あの日から5年。これからの植田直通とわたし

2016年4月14日、21時26分ー。

最大震度7、マグニチュード7.5を記録する揺れが熊本県の一帯を襲った。

当時、中学1年生になったばかりの私は、テレビで地震の発生を知ることになる。

自宅でスポーツニュースを見ながらくつろいでいると、突然のニュース速報。
画面上部に表記されたテロップを読み、頭の中を整理できずにいると、画面が悲惨な光景へと映り変わった。

それを見ると同時に、当時から5年前の記憶が蘇る。

ダメだ、驚きと悲しみが交錯し、現実を受け入れられない。

そしてまた思い出す。

「熊本?直通くんの地元だよ…!」

愛する鹿島アントラーズに当時所属していた若きディフェンダー、植田直通選手が産声を上げた場所だ。

直通くんは私の大好きな選手。
2016シーズンの彼には大きく期待をかけた。

2011年3月11日に起こった東日本大震災の際、私は激しい揺れを経験、恐怖に怯える夜を過ごした。

辛くて仕方がなかった当時。
今、そんな大好きな選手の生まれ故郷がそのような状態になっている。
涙が溢れ、気づけば止まらなくなっていた。


当時21歳、プロ4年目を迎えた直通くんは、地元が地震に襲われる光景を選手寮のテレビで目撃。
幼少期を過ごした懐かしい地名が、次々と画面に表示されていく。

家族の無事を直ぐに確認するも、私たちには到底想像できないような悲しさ、苦しさ、辛さで胸が締め付けられ、どれほど心を痛めただろう。 

翌日のリオ五輪のトーナメント組み合わせ抽選会のことも忘れちゃうほど、辛かったんだよね。


〝絶対勝つ!〟


心に大きな傷を背負い、震災から2日後に行われたアウェーでの湘南戦。
試合前には黙祷を掲げた。

結果は3ー0の勝利。
故郷を思いながら、相手FWに食らいつき、DFとして無失点に抑える活躍を見せる直通くんは、誰よりも輝いて見えた。

試合後のヒーローインタビューに呼ばれると、
「熊本出身の植田選手にとって、今日は特別な思いでのプレーだったと思います。胸の内を聞かせてください。」
との問いに対し、約30秒の沈黙。

「僕にはそれ(サッカーで元気づけること)しかないんで。頑張ります。」

我慢できなくなって、目頭を押さえ、涙をボロボロ零しながら、そう声を振り絞ったんだ。

どこまでも真っ直ぐで純粋で、なんて素晴らしい21歳なんだ。
故郷を思って涙を流す直通くん、本当にカッコよくて。

「間違いなくいい選手になるな。」
そう確信すると同時に、この人を一生いちばんに追いかけようって決めた。

その時からずっと、私にとってアントラーズがそれまで以上に大きな存在になっていったんだ。


その翌日には、直通くんはクラブの強化部に熊本行きを直訴。
キャプテンの小笠原満男、選手会長の西大伍、若手の鈴木優磨らチームメイトとともに、1泊2日の強行日程で熊本入りし、避難所を回って飲料水など支援物資を渡した。

熊本空港も閉鎖され、交通状況が厳しい中でも地元に駆けつけた直通くんの行動力と地元愛。

「何か私にできることはないかな…」
そんなもどかしさもあり続けた。


この年の1stステージにおいて許した失点数はわずか10。
見事、ステージ優勝に輝いた。

〝サッカーで元気づける〟
これを胸に戦う姿勢を見せ続けた直通くんの思いが、1stステージの優勝へ大きく繋がったと私は思っている。

リオ五輪では、チームはグループリーグ敗退となるも、全試合にフル出場。
2ndステージでは五輪出場の影響もあり、ポジションをファン・ソッコに譲るも、チャンピオンシップを制して出場権を獲得したクラブW杯では、CBコンビを組む昌子源とともに鉄壁の守備を見せ、日本勢初の決勝進出を成し遂げた。
惜しくも敗れはしたが、連続無敗記録を継続していた世界の強豪、レアル・マドリードとの死闘を演じたのは言うまでもない。(ここはまた別の記事で触れよう。)

五輪出場、リーグ制覇、クラブW杯準優勝。
たった1年でこれほどの経験を積み、背番号を23から5に変えて望んだ翌年も不動のレギュラーとして大活躍。
念願のA代表デビューも果たすことができた。

そして2018年。
チームは勝てない時期が続くも、6月のロシアW杯の日本代表にはしっかりと選出を果たした。

結果は惜しくもベスト16。
日本サッカーの未来に大きく繋がる良い大会だったけれど、ひとつ悔しい思いがずっと消えなかったんだ。

日本は全4試合を戦うも、直通くんの出番は最後までなかった。
その悔しさから、決断したんだよね。

7月12日。
直通くんのベルギー1部リーグ、セルクル・ブルージュへの移籍が発表された。

辛かったな。あの3日間めっちゃ泣いたな。
それでも直通くんが強い覚悟を持って決めたことだから応援する以外ないし、切り替えるまで時間はたくさんかかったけど、鹿島での5年半の感謝と新たな挑戦への期待を込めて送り出したんだ。


時は過ぎ、私も高校2年生になった。

直通くんがベルギーでの3シーズン目を迎えていた頃のとある日、いつものように学校で地理の授業を受けていた。
そこでは地層の構造やつくりを学び、日本の地震についても詳しく触れた。

すると授業中にも関わらず、中1の記憶がフラッシュバックした。

直通くんの願いを叶えてあげたい。
サポーターの1人として応援することに加え、直通くんの願いを叶えるために私ができることは何でもしてあげたい!

何もできずにいた当時。
コンビニやスーパーのレジで見かける熊本復興支援の募金箱には100円を入れるようにしていたが、それ止まりだった。

また、熊本地震が起こる10日ほど前の取材で、今までで1番記憶に残っていることは?との問いに対して、
「東日本大震災。当時は高校生で、何もできなかった。」
と、直通くんが言っていたんだ。

でもその5年後に地元が震災に見舞われた際には、熊本まで飛んでできることをやり尽くした。

私もここで止まっちゃダメだ。
私にできるプロジェクトを考えよう!
しかし、新型コロナウイルスの流行が激しい現在。
また来年は受験、これからの人生を左右する大事な一年になる。

まだ避難所で暮らしている人々は沢山いるんだ。
大学生活の中での決行を目標に、今は準備期間!
熊本の復興支援のために、避難所で不安な毎日を過ごす人々の助けに少しでもなれるように、そして直通くんの願いを一刻も早く叶えてあげられるように、私にできることを全てやり尽くそうと決めた。

また、それに直通くんの応援プロジェクトも兼ねていきたい。
どんな形であれ、どんなに少しでもいいから、彼の力になりたいんだ。

そして、直通くんの思いは今でも熊本の方々に届いていると思う。
"熊本出身の植田選手"が活躍することによって、元気づけられている熊本県民は沢山いる。

今はフランスで成長中。
直通くんならもっともっと強くなれる。
そして日本一のCBとなって、植田直通の名を世界に轟かせるんだ。

熊本の誇り、鹿島の誇り、そして日本の誇り。
直通くんの活躍を通して、熊本が1日でも早く元気になることは私の願いでもある。

なぜなら?
直通くんのためになるなら、私にできることは全てやり尽くすと心に決めたから。

頑張ろう、熊本。
世界のCBとなれ、植田直通。

※画像1枚目:震災から2日後に行われたアウェー湘南戦、試合後のヒーローインタビュー。
2~4枚目:1泊2日の強行日程で熊本入りした際の写真。

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