ひとりしばい「ラルスコット・ギグの動物園」

Theater Mixaにて、ひとりしばい「ラルスコット・ギグの動物園」クレバオーヌ編を観劇。

下野さんの芝居が大好きだ〜〜〜〜としみじみ感じた作品となりました。


今回の会場であるTheater Mixaは初めて行った劇場だったので、それだけでもいつもの観劇よりわくわく。そして会場に入ってからは、そこはすでにラルスコットギグの動物園の世界が広がっていて、さらにどきどきわくわく。ディズニーのエントランス入る前からBGMで気分がさらに高まる!みたいな☺️

動物の鳴き声が聞こえるし、開演前のアナウンスも動物園風で、始まる前から世界観に入っていけました。

こういう演出好きだな〜。配信のほうも、会場に入る視点から動画が始まっていて、映像の演出も素晴らしい・・・!て感激しました。いくつか配信を見ているけど、こういう演出しているのは見たことなくて、ただの配信じゃなくて、配信も含めて「作品」としてつくられていることが愛だな〜と。(しかも、アーカイブ期間もとっても長くてありがたい。。)



◎本編の感想 以下ネタバレ含みます。

クレバオーヌ編は「狂った象のクレバオーヌ」というタイトルだったけれど、わたしは「狂っている」とは感じなかったかな。ただ、ひたすらに「可哀想」だった。


私たちが見たのはクレバオーヌ の長い人生の中の1日であったけれど、クレバオーヌは何年も、いや、きっと何十年も毎日毎日、目覚めるたびに、「自分は何者か」「自分はなぜここに」「ズズとは誰か」。。。と問いかけ、自分の人生に欠けている何かを探し続けているんだよね。ずーーっと独りで。

そう思うだけでもつらい、つらすぎる。

「今」のクレバオーヌ として存在しているときには、怒ったり、イライラしたり、ずっと負の感情で生きているけど、ズズと一緒の時は感情がいっぱいで、そこの対比でまた切なくなった。

ラストに、ズズと再会したクレバオーヌが、他の動物たちが自分のために歌ってくれたことを「海を越えてきたかい、あったよ」って泣きながら言うんだけど、その一言で、どれだけクレバオーヌが孤独で愛に飢えていたのかが伝わって。あまりにも重い一言だった。

襲われた動物園の動物たちを助けるために動いたクレバオーヌの行動は、「自分でない他の人のために動いて死んでしまったズズ」の影響を受けてることは間違い無いと思うの。孤独で、誰からも愛されず、愛さず生きていたはずのクレバオーヌが、ズズのように、「誰かのため」に行動を起こした。これはきっと他の動物を助けることが彼のなかで正しいと思ったから。そしてそれは、あの短い1週間のなかで、ズズから受けた愛がずっとクレバオーヌのなかに息づいていたってことなんだろうなあって。最期の最期に、愛を見つけたんじゃないかと思ってる。

ズズと再会したときには、もうクレバオーヌはこの世にはいなくて、迎えにきてくれたズズと一緒に、孤独のない世界に旅立ったと私は解釈してるんだけど、終わり良ければすべてよし(と言えるのかな。)で、最期に愛を見つけることができたクレバオーヌは、可哀想な人生のまま終わらずにいてくれてよかったのかな、と思いました。だから私としてはハッピーエンドと解釈したいし、クレバオーヌのことを想うとそうあって欲しい。。。


◎雑感

◆今回は年老いた「現在」のクレバオーヌと、ズズと一緒にいた「過去」のクレバオーヌ 、そして「ズズ」と3役下野さんが演じていたけど、どれも確かに目の前にいるのは同じ人だけど、声とか表情できちんと別の人に見える不思議。表現ってすごいなぁ〜ってめっちゃ痺れた。

◆下野さんのズズがとっても好きだった〜!もっと高めの声で演じるのかな、と思っていたら、そんな単純なことではなかった!若い頃のクレバオーヌとあまり変わらないトーンなのに、でもちゃんとズズだと分かる。

◆あとこんなこと考えてしまうのはほんとうに野暮だと思うけど、日々お忙しそうな下野さん、いったいどこであんな台詞量覚えてるんだろう・・・すごい・・・。

◆アフタートークでの末原さんが仰っていた「真っ直ぐさが病的」に笑ってしまった。ちょっと尖ってる言葉だけど的確だなぁと。笑

◆朗読劇ではなく普通のお芝居として役者下野さんを見られる機会はそう多くないと思うので、貴重だった。。またどこかで見られますように🙏

◆アーカイブが年内いっぱいまで見られるから、しっかり焼き付けるぞぉ〜。と同時に、自分の目で見たクレバオーヌの記憶もしっかり脳に焼き付けねば。

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