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(好きな詩)わたしたちが正しい場所 

わたしたちが正しい場所 

イェフダ・アミハイ

わたしたちが正しい場所からは
花はぜったい咲かない
春になっても。

わたしたちが正しい場所は
踏みかためられて かたい
内庭みたいに。

でも 疑問と愛は
世界を掘り起こす
もぐらのように 鋤のように。

そしてささやき声がきこえる
廃墟となった家が かつてたっていた場所に。

(村田靖子訳)

*****

イスラエル・パレスチナにおける、いつ果てるとも知らない紛争に、やり場のない憤りと無力感を感じる。ハマスのテロ行為は断じて容認できないが、ここに至るまでには長く複雑な歴史の紆余曲折があり、簡単に白黒つけられるものではない。

いやむしろ、白黒つけようとする単純な善悪二元論的な姿勢にこそ、問題の最終解決を阻む原因が横たわっている気がする。大義名分はしばしば破壊と殺戮の原動力となる。そして、そこで流された血が、次の世代の報復のための大義名分となる。そこには「善人」も「悪人」もいない。いるのは「死人」のみである。

上の詩は現代イスラエルの詩人イェフダ・アミハイ(1924ー2000)の作品。アミハイはドイツで正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれ、生涯の大半をエルサレムで暮らした。若くしてユダヤ教を捨てた彼の詩には、宗教や政治に対する冷めた目と、市井に暮らす普通の人間に対する温かいまなざしが交差する。

この詩では自らの正しさを声高に主張する者たちの土地が、踏み固められた不毛な地にたとえられている。しかし、アミハイの語る「正しさ」は、「不正」の対義語ではない。なぜなら、ある人々にとっての「正義」は別の人々にとっての「不正」となることもあるからだ。むしろ彼はいのちを圧殺する「正しさ」に、「疑問と愛」を対置する。何事も鵜呑みにしない健全な批判精神と、他者に対するあたたかく寛容な態度。このどちらも必要なものであろう。それらは地を掘り起こし、柔らかくする。新しいいのちが芽吹くために。

パレスチナの地で、そして世界のあらゆる地域で、廃墟の中から「ささやき声」が聞こえてくる日が一日も早く到来することを願ってやまない。


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