舞台『仮面ライダー斬月』があらゆるファンを完全に満足させる完璧な舞台であった話

一言で表すなら「理想的で完璧で、最高の舞台」だった。

「鎧武」のストーリーが好きだった人は、迷いなく行くべきだ。
「TV本編で綺麗に完結しちゃったし、その後の話は蛇足かな……」とか言わないでほしい。
その後の物語が、TV本編の(そしてその後続々と発表されたVシネや小説の)余韻を殺さずに成立するからこその「鎧武」なのだ。
何の前情報も要らない。とにかく劇場に足を運んでほしい。

呉島貴虎というキャラが、とりわけ好きというわけでもなかったけど、愛すべきメロン兄さんだったな、という記憶がある人も行くべきだ。
貴虎兄さんこと久保田悠来の、TV本編では見せることのなかった生身のアクションが満載だ。
「この人、こんなにアクションできたんだ!?」と驚いて惚れなおすこと、間違いない。
とにかく劇場に足を運んでほしい。

鎧武のこともライダーのこともあまり知らないけど、そんなに評判がいいなら見てみてもいいかもな、という人も行くべきだ。
ライダーのことも、鎧武のことも、知らなくてもちゃんと難しい用語は説明してくれるし、本編を知らなくても大丈夫な工夫がある舞台だった。
「フルーツで変身するライダー。今回の主人公はメロン」くらいの前知識だけ持って、劇場に足を運んでほしい。

そもそもチケットがもう取れない、という人は開演1時間半前から当日券も出るし、3月31日の18時からは全国映画館でのライブビューイングもある。
ぜひ見てほしい。

「鎧武」に心底惚れ込んで、まさに人生を変えられるほど影響を受けて、「鎧武」に関してはうるさいオタクとも化す私が、絶対の自信をもって保証する。
舞台『仮面ライダー斬月』は最高だ。

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私はいわゆる「特撮オタク」だが、同時に「若手俳優クラスタ」の部分もあり、いわば何でも好きだ。
そして私をそうさせた原点に「鎧武」があり、「呉島貴虎」がおり、「久保田悠来」も関わっている。
つまりメロン贔屓である。
呉島主任が好きで好きで仕方ない。言うまでもないが、ラブではない。リスペクトだ。
そんな一ファンの目線から、今回の舞台『仮面ライダー斬月』をおすすめしたい一心で、少し文章を書いてみる。
行くつもりだけれど、まだ観ていなくて不安を拭いきれない人が、安心して観に行けるように。
そして行くかどうか迷っている人が、少しでも行こうかなと思ってくれることがあれば幸いだ。

以下、舞台公式ツイッターの稽古風景や公式あらすじに書かれている程度のストーリーネタバレは含むのでご注意を。

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「仮面ライダー舞台化」と聞いて、大体の人が最初に心配したのは、
・変身シーンはどうするのか?(そもそも変身するのか)
・TV本編との関係は?(その後の話なのか、TV本編のエピソードを舞台化するのか)
・配役は?(TVオリジナルキャストが呉島貴虎/久保田悠来しかいないが、他の舞台キャストは何役なのか)
・ずっとTVでやってきたものを舞台に持ち込んで、成功するのか? 面白くなるのか?
この辺りだったと思う。


【舞台上で変身するのか?】

「変身するかどうか」については、実はさほど心配していなかった。
第一弾のビジュアルからして、貴虎の影が「斬月」の姿をしている。
第一、仮面ライダーの舞台と言っておいて、ライダーが出て来なかったら詐欺だ。
むしろ心配したのは、貴虎がいつものスーツ姿ではなく、ハイローの世界に迷い込んだような衣装を着ていることだった(これが貴虎の私服ならどうしよう、どういうセンスだ、とさんざん悩んだのが、今となっては懐かしい)。
「変身シーン」についても、心配はなかった。
Gロッソの戦隊シリーズ素顔の戦士公演でも、
・移動する衝立を利用して、一瞬で素面(役者本人)とガワ(変身後の姿)が入れ替わる
・暗転+逆光の照明で客席の視界を奪った一瞬で素面とガワが入れ替わる
・舞台手前に舞台奥が透けて見える薄いスクリーンを出しておいて、そこに変身シーンのプロジェクションマッピングを投影、照明を調整して舞台奥を見えなくして、素面とガワが入れ替わる
などの演出の工夫がなされているのを知っている。
変身シーンはきっと今までの素面ショーのノウハウを生かして、上手くやってくれるだろう、と思っていた。


【TV本編との関係・配役は?】

「TV本編との関係は?」「配役は?」というのは、最も心配したところだった。
発表時から「これまで描かれていない新たなオリジナルストーリー」という触れ込みであったが、どこの時間軸を、どう描くのか、開演の一週間前まではっきりとしたあらすじが明かされなかったのだ。
もう少し詳しく言うなら、2019年2月12日付の讀賣新聞夕刊で「斬月誕生までのエピソードや、貴虎という人間の形成の部分」が描かれる、とインタビュー内で明らかになった。
その後、2月14日発売の『キャストサイズプラスvol.2』でも、それらしきことは語られたが、はっきりとしたあらすじも配役もまだ不明だった。
「時系列的にいつの話で、舞台キャストがどういう役どころで、どんなストーリーが展開するのか」という詳細なあらすじが出たのは、3月9日の初日を目前に控えた、3月3日のことだった。
3月3日に出たあらすじを読んだとき、ようやくホッとして「これは面白くなりそうだ」と思ったのを覚えている。

「鎧武」シリーズをVシネや小説版を通してリアルタイムで追いかけてきた人なら、わりと共感してもらえる人も多いのではと思うのだが、「斬月とバロンのスピンオフドラマをVシネでやります!」と最初に言われたときも、人気の証だと喜びつつ、同時に「本編の余韻を壊すようなとんでもないドラマが来たらどうしよう……」と内心少し不安だったと思う。
でも蓋を開けてみれば、斬月もバロンも最高だった。
斬月は呉島貴虎というキャラクターを深く掘り下げ、本編の隙間を埋める物語となっていたし、バロンは小林豊という役者の二面性とポテンシャルを活かしきった傑作だった。

しかし「デュークとナックルの外伝もやります!」と言われたとき、またしても「前作の斬月バロン外伝が良作だっただけに、二匹目のドジョウを狙ったあまりに今度こそ期待が外れたらどうしよう……」と正直少し心配した。
しかし実際見てみたら、デュークもナックルも最高だった。
デュークは戦極凌馬という男が考えていたことの一端が明かされたし、本編以前のドラマも垣間見えて物語をより深いものにした。ナックルは「その後」の話が描かれることで、我々に「その後もあの世界で生き続ける彼ら」の姿を印象付けてくれた。

そして次に発表されたのが小説版。
もうお分かりかと思うが、無事に小説版が出ることに喜びつつも、「小説版でとんでもない過去が明かされたり、とんでもないその後の話が出てきて、最高だった本編やVシネとの解釈違いを起こしたらどうしよう……」と思った。
決してスタッフを信じていないわけではない。信じているが、あまりにも鎧武が大好きだからこそ、その好きの気持ちが薄れてしまう要素がどこかで来るかもしれないことを、過剰に恐れてしまうのだ。「幸せすぎて怖くなる」気持ちと似ているのかもしれない。
でも当然のように、小説版も最高だった。
呉島貴虎を贔屓する身としては、貴虎がほぼ主役といっても過言ではない活躍ぶりに心臓が止まるかと思った。
「高貴なる精神が結晶したその姿は、明媚たる白き月光アーマードライダー斬月・真!」(小説版P21)
のような、斬月の優美さかっこよさを文字に書き起こしたらこうなる! という表現が随所に光り、ストーリーとしてもTV本編の重厚さを引きついで、まさに「鎧武」という作品の集大成であった。
読んでいない鎧武ファンはぜひ読んでほしい。安心してほしい。全員出るから。

TV本編、斬月バロン、デュークナックル、小説版。
これらを通して、「鎧武製作陣は本当に信頼できる人たちだ。私たちが見たいものをちゃんと分かってくれているし、期待を裏切らないどころか越えてくる。安心して好きでいさせてくれる」と思った。
しかし、それほど信頼していても、「舞台化」と聞いて、なお思ったのだ。
「今度こそ、裏切られたらどうしよう」と。
いいかげん信頼すればいいのに、どうしてもそうできないのだ。
これまでも、さんざん心配して、それはすべて杞憂に終わってきた。
今度もきっと、杞憂であるに違いない。「鎧武」のスタッフが作る舞台なら間違いない。
主演は久保田悠来。誰よりも呉島貴虎を知る男だ。彼が主演なら大丈夫。
そう信じているのに、心がどうしてもザワつくのだ。
「これ以上、どんな物語を展開するつもりなの?」と。
そして、呉島貴虎が久保田悠来なのに、もしも佐野岳ではない人が葛葉紘汰と名乗ったら。小林豊ではない人が駆紋戒斗と名乗ったら。高杉真宙でない人が呉島光実と名乗ったら。私はそれを受け入れられるのだろうか? と不安だった。
そんなこと万が一にもないとは思いつつ、万に一つがあるかもしれない。
TVオリジナルキャストに思い入れが深い分、役名はそのままに「中の人」が変わる可能性がギリギリまで否定されなかったのは、正直とても不安だった。
配役が出たとき、身体中の力が抜けた。
そして舞台を観終えた今だから言うが、この配役というのが実に巧妙なのだ。
どう巧妙なのかはぜひ、舞台を観てほしい。


【舞台化は本当に面白くなるのか?】

言うまでもなく、舞台というのはTVとは全然違う。
違いを挙げればきりがない。
その上で「舞台化」を選んだのは、面白い試みだと思ったし、舞台クラスタでもある私としては、舞台に久保田悠来が主演で帰ってきた! という喜ばしい感覚がまずあった。
「初の舞台化」という看板に、ただの一ファンながら「何としても成功させてほしい、成功させねばならない」というプレッシャーを勝手に(本当に勝手に)感じていたし、どんな内容になるのかという不安もあったが、「舞台になること」そのものにさほどの不安はなかったような気がする。
それもこれも、主演が他ならぬ久保田悠来であったからだ。

話は逸れるが、私が久保田さんを知ったのは、舞台『戦国BASARA 2』だった。
戦国BASARAのことは、「六本の刀を持って『レッツパーリィ!』と叫ぶ伊達政宗」くらいしか知らない人もいると思うが、それで大体正解だ。
久保田さんは、その伊達政宗を演じていた。
その頃はまだ熱心なファンではなかったのだが、戦国BASARAを卒業された後に演じた仮面ライダー斬月/呉島貴虎役ですっかりファンになり、今に至る。
その後、映像のお仕事を中心に活躍されてきた久保田さんが、GANTZなどの舞台作品にまた少しずつ出演され、そして満を持しての主演舞台。
伊達政宗時代を知っている者としては、また舞台の中央に立つ久保田さんを見られるというだけで、興奮するしかない。

「鎧武」本編において、呉島貴虎は基本的に生身で戦わない人だった。
それは「変身した方が強いに決まっているから、戦闘時は斬月になる」という貴虎の合理主義的な性格ゆえだったという説明がついている(久保田さんが動ける方だというのを脚本サイドが知らなかったから、という裏事情もあるらしい)。
その分、Vシネではかなり生身アクションの比重も増えていたが、それでも舞台での久保田さんを知っている身としては「もっとアクションのシーンがあればいいのに!」と贅沢な願いを禁じえなかった。
今回、舞台化と聞いたときに思ったのは「久保田さんの生身殺陣が舞台で見られる!」ということだった。
しかし貴虎は上記の理由で、戦闘時は基本的に変身してしまう。
貴虎の殺陣は見たいが、特に理由もなく変身しないまま戦う貴虎は見たくない。
ここらへんが厄介なオタクの厄介たるゆえんだ。
推しのかっこいい姿、ポテンシャルを引き出された姿は見たいが、それがキャラクターを崩してしまっては元も子もない。
それを今回の舞台は、見事に解決してしまった。
「記憶喪失」。
そう、あらすじでも書かれている通り、貴虎は襲撃されてアンダーグラウンドシティと呼ばれる地下世界に落ち、その衝撃で記憶喪失となり、自分の名前も、ライダーであったことすら忘れてしまう。覚えていなければ、変身できないのも道理である。
貴虎が変身せずに戦う理由は用意された。
これで安心して久保田さんの殺陣を楽しみにできるというものである。

久保田さんの演技力は、よくよく知っている。
舞台の中心に立つ意味を、中心で輝く振舞い方を知っている人であると知っている。
かつて久保田さんがブログで書いてらっしゃった、
「主演はみんなに夢をみせてなんぼだと言われやってきました」
という言葉。
たとえ呉島貴虎役のことを知らなくとも、その一言だけで、久保田さんに「仮面ライダー初の舞台化の主演」が務まるはず、と信じるのに十分ではなかろうか。

こうして様々な不安も残しつつ、それでもあらすじや配役も出てようやく楽しみにできるようになり、ドキドキソワソワしながら初日を迎えたのだった。


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ここからは、舞台を観た感想だ。
先にも述べたように、公式で出ているあらすじ程度のネタバレは含むが、それ以上はなるべく避けるようにしている。
とはいえ、鎧武TV本編のネタバレは当然のように含むし、ストーリーのネタバレではない部分で「こんなシーンがかっこよかった」など述べている部分もある。
舞台の中身について何も情報を入れたくない人は避けてください。

まず、「アンダーグラウンドシティ」という舞台設定にしびれた。
鎧武のキーワードのひとつであった「ヘルヘイム」。それは世界樹ユグドラシルの<地下>にあるという死者の国だ。
ヘルヘイムの脅威は、葛葉紘汰が神となって引き受けることで解決された。
ならば本編の「その後」の話をするに当たって、「ヘルヘイム」の代わりとなる舞台が必要だ。
そこに「ユグドラシル・コーポレーションが実験場として使っていた国の地下に存在する世界」という、物理的な疑似ヘルヘイムを用意してしまった。
上手い、と唸らざるを得ない。

記憶喪失という設定にしてもそうだ。
貴虎は襲撃を受けて記憶喪失になり、自分の名前すら忘れてしまう。当然ユグドラシル・コーポレーションのことも、プロジェクト・アークのことも、戦極ドライバーのことも。
記憶喪失の貴虎に周りの者が説明するという形を取ったり、貴虎が少しずつ思い出していくという形を取ったりして、「鎧武」独特の用語や世界観は説明されるので、TV本編を見ていない人もストーリーに置いていかれない。
唯一、TV本編の画像が使われる部分があって、その場面だけはTVを見ていないと何があったのか分からないかもしれないが、「きっとこういうことがあったのだろうな」と想像するのに十分な演出がされていた。
そしてそれは、TV本編からのファンにとっては「待ってました!」というシーンでもあった。
こういう「分からない人にも分かるようにする」且つ「分かっている人にはたまらなく嬉しい」シーンを両立させる工夫が、舞台の最初から最後まで上手かった。

久保田悠来の生身殺陣は、控えめに言っても最高だった。
TVシリーズしか見ていない人は、こんなに動ける役者さんだと知らない人も多いと思うので、ぜひ我らが呉島主任の、生身でもめちゃくちゃ強い姿を目に焼き付けてほしい。
まだ舞台を見ていない友人にも「呉島主任が驚くほどかっこいいのでびっくりしてほしい」とわけの分からないことを言ってしまったが、本当にかっこいい。
久保田さんの殺陣は、常にセクシーだ。
動きの一つ一つにキレがあるのに、余韻が残る。ゾクッとさせられるような殺気の中に色気が見える。
そう、立ちのぼる色気は可視化できるのである。久保田悠来の手にかかれば。
今回の舞台の呉島貴虎の殺陣の中で、特に好きだったのが、「腕まくり」と「斬られた腕の傷口をとっさに舐める」仕草だった。
何というか、ありていに言って、グッときた。
奥州筆頭時代を知っている人にとっても、呉島貴虎の殺陣は、新鮮なのではないだろうか。
政宗の殺陣も最高にかっこよかったが、あれは元がゲームのキャラクターの動きなので、現実味よりはかっこよさ、軽やかさ、派手さを重視する殺陣だったと個人的には思っている。踊るように舞台の端から端までを駆け抜けていく姿が華やかで大好きだった。
それに対して呉島貴虎の殺陣は、ずっと重い。
強そうだし、かっこいいし、身を翻す姿の軽やかさにはハッと目をみはるものがあるが、決して踊るようなステップではない。紙一重で攻撃を避け、相手の武器を奪い取り、たった一人で大人数をあっという間に撃退してしまう。隙を見せない。近寄らせない。しかしそれでいて鮮やかである。
呉島貴虎の殺陣は、戦うための殺陣だ。生々しさのある殺陣だ。
舞台でやる価値のある、舞台だからこそ映える迫力のある殺陣だ。

TV本編を知っている人にはもはや常識かと思うが、貴虎は強い。めちゃくちゃ強い。そして頑丈である。
高い崖から落ちても死なないし(多分骨折すらしてなかったんじゃないか)、海に落ちて意識不明になっても死ななかったし(神様の手助けがあったとはいえ)、開発者本人が「性能で勝てるはずがない」と言っているのに戦極ドライバーでゲネシスドライバーに勝ってしまうし。
基本的に負けなしの男だ。裏切られて罠に嵌められたりしない限り、作中で最強と言っていい(だが身内に裏切られまくってしまう)。
TVシリーズメイン脚本の虚淵さんが舞台のパンフレットで「人類最強のアーマードライダー」とまで言っちゃうくらい、戦闘力がおかしいくらい高い。
チートなまでに強いのに、信じちゃいけない人ばかり信用する甘さがあるし、罪を全部一人で背負おうとする悲壮感を漂わせていたりするし、愛すべきボケ担当になったりもするし(「そんなバカな話があるか、仕事に戻れ」のことですね)、呉島貴虎という男は、何だか目が離せない。
そういった、我々の知っている呉島貴虎の性質が、舞台ではそのままに生きていた。
強いし、かっこいいし、時々ちょっとかわいくて笑いを誘ったりもするし、でも使命感を胸に戦っている姿は変わらない。
TV本編後、戦極ドライバーを悪用する者たちや狗道供界との戦いを経て、成長し、変化し続けてきた貴虎の、<いま>の姿を舞台では見られる。
同時に<原点>に何があったのかも明かされる。それはもちろん、本編と地続きの、物語に深みを与える形でもたらされるものだ。
鎧武の物語をかつて愛した人たちに、ぜひ舞台を観てほしい。
本編をまた違った目で楽しめるようになるはずだ。

舞台の配役やキャストも、とても良かった。
今回初めて拝見する人も多かったのだが、鎮宮雅仁役の丘山晴己さんが特に印象深かった。
ミステリアスな振る舞いが、物語を引っ張っていき、やがて核心へ導いていく。
台詞回しの上手さや、柔らかいが芯のあるよく通る声も素敵だった。
声といえば、久保田さんの声もすごかった。
あれほど低いのに、潰れず通る。
低い声というのはどうしても聞き取りにくくなりがちだが、貴虎の声は不思議と聞き取りやすい。
あの魅惑の低音を耳から流し込まれたい人は、ぜひ舞台を観に行くべきだ。

本当は、「まさかやってくれるとは思わなかった!」という最高の演出があったのだが、それはネタバレになってしまうので今は言わない(ネット記事などですでに写真が出回っているので隠す必要ももうないのかもしれないが、まだ見ていない人のためにできるだけ伏せておきたい)。
初日にあれを見たときは、感動のあまり泣いた。
あの演出は、間違いなく特撮ファンの心をつかむものであった。
そしてあの形態にすることには作劇上ものすごく意味があるのだが、それを言うとやはりネタバレになってしまうので言わない。
とにかく舞台を観てほしい。


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舞台『仮面ライダー斬月』は、特撮ファンを満足させる工夫があった。
それはネタバレになってしまう例のものであったり、変身シーンの演出であったり、TVシリーズと地続きの、矛盾や解釈違いを起こさないストーリーであったり。
普段観に行く舞台と比べても、男性客の比率が多いように感じたのは、決して気のせいではないだろう。元々仮面ライダーは、男の子がメインターゲットのコンテンツだ。
ヒーローに憧れた少年たちが、大人になって、それでもまだ憧れ続けることのできるヒーロー。それが確かに、舞台の上に存在していた。
初日終演後の、近くに座っていた特撮ファンであろう男性客グループが、興奮気味に感想を語り合っていたのを見て、「ああ、よかった」と思った。
男性から見ても、ちゃんとかっこよくて、楽しめる舞台だったんだ、と。
特撮番組に求める楽しさやテーマ性が、舞台『仮面ライダー斬月』にもちゃんと継承されていた。

舞台『仮面ライダー斬月』は、俳優ファンを満足させる工夫があった。
各キャラに見せ場が用意される。それぞれのドラマがたった1時間50分の舞台の中で描かれる。
それは各人が己の信念を持ち、敵味方入り乱れて先が読めない展開にワクワクさせられたTVシリーズを彷彿とさせた。
俳優ファンは……と一括りにするのも良くないのだろうが、少なくとも私は、「自分の推しが何をやっても最高なのは知っているので、推しにはそのポテンシャルをより輝かせてくれる役に当たってほしい」みたいに思っているところがある、と思う。
今回、私の推しはご存知の通り久保田悠来だったので、私は貴虎が紛れもない貴虎のキャラそのままに活躍する脚本である時点で大満足だったのだが、その他のキャストのファンにも、それぞれに楽しんでもらえたのではないかと思っている。
特に萩谷くんのファンは、再出発の一歩目がこの役で、ある意味舞台の二人目の主役みたいな部分もあったし、普段特撮に親しみのない方が多かったとは思うけど、楽しんでもらえていたらいいな、と思う。

舞台『仮面ライダー斬月』は、舞台だからこそできる表現をやってくれた。
実写では浮いてしまうようなダンス表現による戦いのシーンも、舞台なら違和感なく映える。
しかも鎧武はTVシリーズでダンスバトルをやっていたので、ダンス表現にはその本編へのオマージュという意味を載せられる。本当に上手い、と思った。
アンダーグラウンドシティという設定にしてもそうだ。
舞台だからこそ、CGやロケの手間がないまま、まったく新しい場所での物語を展開させられる(余談だが、もしこれが実写ドラマなら、アンダーグラウンドシティは春日部の首都圏外郭放水路がぴったりだなと思った)。
舞台だからこそ、迫力のある殺陣も見せられる。
舞台だからこそ、「ヒーローが、今目の前にいる」感動がダイレクトに味わえる。
ちゃんと「舞台にする意味」のあった作品であった。

舞台『仮面ライダー斬月』は、あらゆるファンを完全に満足させる完璧な舞台であった。
観たいものがすべて、そこにあった。
不満など一つも残らない。
こういう原作付きの舞台は、原作のファンが喜ぶと共に、新規ファン層の開拓もできるのが最も理想とする形かと思うが、その両立を成し遂げた。

舞台『仮面ライダー斬月』は、仮面ライダー初の舞台化として、大成功だと思う。
これから別のキャラクター、別の作品で、同様に舞台化が続いていくかもしれない、いや、続いていってほしい。

3月31日に千秋楽の幕が下りるまで、無事に駆け抜けて、伝説に残る舞台になってほしいと思う。
以上、メロン贔屓の一ファンのひとりごとでした。

【3/20追記】
ネタバレを伏せていた部分について語った、ネタバレありの感想記事を書きました。
舞台『仮面ライダー斬月』がなぜ素晴らしいのか、考えてみた話
ネタバレ大丈夫な方、よろしければ併せてご覧ください。

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