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『94歳やすこの話 戦火のナース時代編。』

我が祖母、やすこさんは現在94歳。

相変わらずボケる気配は一切なく、暇さえあれば世界地図片手に、

「ハンガリー、首都ブタペスト、通貨フォリント…、」

と、熱心に勉学に勤しむ94歳やすこ。

そんなやすこさんに、ぶどうを手土産に持っていくと、大喜び。

美味い、美味い、の連呼で、テンションはマックス。

機嫌が良くなったのか、

珍しく昔の写真を引っ張り出し、ナース時代の話をはじめるやすこ。

15才で故郷を出て、
戦時中の広島陸軍病院でナースとして勤務していたやすこさん。

ちなみに、当時の陸軍病院とは、現在の広島原爆ドームのすぐそばに位置。

B29の焼夷弾が降り注ぎ、いよいよ戦火となった頃、やすこさんは下関の病院に移った。

その1年後に、広島に原爆投下、
やすこは94才の今も元気に生きのびることとなる。

私「おばあちゃん、命拾いしたねえ。」

やすこ「いつ死んでもおかしくなかったがのう。

B29が来たら、真っ先に外に走り出して行っとったけぇのう。」

私「えっ、防空壕に避難しなかったの?」

やすこ「せんよ。防空壕の場所も知らんのに。」

私「え?」

やすこ「終戦して故郷に帰る時にの、病院内を歩いとって、はじめて防空壕ってもんを見たんよ。

中は暗くての、ほほう、なるほどこんなところかぁ〜と思うたのう。

おお、中には米俵があったのう。」

私「…ばーちゃん、戦時中、一度も防空壕に行かんかったん?」

やすこ「用がないとこには、行かんじゃろうが。」

私「…。」

やすこ「命がほしい人間が行くところじゃけえ。」

私「…。」

やすこ「しかし、あの米、1俵ぐらい貰おて帰っても、バチは当たらんかったじゃろうにのう…

おいしことしたのう…

いや、でも重いけえ、女の腕じゃあ、持てんかったかのう…」

やすこ、命に悔いなし、米に悔いあり。

やすこは今日も元気です。

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