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ドジャーズスタジアムのツアーに参加したら大スターに会えた


球場の駐車場入口

ロサンゼルスのドジャーススタジアムの
ツアーに参加してきました。


グッズショップ

「ここは日本か?」と思う位たくさんの
日本人観光客でなんかちょっと照れました。

球場

入口を入ったらすぐにこの景色。

元々英語のツアーで申し込んでたのに
日本語のツアーに入れてもらえる事になり
めっちゃ嬉しかったです。

人数は6(英語)対4(日本語)って感じ。

日本人の方はほとんどが日本から来られた
観光客でした。

メディア室
解説席

3段あるのですが、1段目がドジャーズと
対戦相手のチーム付きのメディアの解説席で
2段目がそれよりちょっと距離のあるメディア、
3段目がインターナショナルチームや
ローカル番組のメディアなどが座るそうです。


ブルペンカー

このブルペンカーは1974年まで使われてました。
私が生まれる前にすでにこんなかわいい
デザインのブルペンカーを使ってたなんて!

1人の投手が「せっかくブルペンで体を作ったのに
こんなのに乗って座ったらまた体が鈍る」と
言ったのをきっかけに他の投手も乗らなくなった
そうです。

帽子の変遷

ロサンゼルスに来る前、ドジャースは
ブルックリンにあったので「B」が付いてます。

あまりに調子が悪かったから1937年に
ゲン担ぎみたいな感じで1度帽子を緑色にしました。
すると、そのシーズンはチーム全員合わせてたったの
36本しかホームランが打てず、200回もエラーを
してしまい、次の年からまた青と白に戻しました。

ドジャーススタジアムは山を切り開いて
作られました。
当時の最先端技術で作られましたが、
その技術は今でも新しい球場を作るときに
使われています。

ちなみに、ドジャーススタジアムの周辺は
我らがリトルトーキョーを始め、
ものすごく異国感のあるチャイナタウン、
メキシカンタウンがあります。

ロッカールームの展示

左から古い→新しい

優勝記念指輪


チャンピョントロフィー

優勝トロフィーは1967年から
もらえるようになりました。
それまでは黒いバットのみ。
真ん中のトロフィーはティファニーです。
なんかシュッとしてる。

広島で親善試合

1956年のシーズンオフ、ドジャースが
日本の広島に来て親善試合をしました。
そのときの記念トロフィーです。
原爆を悼むメッセージを届けてくれました。

この時、ジャッキーロビンソンが来日しましたが
米国に帰るなり「トレード」と言われて怒った
ロビンソンは、そのまま引退したので
彼の最後の試合は日本、という事になりました。

ちなみに、日米親善野球は明治時代から
やってるらしい。(1908年)
大隈重信が始球式をやった。

ゴールデングラブなど

ロッカールームからスタジアムに向かう為の
廊下とエレベーター。


ここを見学してたら。。。。。。。!!!!!!!

えーーーーー!!!!
大谷翔平選手と一平さん!!!!

声も出せないぐらいの緊張が
ツアー客の中に走り、長い間震えが
止まりませんでした。

ラッキーなツアー客は、たまーに選手に
会えるそうで最近も大谷選手と一緒に
日本の選手が2人ほど歩いてたそうです。
(一応名前は伏せておきます)

ラウンジ

なかなかな値段の座席を購入した人が
入れるビュッフェ付きラウンジ。

私は2009年WBCの時にたまたま
人からこの席を頂き、ラウンジを
利用した事があります。
その時、トミー・ラソーダ氏と写真を
撮ってもらって感動した想い出のある
場所です。

ラウンジから観客席に出れます。

ドジャーススタジアムは過去5000試合
(コンサート含む、だったかも)
やった中で雨天中止はたった17試合です。
雨が少ないから。

「選手(この日は大谷選手)が来てる日は、
ビジター側のベンチしか入れません」
って言われてたんだけど

直前に「大谷選手が帰ったからホームチームの
ベンチに入れる」と連絡があり、ラッキーな事に
こちらのベンチに来れました。

ちなみに、ドジャースのベンチは3塁側です。
西陽が酷い方がビジター席だそうです。

3塁側にベンチがあるホームチームは
12球団もあるんだって。
日本ほど「1塁側!」っていうのが
重要ではないのですね。

新人王の写真。
野茂さんも!!

大谷選手がさっき乗ったエレベーターです。
きっとこのボタンも触ったハズ。

ご利益があるに決まってます( ´艸`)


今日もありがとうございました。

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