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何にもならないで生きる

私は書くことが好きだ。
改めて思う。好きだから書く。書く理由はそれだけ。

書くってなんだろう。私はこうしてPCにタイピングするのも好きだけど、紙に文字を書くことも好きだ。ノートを何冊も並行して使っている。
私がやりたいことリストのノート
好きな本からの抜粋のノート
気づきを書き溜めたノート

それらを大事な本のように読み返してはまた書きたくなる。

誰かに何かを教えたいと思っていない。
私の書くことは、たくさん本を読んだり、よく考える人ならだれでもわかっていることばかりだと思っている。

ただ、私は自分の深掘りが好きだ。自分ほど分からないものはない。自分なのに、見えないし分からないから、一番面白い研究対象だと思う。
私という存在は、目に見える身体だけではなく、その中?に宿る?魂?精神?であり、身体の感覚器官とつながっていて、それらが受ける刺激全てから何かを感じ、思う。

子どもの頃に誰でも思ったのではないか。自分は何だ?父や母は何者だ?

私は小学校に上がる前から、毎日のように近所の家に行って上がり込み
その家にあった図鑑をながめていた。
宇宙の図鑑だった。惑星の絵や写真、説明があって、何時間でも見ていたのを覚えている。

私の身体もいろんな小さな要素からできていて、それらの構成が宇宙のすべての存在と相似形だという。だから私の身体も宇宙の一部だし、宇宙は私の中にもあるというのも、なんとなくわかる。

そう、こんなことをつらつらと考えて、文字にするのが楽しい。

私は仕事を辞めても、何にもならないで、書きたいことを書く人になろうと思う。周りの人の頼まれごとを楽しく引き受けながら、なんにもならないで生きるんだ。そして、感じたことを書く。なんて楽しいことだろう。

持っているものは必要な人があれば差し出せるといい。

あとは、音楽を演奏し、聴き、歌い、舞い、色々なものを創り出す方法を学びたい。自分の手で何かを創りだしたい。工芸とか、不器用なんだけど、うまく作らなくていいから、ただ作ることを楽しみたい。全国を回って、工芸品づくりを体験したい。作ってみたいだけ。そしてそのことについて書く。

ただのわたし。ただ、生きていることを楽しむ私。いいなあ。

自分のやっていることがお金にならないかとか、人の役に立つかとか考えないで、やりたいかどうかで決める。

シンプルに、シンプルに、シンプルに。

そう思うと、世の中の人はみんな何かを得ようとしている。資格を取るのも仕事を得て収入を得るため。子どもたちも、何かを得るために通わされている子が多い。当たり前のことだ。

でも、だ。

何かを得よう得ようとした先にあるのかな、幸せは。

私はそう思えなくなったから、実験として、なににもならないで生きることを目標にしてみようと思う。

仕事を辞めないとできないと思っていたけど、ハードに働きながらでもできるかも。リーダーだからとか、それも置いておいて。ただ、一人の人として、今この時間は目の前の人の役に立てるように、同僚たちと良い時間を過ごせるように、そのためだけに生き、仕事が終わったら、また一人の人として、なんでもない自分をほっとして楽しむんだ。

先週かな、境界線のゆるい自分に悩んでいたけど、どうでも良いことだ、
ただ自分の声を聴くことに集中する。シンプルにシンプルに。

あなたは「あなたがおこなうこと」ではありません。

人間のことを英語で、humanbeingという。humandoingではない、と。

何をするかが人間ではなくて、どうあるかが人間だということ。「自分の価値」と「自分がすること」を混同したりしない。
より多くを所有する、競争に勝つ、有名になる、高い地位を得るといったことは全く大切なことではないとはっきり教えている。
(中略)
愛と安らぎを持って、それらを人々に与えなさい。生きてゆく時に、すべてはなるようになるのだということを心得ていればよいのです。すべてをゆだねて生きなさい。
「すべてはなるようになるのだということ」を信頼して、実験する。

あなたの人生を「芸術作品」として、一瞬一瞬に紐解かれて行く大傑作であるかのように生きるとしたら、どんなにすばらしいでしょうか?

ステキな本です。

タイトルはもう少しいいのがありそうだけど😊

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