”に抗う唯一の方法

カーテンの隙間から朝日が覗き込む。少しずつ葉も芽吹き始めてきた桜が、今日の始まりを伝えてきた。例年より少し暖かい四月の朝が僕に朝を告げてk....

──いや、どうでもいい。こんな詩的な導入なんてどうでもいい。

全然いつもの朝。なーんにも変わらないいつもの朝。いつも通り小汚い部屋で枕をヨダレで濡らし足元には丸まった靴下が毛布に絡まってる普っっっ通の朝。

だがこの日の僕は、前日から病に伏しているのだ。

インフルエンザなんかより、わりと頻繁にかかっては繰り返す、不治の病こと“アイデア枯渇症候群”。

文字書き屋でも、絵描き屋でも、作曲家でも、芸術家でも、そして創作屋に限らず一般的な営業職の人だって、“アイデア”に携わる人すべてに蔓延する厄介な病だ。

コイツが発症してしまえば、もうシケたツラして蛍光灯のヒモを眺めるくらいしかやれる事がなくなる。

現代医学では、この病に特効薬は無く、発症してしまったら、『自分の過去作品を見直す』とか『好きな人や憧れの人の作品を見る』とかして“アイデアのヒントを探り出す”ってのが一般的な対処法だ。


だがしかし。僕レベルのベテラン罹患者になるとこんな行為なぞ、インフルの時にタウリン1000mg配合の某ドリンク飲んで寝るくらいの気休めにしかならないのだ。

というか多分みんな気づいてると思うけど、そんな必死になってアイデアを探したところで簡単に出てきたら悩まないんだわな。そしてまた負のループにハマる。

『こんなに考えてるのになんで何にも出てこないんだ…』『こんな悩むなんて、才能ないのかもしれない…』『どうしようどうしよう、もう辞めようかな…』

かつての僕もそうだった。依頼された原稿を書こうにも、縛りのないブログを書こうにも、ツイッターになにかボヤこうにもアイデアどころか愚痴すら湧いてこない。

こりゃもうどうしようもない。焦りと自己嫌悪に押し潰されきって、もはや闇と同化し始めた時、急に悟った。


『もうええわ。遊び行こ!!』


これが、今の僕のスタンスである。

どうせ何も湧かないなら、頭からっぽにして、気ままに街をフラつくのだ。


まったく計画性なんてない。ぶっちゃけアイデア探す気もない。ただ思うままに理由も考えずフラつく。これがいい。

今日はそんな日にしよう。

とりあえず駅前に来て、僕の目に飛び込んで来たのは“献血カー”だ。

お、ええやん。血抜いたら邪気も抜けるかもしれん。その程度の理由でとりあえず400mlほど捧げて来た。

『O型は助かります。全国的に不足してるんです。それに万が一の場合O型の血液は代用させることもできるのでたくさんあると助かるんです。』

へーって思った。なんかアイデアが浮かんだ気がした。

謝礼にドーナツとフィナンシェとコーヒーとレトルトのカレーと春雨スープと歯磨き粉とラブライブのタイアップクリアファイルを貰い、めっちゃくれるやん献血ヨーソローと思いながら献血カーをあとにした。


ちょっと歩くとフラっとした。400mlも体内から血が抜かれるとそりゃ貧血チックにもなるもんだ。

思わず『血が足りねぇ...』と戦闘後のアニメキャラのような独り言を零し、
(うわ、言えた!こんなセリフ日常で使う事ないと思ってたのに言えた!やべぇ、嬉しい!)と街中で独身アラサーライターは内心ニヤニヤし、イタイ空気感を纏ってみたりした。

さて、ドーナツとフィナンシェじゃ物足りない。なんかメシ食おう。

(なに食おっかな。血足りないし肉食いてぇな。つっても昼からいきなり肉とかどっかやってっかな、、、あ!)


うん。いきなりステーキに行くことにした。

今まで何度か行った事はあるけどこれほどまで店名にしっくり感を覚える日がくるとは。

とりあえず400ml抜いたから400g食えばチャラだな理論を展開し、肉を頬張る。ただ頭を空っぽに、ただただ美味いと頬張る。これがいい。これでいい。


ガッツリ腹ごしらえも済んだし、一息コーヒー飲もう。近場のドトールを覗くと満席っぽかったので隣のマクドナルドに寄った。

コーヒーとアップルパイを頼み席に着く。パソコンを開きとりあえずメールを確認してる時ふと思った。
(やば。おれいまマックでMac開いてるやんけwオモロwww)

しょーもない事にまたニンマリし、外に出た。

それからちょっと本屋寄ったり、街行く新社会人の初々しさに胸打たれたりとなんて事ない“お出かけ”をして家に帰った。

するとね、不思議なもんでいろいろ湧いてくるんよね。

『日常で使えるアニメ台詞言ってみた』とか『いきなりいきなりステーキ行ってみた』とか『マックでMac開いてみた』とか。直接的ではないにしろ何かしらの“突破口”みたいなの。

いやいや、マジふざけてんの?って思う人もいるかもしれない。
でもね、これが意外に1番の近道だったりする。

もちろん僕も最初は『仕事ほったらかして遊ぶとか正気の沙汰じゃない。こんな事しててホントダメなやつだ』なんて自己嫌悪になったりもした。なら一人で部屋にうずくまってモヤモヤしながら終わりの見えない問いに向かいあい続ける事が正解なのかというとそれは違うし、実はそれこそが最も深みにハマる沼だ。

真面目な人ほどこの沼にはハマる。真面目な人ほど真剣に向き合い過ぎてしまう。これは“不真面目への自己改革”という少し勇気のいる行為だ。

勇気を持って日々に立ち向かってる貴方なら、その角度を少し変えるだけで報われる勇気に変えられる。

行き詰まった時ほど、不真面目に。

急がば回れ、急がば遊べ。

シケタツラしてもがくからいなら、
ヘラヘラ笑って切り開いてみるのも
結果は変わらなくないかい?

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