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横綱相撲の要求が将来の横綱の芽も摘んでないだろうか

平成三十年初場所初日を迎えるにあたり、どうしても自分の中でまとめておきたいテーマだった。いや、この文を書き出した時点でまだまとまってはいない。書きたいことをすべて書こうとすればどれだけの長さになるかわからない。なので、あまり他所で見たことのない視点になるべく集中したい。

横綱白鵬の立ち合いの張り手や、相手に肘をぶつけるようなかちあげに横審から苦言が入った。その後のマスコミの報道を見ると、この意見があたかも「禁止令」の意味合いを持ち、白鵬も「悪癖」を「改善」するように努めているという流れになっているようだ。

たしかに九州場所はいつもに増して張り手かちあげが多かったようではあるが、個人的な意見としては通用する戦法であればどこまでも多用してよいと考えている。なので「悪癖」と見る意見に支配されることには抵抗があり、そして抵抗を試みたいのである。

まず前提として、張り手もかちあげも万能ではないから使い手や使いどきが限定される。張り手、かちあげに共通するデメリットとして、脇が空く、上体が浮くといったものがある。

白鵬とてそのデメリットから解放されているワケではない。それでも成功しているのは基本的に立ち合いの踏み込みとセットで使っているからだろう。白鵬といえば、四股や摺り足といった地道な動作を誰よりも丹念に行うことで知られている。張り手やかちあげといった荒々しさばかりがクローズアップされがちだが、私は白鵬の強さの本質、土台は踏み込みにあり、荒々しさはあくまでもバリエーションの一部に過ぎないと考えている。

なお、白鵬の立ち合いのスピードはボルトのスタートに匹敵するそうである
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO84435650W5A310C1000000/

かちあげに話を絞るが、白鵬のかちあげはこの立ち合いの踏み込みとセットであるから、同じくかちあげを得意とする高安や大砂嵐のそれとは一線を画する。

高安や大砂嵐はかちあげの際、両足が揃って身体が伸び上がってしまうことが多い。ある一点をめがけて、下から上に伸び上がる動作をする。その一点にうまく命中すれば相手の上体を起こせるのだが、その一点を外してしまうと自分の上体だけが浮いてしまう。

対して白鵬のかちあげは同じく上体が浮くデメリットを内包しているものの、かちあげはあくまで踏み込みを利した派生系の技なので両足が揃うことは少ない。かちあげで思うような成果を上げられなかったとしても、次の一手に移行するフォローのできたかちあげだ。

白鵬の場合は踏み込みの鋭さと深さ、懐の深さ、身体の柔軟性など諸条件が整っているため、失敗のリスクの少ないかちあげを体得できた。よく、白鵬に張り手やかちあげを食らわせてみろという意見があるが、普段からそのような取り口を見せているならともかく、慣れない立ち合いをすることは非常に危険である。

張り手やかちあげが見た目に荒々しく危険に見えるかもしれないが、頭からのぶちかましがアゴに入れば力士生命に関わる事故になることもある。また、ぶつかる方も、当たる際に角度を誤っただけで、頚椎を損傷したり骨折することもある。

実はこのことが、白鵬が張り手やかちあげを多用することと大いに関係がある。現在の幕内上位は、四つ相撲よりも押し相撲力士が目立ちつつあり、押し相撲の力士は立ち合いに頭からぶつからないと持てる力を発揮できない者が多い。

だから、ぶつからないと勝負にならない力士は間違いなく飛び込んでくる。その際「頭の軌道」というのは読みやすいものと想像する。立ち合いの構えからおおよそ判断でき、大きく外れることはない。変化があったとしても、当たってからの変化であれば頭の軌道はほとんど変わらない。

そういった意味で、九州場所の嘉風は、白鵬がイメージした「頭の軌道」をうまくズラした好例であり、またそれを白星に繋げることができたのは、当たらなくても懐に飛び込みさえすれば持っていけるという自信があったからにほかならない。

若い頃の嘉風は無駄に上体を上下動させていた部分があったが、ここへ来て最も重要な一瞬でそのスキルをさりげなく発揮したところが素晴らしかった。そして、普段から鍛えているふくらはぎの筋肉で立ち合いの当たりに頼ることなく、一気に前に持っていった。

この戦術は嘉風だから使えたということも強調したい。ほかの力士が真似すればいいというものではなく、それぞれが強みを消される研究をされる中で、どのように勝機を見出せばよいか。試行錯誤を繰り返してたどり着いてほしいと思う。

あと、張り手やかちあげを卑怯な小細工という見方があるけれども、個人的に現代相撲においては、ブレーキ、警鐘という意味合いもあると思っている。毎日力士に全力でぶつかり合うことを要求することは、漫画ドラゴンボールで「地球のこととか気にしなくていいから全力でかめはめ波打てよ」と要求しているに等しいと思っている。

力士のケガが相次いでいる。C-PAPの普及、栄養学の知識の向上、トレーニング理論などの進歩とともに、各力士は持てる潜在能力をある意味不自然なレベルにまで高めることに成功していると思う

立ち合いの当たりから直線的に前に出る力を、筋肉量の増大を伴う体重増によってつけているのだが、その身体から放たれるエネルギーに自分自身がついていけていないような印象を受けることがある。

白鵬も、この傾向の恩恵を受けている1人ではあるが、断食を試みて体重を減らすなど、当たって直線的に前に出る力以外の要素の重要性をアピールしている。白鵬の張り手やかちあげは、現代力士の弱点の種明かしのようでもある。

現在期待されている若手には押し相撲の力士が多い。押し相撲の力士は四つ相撲以上に立ち合いに先手を取れるかどうかが重要だ。雑な表現をすれば、四つ相撲は動きが止まってからが勝負であり、押し相撲は動きが止まるまでが勝負なのだから。

彼らが将来四つ相撲に転身して綱を張るとはとても思えない。しかし、持ち味の押し相撲を磨けばあるいは可能性があるかもしれない。そのときに、横綱らしくないと文句を垂れない世間になっていてほしい。横綱を張るような人は誰でも一家言持っている。

四つ相撲であったとしても、このような体重増傾向が続くとすれば、相手の当たりを受け止めて横綱相撲を取るために体重が何キロ必要なのだろうか?そこにたどり着くまでに内臓疾患にかかるかもしれない。

白鵬にはこのような危険性を孕む乱暴な「横綱相撲」という四文字に惑わされることなく、引き続き雲のように掴みどころなく存在してほしいと願っている。

受けて立つ相撲を取っていたとしても、土俵を降りてしまえば影響力は限定的だ。現役を長く続けることには意味がある。その点、先人の反省を活かしていて素晴らしいと思う。

さて、私が子供の頃、相撲界から現在のように徹底的に「暴力の追放」が叫ばれるとは想像もしていなかった。「暴力の追放」の対策がしっかりできてからでも構わないので、「横綱の幸せ」についても考えてもらいたい。横綱はたしかに特別扱いされたり厚遇されたりするが、現代の感覚からすると、古めかしくて横綱本人的に嬉しくないものもあるだろう。未来の横綱のためにも今一度再考したいテーマである。

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