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年に一度は人生の終わりを考える

東日本大震災から10年、、

当時僕は所沢の高校で大規模増築リフォーム工事があり、そこで3m程のローリングタワーという高い場所の作業を用いる仮設移動式の足場で天井の塗装をしていました。
大規模修繕工事だった為、沢山の業者が入っており大人数でした。
ローリングタワーには僕ともう1人職人仲間が乗っていたので、揺れを感じた瞬間はもう1人の仲間が動いた時に揺れたのかと思いました。(ローリングタワー足場は移動式で少し不安定な為、少し動いただけでも揺れを感じるのです)
でもすぐに揺れは大きくなり、只事では無い地震だと感じ、飛び降り、校舎の塀をよじ登り、外に出ました。
地面は波のように揺れ動き、校舎の5階以上上で作業していた業者さん達が必死な姿で逃げ降りていた光景は今でも脳裏に焼きついてます、、

生と死は常に隣り合わせということを忘れてはいけません。津波だけでなく、事故や病気でいつ命が絶たれるかなんてわかりません。だからこそ、〝死ぬ覚悟で毎日精一杯生き抜く〟
自分自身この信念は震災前から持ってましたが、大震災を経験し、被災された方達の映像や話しを聞くごとに更に強くなりました。
当たり前の生活を当たり前に感じて、ヘラヘラして、平和ボケしないように。

神や仏がいるなら、被災された方をもっと選別出来たはずだ。地震を止められるはずだ。罪を犯した奴ら、バカみたいにヘラヘラして迷惑をかけてる奴ら、生きる価値のない奴らなんてごまんといるはずなのに、ほとんどが一生懸命生きていて亡くなった方ばかり。価値のない人間と引き換えができたはずだ。でも現実はこうだ。だから神や仏に頼まない。なんだって〝自己責任〟の世界。

大体の人は「明日も来月も、一年後も私は生きている」と信じ切ってるだろう。
しかし、震災や事故や病気で亡くなった人も、同じようにそう思っていたのだ。
僕は時々、お風呂に浸かっている時、「死」を意識した遺書のような思想を働かせている。
いつか来る死を認識する分、「生」を感じることができる。すると、今こうして生かされていることに感謝が湧いてくる。
そして僕はこうしてこれからも〝死ぬ覚悟で毎日精一杯生きる〟。
#フリーランス#塗装業#外壁塗装#リフォーム#塗り替え#エッセイ#ビジネス#東日本大震災

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