生涯忘れ得ぬ思い出を~ミュージカル『憂国のモリアーティ』コンサートを観て

そこにいられたことを奇跡と思えるような、夢のごとき5日間だった。

「ミュージカル『憂国のモリアーティ』コンサート」が、2024年7月にシアターHで開催された。
「モリミュ」の略称で愛されるこの作品のひとつの集大成として、歌もトークも何もかもが、とても楽しく充実したコンサートだった。

今回は演劇的ストーリーを伴わないコンサートだったから、「これが観られて嬉しかった!」がメインの感想になりますし、どこまでも「私がそう感じた」感想ですので、違うことを感じた方はそれを大切にしていただいて、私の感想のことは、よほど問題のある勘違い以外は、「そんなことを考える人もいるのか」程度に流してください。
語りたいことを語りたいだけ、この5年のモリミュにまつわる個人的な思い出話なども織り交ぜながら書いていくので、頭に浮かんだことをそのまま端からメモしていくような、いつも以上に話があちこちに飛ぶとりとめのない感想になっておりますが、もし興が乗った方は、共にこの5年を振り返るような気持ちでお付き合いいただけたら幸いです。

ちなみにOp.5のときほど長くないので安心してください。26000字ほどです。
あと、普段の感想でなるべく入れている、役者さんについて個々に感想を述べるパートは、今回本文がほぼそれに近いので、省略しております。


さて、モリミュコンサート。
キャストの皆さんがずっと「コンサートをやりたい」と仰っていたし、アンケートに「コンサートを」としつこいくらい毎回書いたファンはきっと少なからずいたに違いないが(私もそうだ)、いざコンサートの報を聞いたとき、「本当に実現してくれるとは、さすがモリミュ!」と皆が思ったことだろう。
毎回、劇場に行くとそこに観たいものがあった。
丁寧で、面白くて、観客を信頼してくれていて、夢中になれる作品であり続けてくれた。
私たちの観たいものを、なぜこんなにもよくご存知なのだろうといつも思ってきた。
そんな信頼のかたまりのようなモリミュであるから、きっといつか……とは思っていたけれど、こんなにも早く実現してくださるなんて、本当に嬉しかった。

とはいえ、「いったいどんな内容になるんだろう?」という、不安とまではいわないが大喜びする前に一度冷静になって考え込んでしまうような思いが全くなかったと言うと嘘になる。
だが同時に「モリミュの制作陣なら、私たちの期待と観たいものを裏切ることは決してない」という、確信にも似た気持ちもあった。
盲目的な「信仰」に見えるかもしれないが、決してそうではない。
これは5年間で積み重ね育んできた、モリミュへの「信頼」だ。
信じていい。おそれなくていい。きっとものすごく考えて考えて考えて、私たちを楽しませるものを劇場に用意して待ってくれているに違いない。
「好き」と「期待」だけ持って行けばいい。
そんな思いで劇場に足を運んだ。

冒頭でも述べたように、本当に楽しい、夢のような5日間だった。
もう一度聞きたかった歌ばかりの完璧なセットリスト。
他の人の歌のカバーを披露するお楽しみコーナー。
毎日の日替わりゲスト。
思い出を振り返る楽しいトーク。
歌もトークもいっぱい聞けて、構成の満足感が強かった。

そして何より、これまでピアノとヴァイオリンのみで構成されていたモリミュに、今回初めて加わったギターとパーカッション。
その音がどんな風に作用するのだろうとドキドキしながら開演を待っていたが、最初の≪天のいざない≫メロディがギターで爪弾かれたのを聞いた瞬間、この編成で生み出される音楽が絶対素晴らしいものになるであろうことを予感した。
今回、楽器の音合わせが最初に入るのも「コンサートっぽさ」があって面白かった。これまでと違う、何が起こるのだろうという、予想できないワクワク感が高まっていくようだった。


メインテーマ≪憂国のモリアーティ≫

きっと誰もが「コンサートの1曲目は絶対これしかない!」と予想していたはずだ。
何度聞いても心が沸き立つような、『憂国のモリアーティ』の世界観が凝縮された名曲で、いつだってこの曲なくしてモリミュは始まらない。
聞き慣れたメインテーマが、パーカッションとギターが加わったことで一気にドラマチックな力強さが増したように感じられて、毎回ゲストキャラがソロを歌うパートのアレンジでガラッと印象を変えるこの曲が、Op.1と同じ形に戻ったはずなのに、まだ表情を変えることができたのか、とハッとする思いだった。
ピアノとヴァイオリンのみであれほど豊かな景色を描き出した(そして対立する陣営にそれぞれの楽器をあてがった)ことがモリミュの特色の一つであったが、そこにリズムと低音で支えるパーカッションと、メロディに厚みを出すギターが加わったことで、全ての楽曲が「演劇の流れの中に組み込まれた一曲」から、コンサート仕様の「文脈から独立した楽曲」としての色を一気に強くしたように感じた。

そして、新しい顔を見せてくれた旋律も勿論最高だったのだが、舞台上に出てきた役者さんたちの、キャラクターのカラーに合わせた衣装を身にまとった姿が目に入った瞬間の、「全員ビジュアル最高!」の思い。
2.5次元舞台のこういったコンサート、ライブイベントで、キャラクターの姿をしないことはあまりない、と役者さんたちがトークで仰っていた。
確かに、トークが中心の円盤のリリイベなどならともかく、舞台の本編とは別だがパフォーマンスがメインのこういうイベントで、キャラクター扮装ではないのはちょっと珍しいように感じる。
それでも、今回のモリミュコンサートの場合はこれが大正解だと個人的に思った。
小さい芝居パートを挟みながら進んでいくキャラクター扮装のコンサートであっても、きっと楽しいものになったと思う。
でもキャラクターの姿で出てきたならば、そのキャラクターとして歌うことが自然と求められるし、キャラクターとしての振る舞いを心のどこかできっと期待してしまう。
モリミュがあれほど世界観を緻密に作り込んでいた作品であったからこそ、番外編の場であっても、世界観にマッチしない楽しさをお祭りだからと許して「崩して」しまうのは多分似合わない。
その点、キャラクターの姿でないならば、キャラクターを背負っていた時にはしなかったであろう違った歌い方にも挑戦できるし、自由度が一気に増す。
それにモリミュなら、歌の力で勝負できる。それだけの力を持ったキャストと楽曲が揃っている。
何より、コンサートらしくフォーマルウェアで登場した役者さんたちの格好良さ!
見慣れた役のスーツ姿と一味違う、今回限りの正装姿は、いくら眺めても見飽きることなく惚れ惚れとしてしまった。
こういうところの采配が、モリミュは本当に上手いから大好きだ。

≪三兄弟の秘密≫

メインテーマ後の1曲目が、絶対これしかないだろうと思っていた、すべてのはじまりのこの歌であったのも嬉しかった。
三兄弟のキャストの方々がインタビューなどで印象深い楽曲として名前を上げることの多いこの曲を、もう一度聞きたいと思っていたファンは多いはずだ。
懐かしさがありつつも、Op.5まで重ねてきたからこその、Op.1のときとまた違う響き――育んできた絆が感じられるようだった。
あと、この曲だけでなく他の曲でも全て、曲中背後のスクリーンに当時と同じ映像が投映されているのも心憎い演出だった。


≪誓い≫

最初に聞いたとき、アルバートとルイスの聞いたことがないパートが入っていて、とてもびっくりした。
この曲に限らず、モリミュの曲はどれも、何回も繰り返し聞き馴染んできた、前奏を聞いただけで続く歌詞とメロディが自然と脳内に浮かんでくるくらい、魂に染み込んだ楽曲ばかりだ。なのになぜ記憶にない歌詞が、と思ってちょっと焦った。
曲の後に、この初めて耳にしたアルバートとルイスのパートが、稽古段階では存在したが後に削られた(他の曲に歌詞の要素が吸収される形でなくなった)幻のパートだと明かされ、記憶になくて正解であったことを知れてホッとすると同時に、それをここでお披露目してくれるんだ、と思った。
本来、私たち観客が永遠に聞くことができなかったはずの、幻のパート。
それを明かしてくれたところに、秘密を共有してもらったような――共犯にしてくれたような嬉しさを感じた。
あと、コンサートを通して全日、この曲では特に(その中でもとりわけ、初日と出とちりを起こしかけた14日は)、勝吾くんがノリノリでこの曲を歌っていたのが印象深い。
絶対に本編ではありえない、コンサートならではの姿で、でもとても楽しそうに歌っていらして、こちらも何だか楽しかった。


≪真実~緋色の研究Ⅱ≫

元を辿れば正典の一節が元になっている、シャーロックのテーマのような存在であり、メインテーマと並ぶほどにモリミュを象徴する曲と呼ばれるべき曲のひとつであると思う。
今回、キャラの扮装をしないコンサートということで、モリミュ本編での歌い方、つまり役としての歌い方から変えた歌唱に挑戦している方が多かったように見受けられたが、平野さんに関しては特にそれを感じた。
まず、この曲のテンポが本編より些か速いように感じられた。シャーロックのキャラクターに合わせて(そしておそらくはシャーロックの心情などにも合わせて)調整していたのを作曲時のテンポに近づくよう戻したのだろう。
そして平野シャーロック特有の、あのクセの強さ(と言うだけで、ここを読んでいる方には何となく伝わると思う)が少し落ち着いて、役としての芝居気が抜けてより「歌」らしく聞こえるように変わったと感じられたのは、きっと気のせいではあるまい。
それでも、平野さんのあの一音一音が明確なのに複雑な深みのあるお声が、胸を打つ感覚は変わらない。
真実とは、知って楽しいものとは限らない。それでも真実を明るみに出すことを求める、探偵としてのさが。真実を求めずにはいられない人間の業。
そんなシャーロックの全てを表現したような歌詞と切ない旋律に、ヴァイオリンの哀愁を帯びた響きが寄り添う。

「人間の声に一番近い楽器は何か?」という問いへの答えは諸説あり、多分人の数だけ正解があるし、何なら自分が演奏する楽器を答える音楽家も多いなんて話を聞いたことすらあるが、平野さんのお声はヴァイオリンとよく似ている――というより相性が抜群だと私は思う。
豊かに震え、身の内で響き、耳に届いたときに木製の柔らかい温もりがある。哀切も歓喜も思いのままに操るその声と、林くんのヴァイオリンは、本当によく合った。
コンサートで聞き直して、この曲の良さを改めて感じたし、平野さんだからこそヴァイオリンとシャーロックというキャラクターが奇跡のようにぴったり嵌まったのではないかとも思った。
ご本人がトークで少し冗談めかして「この役を演じられるのは俺だけ」的なことを仰っていたように記憶しているが、わりと真面目に本当にそうだと思う。
他の誰かが同じことをやろうとしても、平野シャーロックのモノマネになってしまう。それほどに独自のモリミュシャーロックを平野さんは作り上げたのではないだろうか。


≪僕だけは≫

Op.1ラストに差し込んだ圧倒的光であるジョンを象徴する曲と言えると思う。
この曲を聞きながら、Op.5の≪友のために≫の歌詞をふと思い出した。
「生きることを 認めてもらえたなら 世界はいつでも 美しく見える」
ジョンがOp.1からシャーロックに対して注いできた、揺るがぬ友情と「僕だけは君の味方だ」という言葉。それが本当の意味で完全に伝わり切った瞬間がOp.5のあの歌だったのだなと。
理解者の少ないシャーロックに「たとえ世界が君を嫌っても 僕だけは君の味方だ」と言ってくれるジョンは、常にシャーロックの心の支えであり続けた。
コンサートでは、本編よりずっと力強く歌い上げる形になっていて、ジョンの喜びが音の一つ一つから溢れてくるようだった。


≪光への行進曲≫

あまり大きな声では言えないが、実のところ、私はペンライトというものに対して少しばかり消極的なイメージを持っている。
視界の端でちらついて眩しいし、カラーチェンジのために頭を使う分、舞台上への集中力はどうしたって下がる。持たないでいる方が絶対に集中して観られる(個人の意見ですし私が不器用なだけなのですが)。
ならばぐだぐだ言わずにペンライトは持たない、という立場を貫けばよいのだが、せっかくのお祭りだし……という薄弱な意思の下に今回のグッズのペンライトを購入した。私はそういう人間だ。
とは言いつつも、私は初見のとき、舞台上を観るのに必死でペンライトをまともに振る余裕が全くなかったのだが、それでもレストレードの曲でだけはペンライトを灯した。
「光をともせ」と歌詞にあるこの曲は、モリミュ曲中でペンライトとの親和性が一番高い曲であろうという予想に違わず、他の曲では点灯させていなかった私のような人もここぞとばかりに点けていた気がする。
そして、オレンジの光が揺れる中で聞く≪光への行進曲≫。
正直に言おう。すごく楽しかった。
あれだけ苦手だなんだのと文句を言っていたくせに手のひらをあっさり返してしまうようだが、楽しかったものは仕方ない。
レストレード警部のともした光のひとつになれたような感覚をおこがましくも味わい、その後役者さんたちがトークで「ペンライトが綺麗で」などと仰っているのを聞き、役者さんたちが喜んでくださるのなら……と思ってコンサート2回目からは他の曲でもペンライト点灯派に転じた。
もしかしたらトークの段取りで、ペンライトになるべく触れるように、みたいな話があったかもしれないという疑り深い思いはちらっと頭をかすめたけれど(販促的な意味で)、客席からの反応が分かりやすく色で見えるのは、きっと舞台上の方々にとっても純粋に楽しかったに違いないと信じたい。
最初は消極派であったものの、モリミュに(今回みたいなコンサートに限ってだけれど)ペンライト、最終的には「あり」だと思った。

曲の話に戻すが、この歌詞を改めて読み返すと、モリミュのレストレードが持っていたこれまでのお茶目なイメージを覆して、いくらでも格好をつけてシリアスに歌うこともできるはずだが、本編でもコンサートでも、一貫して「盛り上がる楽しい曲」としてくださったのが良かったなあとしみじみ思う。
髙木さんが作り上げたレストレード警部の出番はいつも、モリミュの中で眩しいほどに輝かしい「光」だった。
原作とまるでイメージが違うのに、不思議と納得させられてしまうし愛してしまう、ふざけていないのに面白い、奇跡のような存在だった。
『憂国のモリアーティ』の持つ社会派なテーマと西森さんが描くのをお得意とする分野が美しくマッチングして生まれたのがモリミュという作品であったけれど、その「硬派」な部分を守りつつも良い塩梅に一角を崩して親しみやすい作品になっているのは、髙木さんの功績が大きいと思う。
今回はMCとしても安定の活躍をしてくださって、髙木さんがモリミュにいてくださったことに本当に感謝したい。
なお、この座組は他にもMCがお上手な方が多くて、どなたが進行を務めていても危なげがなく、皆さまマルチな才能をお持ちだなと感心してしまった。

≪罪深き我は…≫

Op.4を初めて観たとき、「どうか……呪ってくれ」で前後の記憶をなくすくらい衝撃を受けたこの曲を、改めて聞けたのが嬉しい。
今回は本編と歌い方を変えている方もいたが、一方で、自然とあのときに寄っていく歌い方をする方もいて、この曲はまさにそれであったと思う。
今回、前後のストーリーがない状態で、歌のみを切り出して歌う形だと、感情の込め方が難しいのではないだろうか、などと素人考えを持っていたが、そこはさすがプロ。アルバートが見せたあのときの苦しみが、観る側にも瞬時によみがえってくる迫力で、炎のごとき赤き布をはためかせてアルバートを取り囲んで踊るアンサンブルの、あの布が空を切る音までもが聞こえてくるようだった。
身ひとつで表現を行なう役者さんの凄さを、改めて感じさせられる一曲だった。

≪鋼の戦士は嘆けども≫

モランとしての歌い方とはまた違う、さらりと歌い上げるようでいて、しかしやるせない切なさはそのままに宿す歌声のバランスの取り方が絶妙だった。
音楽に造詣が深くないながらも、この曲は3拍子と4拍子を行き来するのがモランの揺れ動く心情を表現しているようで個人的にとても好きな曲で、その曲に今回パーカッションが加わり、特に3拍子部分で目立つパーカッションの乾いた音が、モランの空虚な心を表すようでもあり、また変拍子を引き立てるようでもあったのが印象に残った。

≪孤独の部屋に≫

本編のときとまた一味違った、のびやかさを感じる歌い方がコンサートで聞けた一曲ではないだろうか。
ウィリアムの象徴のような歌で、多分モリミュファン皆が大好きだと思う。
西森さんが発明なさった、モリミュの大切なキーワード「心の部屋」とそこに吹き込む「風」が披露された、モリミュのウィリアムの方向性を決定づけた名曲だ。
今回、2階席から観たときに気付いてハッとしたのだが、「この心の部屋の 時は止まった」の部分で、舞台上の光が勝吾くんの周りにキュッと集まり、周りの空間から四角く切り取って閉じ込めるように照らし出した照明がすごく印象的だった。
Op.3本編ではどうなっていただろうと思って後から円盤を見返したが、本編では暗い舞台上に白いソファが照らし出されて、ウィリアムの周りを光がゆっくりと回っているような演出になっていた。
今回はソファがないので、「部屋」を強調する照明が考案されたのだろう。
そしてこの照明の素晴らしいところは、勝吾くん(=ウィリアム)を四角く閉じ込めていた光が、サビになると風に砕けて散らされたようにキラキラと周りを回り始めるところだ。
風が優しく木々を揺らす下に美しい木漏れ日が踊るような、そんな風景を想起した。
ウィリアムの孤独と、「風」たる人物に出会った喜びが、照明によっても表現されていたように思う。
モリミュは照明の美しさも見どころのひとつだが、今回もまた、天才の照明だった。

この曲は、Op.3のとき、回によって時々曲終わりに拍手が起きることがあったと記憶している。
あのときのことを思い出しつつ、今回のコンサートでは、一曲終わるごとに心おきなく賞賛と感謝の拍手を送れたのも良かったな、などと思った。

≪刑事屋のブルース≫

アンサンブルさんも参加しているし、この曲もきっと今回のコンサートでやってくれるはずだとは思っていたが、まさかコーラスをプリンシパルの皆さまがやってくださるとは予想もできず、望外の喜びだった。
「謎はホームズが 解いてるんだもの」で自分を自慢げに指す笑顔の平野さんは、本編でのシャーロックでは絶対にお目にかかれないであろう姿で、こちらもニコニコしてしまった。
楽しさがいっぱいに詰まったこの曲で、MC上手の髙木さんによって、演奏者が紹介される構成も最高だった。
紹介された方がそれぞれに、毎日ちょっとずつ違う日替わり演奏を披露なさっていたのも楽しく、全員が舞台上に勢揃いする中詰めに相応しい一曲だった。


日替わりゲストコーナー

現地や配信で観られた日もあるが、マチソワとも全く観られていない日もあるので、観られた範囲での話になってしまうけれど。

まず11日の、藤田玲くんと川原一馬さん。
初日はマチネしか観なかったのと初日への緊張もあって、「素晴らしかった!」以外の記憶がほぼほぼ飛んでしまっていてまともに語れるものがまるで残っていない。
力強いのに人を威圧するところのまるでない、柔らかく伸びやかな声で歌われたホワイトリーとしての川原さんの歌と、同じく力強くともどこまでも高圧的で享楽的な響きを持つミルヴァートンとしての玲くんの歌という、まるで正反対な印象の歌を歌うゲストが同日に揃ったのが面白かった。
また、ミルヴァートン曲にパーカッションが重なったときの、あの地鳴りのような雷のような轟きや、「シューッ」という蛇の威嚇音を思わせる音(パーカッションじゃなくてもしかするとギターかもしれない。何を使ってあの音を出していたんでしょう?)に、なんて面白いんだろう! と思った。ギターと一番相性がいいのもミルヴァートン曲かもしれない。
情けないくらいに、それ以上の記憶がまともに無いのだけれど、そのくらい、楽しかった。

そして配信で観た、七木奏音ちゃんと大湖せしるさんのゲスト回。
ゲストでは、せしるさんが一日はアイリーンとして、もう一日はボンドとして来てくださったのも、実にモリミュらしい演出で嬉しかった。
私はボンド回を観られていないし配信もないので、それは円盤を待つとして、配信ではあるが観られたアイリーン回が本当に本当に素晴らしかった。
≪生まれ変わるとき≫のアイリーンからボンドへの変化は、何度観ても奇跡のようで、痺れるような感動を覚える。
そしてこのお二人が揃うなら絶対やってくれると信じていた(何なら11日昼ラストの時点で「ペンライトがなかったから」と言って玲くんが悪魔の三叉槍を持って出てきた時点で重大なネタバレになってしまっていた)≪シンデレラ戦争≫。
コロナのこともあって、Op.2だけは観に行けなかったという人もきっと多いと思うのだけれど、当時のコミカルなやり取りまで含めて再現してくれて、やっと生でこれを観られた、と喜んだ人も少なからずいたのではないかと思うと感慨深い。
ついでにどうでもいいことを言ってしまうと、「ガラスの靴を履けなければ~」のところで、奏音ちゃんが高間くんの靴を奪って袖に投げ入れているのが、過激なハドソンさんっぽくて面白くて大好きだった。
本当に毎回、色々やってくださる方だと思う。
そして、ハドソンさんの≪あなたが思うよりずっと≫。
賑やかな曲から一転、この曲の後半のような「聞かせる」曲を歌うときの奏音ちゃんの声は、つややかで透き通る宝石のようだ。
本編でもやっていたコミカルな動きだけでなく、アンサンブルさんのダンスも再現してくださって(3人が2人になってはいたけれど)、あの長い黒髪をハドソンさん風にアレンジして出てきてくれていたのもあってだろう、配信で観ているはずなのに、まるでOp.5の劇場にいたときに時が戻ったかのような錯覚を覚えた。
この曲中にツリーチャイムのシャラシャラとした音が入るのもぴったりで、ハドソンさんの心の静かなさざめきを表しているようで素敵だった。
今回改めて聞いているうちに、ハドソンさんにとってシャーロックがヒーローであるのは、謎を解いて悪を討つからではなく、どこまでも「謎を見つめて 人のこころ救って」いるからなのだな、と思った。
本当にどの曲も、キャラクターを深く理解し解き明かしているからこそ出てくる歌詞ばかりで、つくづく、モリミュのそういうところが大好きだ。

そして観られなかった13日を飛ばして、14日の奏音ちゃんと山内優花ちゃん。
この2人が揃うならばと期待していた≪誰にも言えない≫。
私は機嫌のいいときにこの歌の前半部分をついつい心の中で口ずさむほどにこの曲が好きなので(何せ勢いが良くて景気も良い)、また劇場で聞けて嬉しい。奏音ちゃんのあの朗らかな声がぴったりの、軽快で楽しい曲だ。
そして先ほど前半部分を好んで口ずさむと言ったが、後半部分も勿論大好きで、優花ちゃんの凛とした鈴のような声が、不安に震え曇りを帯びたとき、胸がギュッとなるような切ない響きとなって耳に届く。
メインキャストに比べてゲストの皆さまは、わりと当時の再現に近い歌い方をされる方が多かったように感じているのだけれど、その中でも優花ちゃんのメアリーにはだんとつで、Op.4当時を思い出した。

最後に配信で観た、15日昼の赤澤遼太郎くんと小南光司くん。
小南くんは間違いなく、この世で最もエンダースを愛している人だと思う。
しかしそれにしても、前日まで別の舞台をやっていたのに(しかも主人公とずっと一緒に行動する、出番も台詞も歌も殺陣もかなりの分量ある役だ)、まさかエンダースのあの1曲を歌うためだけに本当に来てもらっていいの⁉ 休まなくて大丈夫? と勝手に心配していたのだが、あの画面越しでも分かる盛り上がりを観ていて、来てくださってありがとう! と心の中で大喝采を送った。
≪人狩り≫を聞いていて、Op.1のときよりぐんと歌が上手くなって表現の幅も広がっていらっしゃるのを感じたし、何よりあのダンス! 昨日まで別の舞台をやっていたのに、あんなダンスまで、たった一度のゲスト参加のために入れてきてくださったなんて。
決め台詞のように「ゆめゆめ忘れるな」を言って会場を沸かせてくれることも忘れない、サービス精神の塊みたいな人だ。

急にモリミュの話から逸れるので興味のない方は読み飛ばしてもらったらよいのだが、私は小南くん目当てで14日までやっていた「歌絵巻『ヒカルの碁』序の一手」(ヒカステ)をモリミュコンサート開幕前日に観に行った。
小南くんの佐為がそれはそれは美しく、でも可愛らしく、「まるで原作から抜け出てきたような」とはあの瞬間、彼のためにある言葉であった。
ヒカステも生演奏の舞台で、対局シーンがダンスなどで表現されるのだが、パーカッションで表現される石を打つ音がダンスの中でポーズを決める瞬間にビシッと重なって、気持ちいいくらい嵌まっていて、面白い! と思った。
ストーリーはやや駆け足に感じたが、ヒカ碁がドンピシャで世代な私にとってどの場面も懐かしく、ヒカ碁のコミックを持って今は亡き祖父に囲碁の打ち方を習いに行った個人的な思い出なども重なって、ずっとポロポロと泣きながら観ていた。
今はモリミュ感想を書いているのでこれ以上語るのは止めておくが、ヒカステも大変面白く観られたし、とにかく小南くんの佐為が素晴らしいので、ちょっとでも興味のある方はぜひ配信や円盤で観ていただくのをお勧めしたい。
生演奏ならではの、楽器の音と役者さんがぴったり息を合わせて進んでいく感覚が、モリミュ好きの中の一定の層に刺さるのではないかと思っている。

閑話休題。
もう一人のゲスト、初代フレッドの遼太郎くん。
私のモリミュ感想をこれまでも読んでくださっている方ならご存知の方もいるかもしれないが、私は遼太郎くんを結構贔屓していて、彼の演じるフレッドを愛してきた。
なので、再びこうしてフレッドの役者としてモリミュコンサートに出てくださったのが本当にありがたい。
遼太郎くんが来るならば、≪悩むな兄弟≫はきっとやるに違いないと思っていた。
あの優しげな声。憂いを帯びたとき一層黒く深くなる美しい瞳。赤澤フレッドのポテンシャルがこれでもかと発揮される曲である。
久々に聞いた≪悩むな兄弟≫は、溜息が出るほどに懐かしく、井澤くんとの掛け合いも絶妙で、ああ、これを叶うなら劇場で観たかった……! と思った(当日券が当たらなかったので仕方ない。せめてあと200席くらい多い劇場ならば良かったのですが)。
井澤くんが敢えて歌詞の一部を変えて、「あいつに」を「みんなに」と言いながら客席を示してみせたのも、久々に帰ってきた弟分へ花道を作ってあげるような、粋な心遣いだったように思う。

≪千々に乱れて≫

モリミュを振り返る上できっと外せない一曲であり、しかし聞いている方からしても難易度が高そうだと感じる曲である。
ウィリアムを思っているという一点においては変わらないはずなのにそれぞれの思いの向く先が少しずつ違っていることが示され、しかしハモりは噛み合わせないといけない、ある意味矛盾の成立を求められる曲ではないだろうか。
Op.4当時もこの曲を聞くたびに、彼らと共に観客も胸の詰まるような思いを味わったが、今回はOp.5まで乗り越えてきた彼らが歌っているからだろうか、歌の持つ切なさや不穏さは保ったままに、あのときよりずっとまとまりが――巧拙ではなく強固な結びつきのようなものが、歌の向こうに感じられた気がした。
これは私の印象の問題なので、違うことを感じた人もきっといるし、見当違いを言っているかもしれないとは思うのだけれど。
進化という名の変化が、見られた気がする一曲だった。

≪I will catch you≫

Op.4のシャーロックが詰まっている曲と言ってもいいと思う。
Op.4当時は、シャーロックの精神状態がどん底で、いまにも脆く壊れそうで、聞いている方もしんどくなるような曲だったので(いい意味で)、コンサートでテンポ感も少し速くなって程よく中和されて、初めてこの曲を「歌」として聞けた思いだ。
この曲で「罪人が 願うことなど 許されることじゃ ないんだろう」に、私はいつも≪孤独の部屋に≫の「この風に吹かれるくらいは 神も許されるだろう」を思い出す。
罪を重ね続けた苦しみの底で、それでもただ一つだけの喜びを持つことを許されたいと願う男と、初めて犯した禁忌の重みに打ちひしがれ、それでも求め続ける謎への渇望を捨てきれない男。
罪人がたったひとつを願うことを「許されるだろう」「許されることじゃないんだろう」と正反対のことを言っているが、この二人はとてもよく似ている。
だからこそシャーロックはウィリアムを救える――シャーロックしか救えないのだと、そう思わされる、物語の要のような大切な一曲だ。
コンサートでは平野さんお一人が舞台上で歌っていたのに、「至高の謎全て 解き明かし」のところで、その横でふっと泣き笑いのような顔をしたOp.4のウィリアムが佇んでいるのが見えるようだったと感じたのは、きっと私だけではあるまい。

≪どうか未来を≫

遼太郎くんゲスト回も含めての≪どうか未来を≫の話である。
Op.5を初めて観たとき、長江フレッドの凄みに心打たれた、個人的に思い出深い曲だ。常に控えめであったフレッドが悩みの果てに自分のエゴを通す勇気を摑み取る、大きなターニングポイントでもある。
なのでこの曲をコンサートで再び聞けたのも嬉しかったし、15日にゲストで来た遼太郎くんがこれを歌ってくれたことには喜びもひとしおだった。

長江くんが初日に、コンサートを通じて(Op.1~3ではいなかった)自分の中のフレッドを埋めていく、という旨のことを仰ったとき、何て素敵な言葉だろうと思ったが、それを真似させてもらうならば、今回遼太郎くんがゲストとしてこの曲を歌う姿を観て、私の中の赤澤フレッドも埋まったように感じられた。
私もわがままなオタクの一人なので、長江フレッドが素敵だったからこそ、「大好きな赤澤フレッドがこれを歌う姿も観てみたかった!」とはどうしても思ってしまう。
Op.2が上演された頃から、「ウィリアムがフレッドに『僕はもう死にたいんだよ』と心の内を明かすこのシーンを、モリミュではどう演出するのだろう、遼太郎くんはどう演じるのだろう」と原作を読みながらずっとずっと考えてきた。そのシーンを受けたフレッドが、ウィリアムを救うために裏切りを選ぶとき、遼太郎くんはどんな表情を見せてくれるのだろう、と。
なので、遼太郎くんが自分で演じることのなかったOp.5の≪どうか未来を≫を歌いたいと自分から提案してくれたというのが(そして、そのことを長江くんが快諾してくれたというのが)本当に嬉しかった。
特に素敵だと思ったのが、「これは裏切りだ それでも構わない」と歌うときの表情の違いだ。
12日昼公演の配信を観ていると、長江くんはこの部分を歌いながら、眉をわずかに顰め、うっすら浮かんだ涙に目をうるませ、さらには声まで震わせていて、敬愛する人を裏切るおそれを感じながらも、それに立ち向かおうとしている必死さを感じる。
対する15日昼公演の配信で観た遼太郎くんのフレッドは、大好きなウィリアムを裏切ることへのおそれを心の内に抱いて、憂いに眉を曇らせながらも、これは自分がやるべきことだと信じ、決然と顔を上げる。未来を見据えるその黒い瞳に宿った光は、力強く迷いがない。遼太郎くんは笑顔が素敵な人だけれど、こういう表情も本当に上手い。
勿論、これはコンサートだから、実際に役として演技しているときとは表情の作り方も違ってくるとは思うのだけれど。それでも二人の間には、演じ方の違いが明確に見られたように思う。
静かに激しく決意を燃やすのが長江フレッドであるならば、決意を抱いて一直線に駆けていけるのが赤澤フレッドだ。映像を通してではあるが、そう感じた。
また、フレッド役が二人いるからこそ、「そうか!」と二人で顔を見合わせて歌う姿が見られて、フレッドが自己対話の末に自分だけの「正解」を導き出したように見えたのも印象深い。
本編では決して実現しえないその光景は、一度きりしか観られなかったからこそ奇跡のようで、フレッド役が二人いて良かった、二人が揃う場があって良かったと心から思った。
Wフレッドで歌った後の、長江くんの≪どうか未来を≫は、それまでとちょっと歌い方の印象が変わっているように聞こえて、それまでは本当に「僕がやるしかない」と一人で必死そうであったが、Wフレッド後は必死さだけでなく力強さが増したように思えた――とまで言ってしまうと私の気のせいと思い込みかもしれないけれど。でも、何かが変わっていたのは間違いないと思う。
またこういう機会があったら、Wフレッドが揃った姿を観られたら良いなと思う。

≪あなたがくれた命≫

今回、アンサンブルとして高間くんの参加が発表されたときから、きっとこの曲はあるに違いないと思っていたファンは多いだろう。
Op.5の千秋楽後、モリミュ公式が出してくださった配役表で、この曲に合わせて踊る彼が「ルイスの魂」と表記されていて、一瞬「ルイスの……魂???」と思ったが、すぐに、何てぴったりで美しい役名なのだろうと思った。
もがき苦しむ姿をときに見せつつも、力強くしなやかに躍動するそのダンスは、「ルイスの魂」の名に相応しい。
あの素晴らしいダンスが再び観られることを期待していたが、さすがのモリミュ、そんなファンの心をよくご存知の演出をしてくださった。
毎回、ついつい高間くんに注目してしまうのだが、それでも耳にスッと入ってくるルイスとしての一慶くんの歌声。まっすぐにのびやかで、正確で、なめらかで、何度聞いても素敵だなあと惚れ惚れする。
今回は本編のときより歌い上げる形で聞けたからこそ、歌詞が改めて際立つように感じられた。

お楽しみコーナー

問題(?)の、日替わりのお楽しみコーナーである。
観たいと思ってはいたし、役者さんたちも折に触れてやりたそうな感じのことは仰っていたけれど、まさか本当に毎回コーナーを作ってまで本格的にやってくれると思っていなかった。
観られた全員分最高に面白かったのだが、特に好きなのは久保田さんの≪人狩り≫の狂気だ。
ものすごく感覚的な偏見を許してもらいたいのだが、本家である小南くんのエンダースは、自分の特権を生まれてこの方一度も疑ったことのない高慢さ――ありていに言うなら「真性のクズ」感があった(言うまでもなく、これは純粋な褒め言葉だ。エンダースという人物がそういう人間であるのだから。ご本人はあれほどお茶目なところもある楽しい方であるのに、演じる役の中に自分の人の好さを滲ませず、役を追求した表現ができる小南くんという役者さんは本当にすごい)。
一方、久保田さんの≪人狩り≫は、元は善性を持ち真っ白であったがゆえに染まりやすい魂が、悪意に無惨に傷つけられて真っ黒になるところまで堕ちてしまった人の姿のように感じられた。振り切れた狂気に満ちていて恐怖の対象ではあるが、どこかに「元はこうではなかったはずなのに」を感じさせるような哀しみが、なぜか向こうに透けて見える。
これは本当にあくまでも私がふとそう感じたというだけの感覚的なものなので、多分反対に「くぼひでさんのエンダースの方がより邪悪」と思った人もいると思うのだけれど。
それと、久保田さんの≪人狩り≫のとき、他の役者さんたちが舞台上を逃げまどってはしゃいでいたのも、観ていて微笑ましかった。
本当に仲の良い、楽しい座組なのだろうなと、あの光景だけでも十分すぎるほど伝わってきた。

あと、初日から≪I will catch you≫で誇張モノマネを披露した長江くんの度胸も素晴らしかったし、平野さんのミルヴァートンの≪魂を喰らおう≫もとんでもない再現度だったし(小道具でミルヴァートンの眼鏡を用意していたのがずるい)、同じく平野さんの、実際にお手紙を用意してきた≪親愛なる君へ≫は勝吾くんと全く違う歌い方だからこそまるで別の歌のように違う響きを持って聞けて面白かったし、Mとしてのルイスの姿すら彷彿とさせるようだった一慶くんの≪この世界を≫も、さすがの安定感であった上に最後に勝吾くんが被せてくる演出が感動的だったし、宛名に「親愛なる君へ」と書いたお手紙を用意してきたのが心憎い、「君は僕が守る(僕の命と引き換えにしても)」のような強火な響きすら感じさせた勝吾くんの≪僕だけは≫も素敵だった。

それと勝吾くんの歌う≪真実≫もかなり好きで、「ひとーつ ひとーつ~?」と語尾上がりに歌いつつ、ただすけさんを振り返りキー上げを要求(しかも2回)してからの、安定の高音で歌い上げ、しかも「それが真実なんです!」とウィリアム風に言い切る替え歌にしてしまったのには、何だかこんな歌が本当にあったような気持ちにさせられた。
いっそウィリアムがシャーロックの真似をして「ひとつひとつ可能性を潰していけば~それが真実なんです」の台詞を言う場面が、そのうち原作に出てきてもおかしくないのでは、などと思うくらいに、不思議なほどの親和性があるウィリアムの≪真実≫だった。
キー上げは、作曲家であるただすけさんが現場で演奏しているからこそできた遊びでもあったと思う。

どの曲も、歌う人が変わるとこれほどに変わるのかと思うと同時に、モリミュの役者さんたちの器用さと歌の上手さと仲の良さまで垣間見えて、本当に面白かった。

≪友のために≫

「生きることを 認めてもらえたなら 世界はいつでも 美しく見える」とは、この作品のひとつの大きなメッセージだろう。
全て素敵なモリミュ曲の中でも、この曲は特に大好きだ。
間違えて、苦しんで、考えた末に出した結論を語るシャーロックをジョンがあたたかいまなざしで見守っていたのと同じように、コンサートでも歌う平野さんを、鎌苅さんが一歩引いたところで嬉しそうな笑みを浮かべながら見守っていたのが印象に残っている。役の姿をしていなくとも、佇まいの全てが、もうジョンそのものでしかなかった。
実は私は、最後の「俺たちの 友情に懸けて」と歌うところのお二人のハモりが、モリミュ中で一番好きだ。
役としてだけはなく、ご本人同士もこれまで5作かけて関係性を築いてきたことが自然と聞き手にも伝わってくる、互いの音をよく理解し寄り添う絶妙のハーモニーだった。

≪全てを捧げて≫

最初に聞いたとき、「兄さんって何回言うの⁉」と思った、思い出のOp.2の兄さんソングである。
コンサートで歌い方を変えているのもあるけれど、ウィリアム(=勝吾くん)のいない場で歌われると、目の前にいる人に語りかけるのではなく、少し離れた人を思って歌うような、そんな少し違った印象で聞こえてきた。
さっき≪友のために≫のハモりが一番好きだという話をしたが、この≪全てを捧げて≫の久保田さんと一慶くんのハモりも、タイプの違う声がぴったりと噛み合っていて素敵だなと、コンサートで聞いて改めて感じた。
ルイスとしての、よく通る軽やかさと兄さんに向ける笑顔のような甘さを含んだ一慶くんの声。
アルバートとしての、意志の強さを感じさせつつも柔らかく周りを支える久保田さんの声。
兄弟の声のバランスの良さを改めて感じる一曲でもあった。

≪あなたと共に≫

これもまた、Op.4のときより歌い上げる形になったからだろうか、コンサートで聞き直して本編とまた違った印象を受けた曲である。
命を懸けた忠誠を歌う、どちらかというと静かなこの曲が、こんなにテンポの良い三拍子であったことにすら、今回聞き直していて初めて気づいた。
何より、Op.5を経てフレッドとして円熟した長江くんが、今歌ったからこその味があった。今の彼で聞き直せて良かった、と思う。

≪巡れ輪舞曲≫

この曲がラスト直前のこの位置に来るのが意外なような、しかしよくよく考えると、W主演である二人が歌う曲の中で、他のプリンシパルの歌が入らず二人だけで歌い交わす曲は、実は思っていたよりずっと少ないことに気付く。
初対面のときの≪推理合戦≫。
(最後のアイリーンの歌うパートを除くならば)アイリーンをめぐる交渉の際の≪光と闇が出会うとき≫。
Op.2のラストを飾った天才フレーズ≪I hope/I will≫。
そしてこの≪巡れ輪舞曲≫と今回のアンコール曲≪扉をあけて≫。
221B訪問のときの万感のWhy me?≪夜のしじまに≫。
橋落ちのときの≪William&Sherlock≫。
そして≪With you≫。おそらく、このくらいではないだろうか?(抜けがあったらすみません)
ウィリアムだけを主人公とせず、シャーロックも同じく主人公として据えたからこそのモリミュだったことを思うなら、コンサートのラストに選ぶなら、やはりW主演が揃っていて、且つ二人きりで歌うものがいい。
その中でさらに、二人の関係性の醍醐味を感じられて、ラスト直前に持ってくるに相応しい盛り上がる曲となると、≪巡れ輪舞曲≫か≪I hope/I will≫辺りだろう、と私は思う。
本当は、もしその二択ならラストっぽい盛り上がりを見せる≪I hope/I will≫でも良かったのでは? とちょっと思うし、できればまた聞きたかった……! と思うけれど、≪I hope/I will≫は以前のジャンフェスでも一度コンサート形式で歌ってくれているし、それにこの直後に≪With you≫が来るならば、追う者と追われる者が美しく歌い交わして終わる≪I hope/I will≫から≪With you≫にすんなり繋げてしまうより、追う者と追われる者以上の複雑な関係性が感じられる≪巡れ輪舞曲≫を挟んでから、二人が隣り合って同じ方向を向いて歌う≪With you≫を持ってくる方が、その間に波瀾の「物語」が生まれるような気がする。穏やかな曲が並ぶより、緩急がつく。
どういうお考えのもとに、この選曲になったのか、私が窺い知れるところではないけれど、きっとこれしかなかったと思わされる構成だった。
(と言いつつも、やはり≪I hope/I will≫のあの眩しいほどに美しき旋律を、今のあの二人でもう一度聞いてみたかった、という思いはある。また周年企画でコンサートをやってくださらないものだろうか)

選曲のことは置いておいて、コンサートの≪巡れ輪舞曲≫。
ピアノの周りをくるくると踊るように巡りながら歌う二人が、曲のタイトルにぴったりで面白かった。近づいたと思ったら離れていく、揺れ動く波のような軽快さは、翻弄されるシャーロックと揺らめくウィリアムの心情がそのままに表れているようだった。
Op.3のときはずっと高みにいたウィリアムと、届かぬ手を虚空に伸ばしたシャーロック。
コンサートではその立ち位置が逆になっていて、最後に平野さん(=シャーロック)側に焦点が行くつくりになったのも、仮面舞踏会のときの仮面をつけたアンサンブルさんたちがマリオネットを思わせるようなポーズで締めたのも面白かった。

≪With you≫

この曲に入るちょっと前のMCで「コンサートも終盤」と言われたとき、最初、もうそんなに時間が経ったのかと驚いた。
「楽しい時間はあっという間」なんていうけれど、本当にびっくりするほどに時が経つのが早すぎて、まだ始まって30分くらいのつもりだったのに、いつの間に2時間近くにもなっていたんだろうと思った。
「そろそろ終盤」の言葉を聞いたときから名残惜しさが募っていって、あと何曲あるんだろう、最後に来る曲は何だろうとずっと思案を巡らせていたところに、この曲のイントロが流れた瞬間の「ああ、これでもう最後なんだ」と何も言われずとも理解できた、あの切なさのような、無事に終わることへの安堵のような感覚が今も忘れられない。
今回のコンサートを現地と配信で数度観たが、この感覚を、≪With you≫を聞くたびにずっと毎回味わった。
楽しい一日の最後に訪れた場所で『蛍の光』を聞いたときのような、この楽しい時間がついに終わってしまうのだという寂しさと、それを包み込むほどの満足感。
この後に締めのメインテーマとアンコール曲は控えているけれど、それを除けばコンサートのラストを飾る曲は、きっとこの曲しかありえなかったと思う。
これまで毎回、モリミュの構成力の高さに唸らされてきたが、コンサートでもまた、あまりにも美しい幕の下ろし方に感動を覚えた。

Op.5のときは、ウィリアムはずっとこちらに背を向けていたので、その表情をわずかに見える横顔からしか伺うことはできなかった。
しかし今回のコンサートでは、勝吾くんが途中で客席の方を振り向いて、その表情を見せてくれた。
それがOp.5のときのウィリアムの表情と、全く同じというわけではないかもしれないけれど、きっとこんな顔をしていたのだろうと想像してきたものと、目の前に見えている顔がスッと重なって、美しくて大きな謎にひとつの答えを得たような気持ちになった。
Op.5からほぼ1年。それを今になって見せてくださるのが、観客へのご褒美のように感じられた。

≪扉をあけて≫

再びのメインテーマを経ての、アンコール曲である。
私は最初、アンコールはメインテーマをもう一度歌うのではないかと思っていたのだが、いざ聞いてみると、≪扉をあけて≫はアンコールに実に相応しい曲だった。
Op.3ではビルに向かって歌われていたこの曲が、観客に向けて歌われた瞬間、まるで新しいメッセージを持つ曲に生まれ変わったようだった。
「解き明かす喜び 知っているのは世界で 私たち二人だけ」と勝吾くんが観客に向かって歌うとき、そこに「この劇場で起きたことを知っているのはここにいる僕たちだけ」というニュアンスが生まれたように感じられた。

元来、演劇とはそういう性質があるものではないか、と思う。
劇場の中で起こったことを知っているのは、(スタッフを除けば)役者と観客だけ。
そこに、人生の内のほんの数時間ではあるけれど同じ楽しみを共有した「同士」という関係性が生まれる。
役者と観客は、舞台の上と客席で隔てられているけれど、その場を目撃していない人には決して分かち合えないものを共有する私たちは、確かに「同士」に――「共犯」になれるのだ。
モリミュの役者さんたちは、(元からそういう考えを持っていらっしゃる方が多いのだろうとは思うけれど)、Op.2でコロナ禍の打撃を受けたことも影響してだろうか、「この場を選んで来てくれて、ありがとう」という思いを折に触れて口に出して伝えてくださる方が多いように思う。
特にOp.2のときは、「行かない選択が正しいのかもしれない」という気持ちが、きっと誰の心にも少なからずあった。行く選択が、良くない結果に繋がってしまうかもしれない。その選択の結果、周囲に迷惑を掛けたり、非難されたりするかもしれない。そんなおそれが付きまとう状況下であったと思う。
それでも公演があるのならと、様々な要素を天秤にかけて、その上で「行く」を選択した観客の覚悟と、「行けない」を選択した人の無念を、役者さんたちはとてもよく理解してくださって、そして劇場に行くという選択をした観客に対して、常に最高の芝居と感謝の言葉を届けてくださった。
それは2024年になった今でも変わっていない。
それぞれに色々な事情があって、つらいことも悩むこともあって、忙しくて、他に娯楽も山ほどあって、それでもその中で、この作品を観に行く選択をするということ。人生の一部と心を、その作品のために割くということ。その選択に対する感謝の思いを、作品を通してだけでなく、言葉にして伝えてくださるのが、毎回本当に嬉しかった。
≪扉をあけて≫を聞きながら、そんなことを感慨深く考えた。

この歌はエールだ。数時間後には別々の場所に散ってしまって、もしかしたらこの先の人生で永遠に交わらないかもしれないけれど、今確かにこの場所で共に過ごした「共犯」たちへの、力強く生きていこう、というメッセージだ。
これ以上は考えられない、最高の終わり方だった。


あとは、ここまでで上手く語り切れなかったことを、断片的に語っていきたい。

まず、メインテーマの途中、Op.1のときにやっていた、モリアーティ陣営とホームズ陣営が向き合ってウィリアムとシャーロックが銃を向け合うあのシーン(つまり原作6巻末収録のあのイラスト)の再現を一瞬やってくれた回があったのが印象深かった。
あれは事前に打ち合わせてやったものだろうか。それとも誰かがやり始めたのに気付いて周りが自然に合わせて出来上がったものだったのだろうか。
もし後者だと言われても驚かない。それほどにこのカンパニーは原作への理解と愛が深いことを私たちは知っている。
毎回やっているわけではないあの光景を、現地に行った回で観られて本当に嬉しかった。あのビジュアルが私は大好きなのだ。
役者さんたちはいつもどの作品でも、自分の演じた役と原作をとても大切にしてくださる方々ばかりで、ファンが驚くほどの深い解釈を提示してくださることも往々にしてある。
モリミュに関しても例外ではなく、本当に毎回、原作をより好きにならせてくれるような解釈が、舞台の上にあった。
素晴らしい方々が揃っていたのだなと、改めて思う。

舞台の上と言えば、モリミュの大きな特色の一つに「演奏者が舞台上にいて隠れていない」ことがあったと思う。
オーケストラピットのように完全に隠れているわけではなくても、舞台セットの演奏ブース内に演奏者が入っていて姿が一応見えている生演奏舞台は時々ある。
しかしその存在が舞台上の役者と交わって演出プランの一部になるモリミュのようなケースは、ちょっと珍しいのではないだろうか。
モリミュも、演奏者が基本的には舞台上のストーリーから独立した場所にいるけれど、ふとしたきっかけでその存在が舞台装置の一部となり、仮面舞踏会の楽士にもなれば、シャーロックの「影」ともなってきた。
特に林くんに関しては、シャーロックと入り捌けを共にしていたこともあり、ご本人も仰っていたけれどまさに「裏シャーロック」として、演奏者という以上の役割を担ってきた。
この「演奏者も役者の一人である」かのような展開をしてきたモリミュらしく、今回のコンサートでピアノとヴァイオリンがドンと中央にいて、その脇をギターとパーカッションが固める配置を、とても面白く感じた。

そういえば、今回、ペンライトの色順と各キャラの担当カラーを覚えるのに必死になっていたので、林くんのペンライトが本当にありがたかった。
何色にすべきか、曲に合わせてどう振るべきか、誰よりも頼りになるお手本だった。
≪三兄弟の秘密≫で、赤・緑・紫を順番にスマートに切り替えているのを見て、そんな技が可能なんだ⁉ と思った。仕組みは分かったけど、未だにあんなに上手くやれない。
多分あの会場の誰よりも、モリミュコンサートのペンライトに長けた人だった。
演奏技術だけでなく、常に何か仕掛けようと狙っていたり、今回みたいにペンライトを積極的に振ってくれたり、林くんがいてくれたことはモリミュにとって、とてつもない財産だと思う。


あと、今回のコンサートでも「歌が凄いモリミュ」の名に恥じぬ素晴らしい歌を毎日聞かせてもらったが、稽古と公演期間で一度仕上げた経験があるとはいえ、元々の難易度が高い、しかもものによっては5年前に歌ったきりの曲もある。それを再び舞台上で歌う大変さは、想像に難くない。
しかも公演時間2時間ほどとはいえ、マチソワを5日間連続というハードな日程だ。
なのに、これまで歌った歌だけではなく、トークも、自分が演じたのとは違うキャラクターの歌をカバーするお楽しみコーナーも、どれもがすごく完成度が高くて楽しくて、観たかったものばかりが詰まっていて、私たちを楽しませるためにこんなにも色々考えて準備してくださったんだ、ということが伝わってきて、感謝で胸がいっぱいになった。
ゲストのいなかった千秋楽のスペシャルメドレーだって、たった1回きりのあの回のためだけにもう一度これだけの歌を仕上げ直してくださったのだ。
役者さんたちはこのコンサートのことを「5年間の感謝を伝える場に」などと仰っていたが、感謝するのは私たちの方だ。
こんなにも素晴らしい作品を作り上げて、5年間ずっと夢中にさせてくださった。
どんどん期待を上乗せしていい、それが決して裏切られない作品に出会えた喜びを知った。
妥協を知らない、挑戦して進化し続ける、常に特別な作品であり続けてくれた。

私はよくモリミュを、私にとっての「特別な作品」と呼んでしまう。
モリミュに出会ったきっかけも時期も、好きになった理由も人それぞれであろうけれど、私にとってのモリミュがこんなにも特別な作品になった理由の一つには、作品の溢れるほどの魅力は勿論だが、コロナ禍の影響もあると思っている。
Op.2当時の2020年夏。「感染対策のために劇場内での会話を控えるように」という呼びかけに応じて、本当に、衣擦れの音さえ響くのではと思うくらい静まり返った劇場で、無事の開演と終演を祈った。
私はあのとき、人が入った劇場があれほど静かになれることを初めて知った。
自分が息をする音ですら、うるさいほどに感じられた。
あのとき、1席空けた隣に座る友人とも劇場を離れるまで一言も喋らないことを約束し、休憩時間はLINEを使った筆談で感想を語り合った。
何か一つの掛け違えがあれば――いや、どれほど気を付けて万全の対策を施していたとしても、いつ予期せぬ千秋楽になってしまってもおかしくない。そんな緊張感が、役者さんたちだけでなく、客席にも満ちていた。
あのときは、本当に苦しかった。
でも同時に嬉しさもあったのだ。……嬉しさ、と書くと語弊があるかもしれないけれど。
あのシンと静まり返った客席が、観客の覚悟と努力で作り上げられていたことを――さっき書いた話とも被るけれど、家にいるより劇場に行く方が感染リスクは確実に上がるだろうし、何かあったとき批判されるかもしれないことをおそれながらも、それでも「行く」選択をしてそこに座っていることを、役者さんたちがとてもよく理解してくださっていて、それを感謝の言葉にして惜しみ無く伝えてくださったことが、とてもとてもありがたく思えた。
一緒に守った。乗り越えてきた。共に苦しかった時代を経て、今ここに生きている。
そんな特別な感情を、私はモリミュに対して持っている。
あのときの劇場の張り詰めた空気を、その日の公演が無事に終わったときの心からの安堵を、これからもずっと忘れない。
それこそ今回のコンサート中のトークでも話題に出てきたくらい、今でもキャストさんたちが、あのときの劇場の静けさを思い出して感謝の言葉と共に触れてくださるからこそ、Op.2の公演をひとつも欠けさせることなく守れてよかったと、こちらもしみじみと思えるのだ。
日用品や食料の買い物に出かけることすら憚られて、社会全体がストップしていた自粛期間、開幕もせぬまま無くなった舞台がいくつもあった。
そんな自粛が少しだけ解けてから初めて観に行けた――どうしてもこれだけはと諦められなくて、取れたたった1枚だけのチケットを握りしめて観に行ったのがモリミュだった。
劇場の空気に飢えていたあのとき、8か月ぶりに劇場に足を踏み入れて、やっと観られたのがモリミュだった。
舞台の上に、あのときたった半年間ですっかり失われてしまっていた、「それまでと変わらぬ演劇」の姿があった。
エンタメは不要じゃないんだと信じさせてくれたのも、途中で中止になる舞台もまだまだ多かった中で無事に完走できる舞台が出たのも、とてつもない希望の光に感じられた。
あのときのことを美化しすぎてもいけないけれど、あのときに確かにモリミュの存在に「救われた」という思いがあったから、私はモリミュを「特別な作品」と呼ぶ。

でも、やっぱりそんな思い出だけでも「特別」にはきっとなり得なくて、とにかく作品が面白かったから。それがモリミュを絶賛して愛する何よりの理由だ。
西森さんの数々の仕込みに、楽しむだけでなく考えながら舞台を観ることを知った。
それに舞台の上だけでなく、舞台の外でも、いつもモリミュ公式の心尽くしを感じてきた。
これまでの公演も今回のコンサートも、モリミュ公式X(Twitter)が、毎公演後の終演報告ツイートを写真付きで流してくださって、ああ、今日も無事に終わったんだと、その場にいなくても知ることができる、その心遣いが嬉しかった。
コロナが収まりきらぬ日々を、毎日を言葉通り「勝ち取って」戦ってきた役者さんたちの努力を客席から見てきたからこそ、「〇月〇日公演が終演」という言葉の持つ重みと喜びは何倍にもなった。

あと、グッズのセンスも、個人的にはかなり好きな舞台だった。
今回のブローチはかわいかったし(アンサンブルさんが着用されている、という情報が事前に出たのが、商売上手だな~! と思った)、ブロマイドのビジュアルも相変わらず最高だった。
楽器を持ったビジュアルが最初に出たのは確かシャーロックだったと思うが、シャーロックがヴァイオリンを持っているのは、正典通りなので特に驚きはしなかった。
しかし、その翌日に出たアルバートのビジュアルが、悶えるほどにどストライクだった。
チェロ! アルバートがチェロを弾いている! 似合う! かっこいい!
これはもしかして他の人たちも……と思っているところに、テナーサックスを構えたジョンが来た。しかも銀色なところにこだわりを感じる。ジョンが持つサックスを銀色に決めた人には金一封が出ていいと思う。
ここで私は「コンサートらしく、モリミュは全員に何か楽器を持たせる気だ」と覚悟を決め、残りのメンバーの楽器予想(というより願望)を並べ始めた。
そのときはぼんやり「ウィリアムはピアノに違いないとして、ルイスにはフルートを持ってもらうと絵面が大変美しそうだし、フレッドにはトランペットなどが可愛くて似合うかもしれず、レストレード警部は楽器よりいっそマイクを持っていてくれたら嬉しい」まで考えて、しかしモランにこれぞというぴったりな楽器がどうしても思い浮かばず、今回パーカッションが入るし打楽器系が似合うかな、などと想像していたのだ。
コンサートも終わった今になってこんなことを言っても、いくらでも嘘をつけるじゃないかと思われそうだけど、本当だ。信じてほしい。
だから、ピアノもフルートもトランペットもマイクも願望通りで、モリミュと趣味が合う! と大喜びしたのだが、モランのギターには、「その手があったか!」と呻いてしまった。
モランとギターの関係は、原作を読んだことのある方なら思い出すものがあったのではないだろうか。
そう。原作コミックス第4巻『黄金の軍隊を持つ男』内の回想シーン、戦場で憩いのひとときを過ごすモランの隣で、部下の一人ランディがギターを弾いているコマがあったのだ。
『黄金の軍隊を持つ男』のエピソードは、モリミュではOp.2の『大英帝国の醜聞』内に要素が混ぜ込まれたのみで、エピソードそのものは取り上げられていない。だから油断していた。――いや、違う。ギターがモランにゆかりある楽器であることを、ビジュアルを見るまで私は完全に失念していたのだ。
自分の憂モリへの理解度がまだまだであることを感じたし、ギターを選んだモリミュスタッフはさすがすぎると思った。原作の本当に小さな描写も忘れず見逃さず取り入れてモリミュを作っていらっしゃる。
これだからモリミュのことが大好きだと、何度目か分からぬ思いを、またしても抱かされた。
どのキャラにもそれを持つ意味やイメージがぴったり来る、つくづく見事さしかないビジュアルだった。

それにパンフも素晴らしかった。
アンサンブル全員が載っていて、しかも何作目に出演していたのかまで記載があるし、こんなに各部門のスタッフのコメントまであるパンフって、結構珍しいのではなかろうか。
メモリアルフォトのページの、めくるごとに過去に遡っていく構成も素敵だった。
「今」を起点として、糸を手繰るように、地層を掘り進めて行くように、はじまりの場所へ。
私は客席から見守っていただけのファンにすぎないけれど、そこに込められた歳月と溢れるほどの思い出に触れて、読みながら落涙するほどに胸がいっぱいになった。
どのページを開いても愛しかない、もはやパンフというよりメモリアルブックと呼ぶべき一冊だった。
モリミュに関わる人々が、心からこの作品を愛しているのだということが、その仕事の向こうに常に垣間見えたのも、ファンとしてとても幸せなことだった。
あと、先ほど『黄金の軍隊を持つ男』の話を出したが、パンフに載っていたコンサートビジュアルのアザーカット集のようなページでモランが銃を構えている写真、これはもしかしてまさに『黄金の軍隊を持つ男』中のワンシーン、ダンダーデール公爵邸での「俺が貴様の死神だ」シーンの再現ではないだろうか?
思いがけないものを見られて、めちゃくちゃに喜んでしまった。
本当にモリミュはありがたい。

この感想を書いている最中、ルイスが歌う「誰か一人でも 自分を認めてくれたら それだけで人は 生きてゆける」がふと頭をよぎった。
これから先、多分いっぱい苦しいことがあると思う。悩むことも、悲しむことも、楽しくないこともあると思う。
でもそんなとき、この記憶が心の支えになると思えるだけのものを――生涯忘れ得ぬ美しい思い出を、モリミュにはもらった。
人生の中の5年間を、この作品を愛し、見守りながら生きることができた。
誰かに認めてもらえることで、生きてゆけるほどの勇気がもらえるなら、何かに心から惚れ込んで認めることで、生きてゆける力が湧いてくることだって、きっとあっていい。
そんなことを考えた。

そういえば、モリミュがコンサートの間についに100回公演を迎えた(おめでとうございます!)
今回が楽しすぎたせいで、いっそこのままコンサートで完全に幕を下ろして終わるのが美しいのかもという思いが一瞬よぎりもしたが、Op.5のときの感想でもさんざん書いた通り、私はまだOp.6『空き家の冒険』を期待しているし(アルバートとモランへの救済と、償いの道を歩き始めたウィリアムの姿が観たい)、再演だって観たくないはずがないし(もしキャストが変わったとしてもきっと観に行くだろう)、今回聞けなかった曲はまだまだあるから、コンサート第2弾だって期待したい。
やっぱり、これで完全に終わりだとは思いたくない。「またな」と言ってくれたその言葉を信じて待ち続けたい。

モリミュは常に新しいことに挑戦する、停滞を知らぬ座組であり続けてきた。
もしまた何か新しい展開があるときは、新しい挑戦を携えて、私たちの期待以上のものを見せてくれるに違いないと思う。

モリミュ、5年間お疲れさまでした。本当にありがとうございました。
これからもずっと愛され続ける、永遠の名作としてその名が残っていきますように。






最後の最後に、宣伝になってお目汚しで申し訳ないですが、今年3月に出版された早川書房様の『ミステリマガジン』2024年5月号の「シャーロック・ホームズを演じる」特集にて、モリミュのアクターズ・レヴューを執筆させていただく機会を得ました。
『目撃者としてその場所で』と題しまして、「役者さんの演じ方から見たモリミュの魅力」について語っています。

noteのモリミュ感想を目に留めてくださったところから頂いたお話でしたが、私が一人で狂ったように感想を書いているだけでは到底お声が掛からなかったはずで、ここの感想を読んで、認めてくださった読者の皆さまのご支持あってこそ頂けたお話だと思っています。
まさに「誰か一人でも 自分を認めてくれたら」ですが、お一人ならず多くの方から認めていただいて、本当に本当に感謝しております。
ありがとうございます。
noteに思い付いた端から字数を気にせず好きなだけ書いている感想と違って、言葉を厳選してぎゅっと凝縮して8200字にまとめ上げたレヴューになっておりますので、ご興味がおありの方はぜひお読みいただけますと幸いです。
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早川書房様のネット通販サービスが、リニューアルに伴い先日終了してしまったそうなのですが、出版社在庫のある限り、書店でのお取り寄せなどは可能かと思いますので、お近くの書店でお問い合わせくださいませ。

モリミュを愛する皆さまと、どうかまた、お目にかかれる日が来ますように。

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