自語


昨晩の刻みつけた心の塊は、話したかった。知ってほしかったという、記憶を照らして、自分の中の彼女の像を物語ることであった。今晩は、一文字もその名前を呼ぶことなく、彼女のことを話すために、また、話す自分のことを知ってほしいと文章を書こうとしている。

インターネットの文脈もSNSの使い方も分からず、潔癖な状態でスマホを手に入れた自分は高慢ちきで自意識過剰な今のそのままだった。振り返る起点を履き違えている。YouTubeが流行り出した頃でそんなものにうつつを抜かしていれば手に入れられるものが減ってしまうと、選び取りたいもののために時間を使おうとして、削ぎ落として代償を払おうとして、言いたいのはアウトプットや行動には表れずチグハグの努力論であったということだった。

大学生になる前に、ものすごく自由な時間があって、そのときに何か出来たはずだと後悔していた。具体的に何一つ思いつかなかったけれども、お金がなく時間だけが有り余っていた自分はYouTubeを観るのがニコニコ動画を見るのが充足感があった。春から夏になって、失敗から立ち直れず、居心地が悪くて外へ出れなくなって、時計の針を眺めて時間が過ぎるのを待っていた秋、生を存続させるためだけの苦しさから逃れてYouTubeを見続けた。再現料理をする動画とチョコ狂いのカカオ振りかけの人の動画は全部見た。どんな文脈かわからないけど、キズナアイとシロは既に視聴履歴にいた。2017年の秋のことだった。

霧島レイやすーぱーそに子が好きだった自分は、その構造に違和感なく特別新しい何かでもなく捉えていた。ここまで書いてカタブツかのように自分のことを書いてしまったが、なりたいのは漫画編者で、コンテンツという言葉が好きで、アニメイトで時間を潰す10代だった。

年末、カンブリア爆発が起こる。再生数と登録者数と、そしてその該当者自体の数が興った。
ニコニコ動画に編纂された動画を以て、僕は潮流の先端の目撃者となったことを喜んだ。過去に生まれたコンテンツを追うのではなく元ネタを漁るのではなく全てをリアルタイムで追えることを。
みて、もって、まなざして、しる。みもざじるという名前を自分につけた。
‪月ノ美兎のように五文字の名前がいいよなと思っていた。当時はガチ恋だった。
ニコニコ超会議で一対一で話せるイベントがあった。そのためにと部屋から出たのだった。
結局、話したのはばあちゃるとだった。ヒメちゃんのチケットも取れたけれど気持ちがワーワーとしていて入り時刻にその場にいなかった。JALの岡本さんの写真を撮らせてもらって、坊主テクノを聴いた気がする。大学に行くとその放送をみた学友から出てたよねと声をかけられた。楽しかった。

その頃抱いていた夢の場所は、知的生命体が全員ネット上にいて、話したり眺めたり応援したり出来るかもしれないというサマーウォーズのノリだった。

「手だけはきれいだね」の切り抜きでぽこピーを知り、ぽんぽこ24の圧倒的なパラダイムと濃密さに酔いしれた。Vtuberになりたくてなりたくてたまらなかった。CMを出したかった。ソロタイミングで存在していたV生命体の名前はほぼ知っていたはずだと思う。そういう時代だった。

にじさんじが強力に跋扈し生放送主体になっていた頃、バイトを始めた。帰らないと夕飯が食べられない時間帯で、ちょうど9時半からの放送がテレビ代わりで楽しかったのは鈴谷アキだった。
収益化出来るか出来ないか、メディア露出出来るかできないか、イベント出来るか出来ないか、マネタイズ出来るか出来ないか、そういう視点をピン留めするようになったのもその契機だったと思う。

Vtuberの始まりを見たからには、その終わりまで見てやろうと息巻いて2019年を迎えた。その時点でガタつきはあった。粗野な領域であるなら当たり前だと思うけれど。傍観者として、諦念として、この世の全てには終わりがあるのだと悟ったのだった。永久のコンテンツや不変の美貌だとする騙り口にイラついていた。

コメント欄で場所があるような気がして、読まれて嬉しくて、イベントが開催されるのが楽しくて、グッズも買ったし、Twitterも見る専ではない人格が出来ていった。ごぼうを抱えて会いに行ったりした。岩手まで高速バスに乗ったり素泊まり旅館に泊まったりした。顔の知らない人とチケットのためにVtoL に相席させて貰う機会も得た。

ショートカットするが、居心地が悪くなるような行動を自分で起こしてしまった。

自分が目立ち読まれるためのコメントをし、記憶に残って貰うための振る舞いをするのは常であったが、この閉鎖的な場所が変わるためには僕自信が輪に波紋を起こすのだと信じていながら、和を乱すのが最も罪深いものであるという内省と怒りとジレンマと嫉妬と贖罪とでまたトンだ。

いなくなろうとしても、以前と同じ何かを得ようとして同じ振る舞いに戻る習慣の弾性力があった。
自分のその悪さを以て善しとする、サブ垢楠見善哉はグズついたうぬぼれであった。ツイキャスやらSHOWROOMやら屯した。他の誰かに場所を用意してもらいたくて探した。心の分配であった。

EMMA HAZY MINAMIの名前は知っていても配信を見に行くのはそういった流れの中で、企業の1部門としてはもしもがあるかもしれないと時間の許す限り訪問した。ディナーコンサートにも参加した。名前の入ったコースターと、立派なグラスをお土産にもらった。2019年の冬の話だった。

2020年、シェアハウスから住居を移して一人暮らしに変わった。テレビがある部屋だ。テレビにYouTubeを繋げて眠れない夜を快いものに変えたりした。音楽を聴き始めたのはこの辺からで、yosumiがコンビニ行ったりタバコ吸ってるツイキャスと巣篭もり需要が最高に調和していた。
羽子田さんやぽぴやブギボを知って、ハウスミュージックを知った。とびきりにピーナッツくんを神格化させていた。Vtuberについて人と話すことはなくなっていた。

2021年、激突や激動があって、近年で一番本を読んだし、ノートを取ったし、新しい友人が出来てその人と哲学やアニメ史やカルチャーや様々話した。そして、歩いた。歩いて、歩いた。暇を見つけては歩いて、目的に応じて歩いて、土日は郊外のショッピングモールまで歩いた。それがぼくの哲学との向き合い方だった。大動脈に走る四輪駆動の音や排気の匂い、アスファルト、歩きやすい街、ワイヤレスイヤホンをつけるとナポリタンにタバスコをかけたかのような絶品さだった。ここまできてやっと、ぼくの人生に彼女のことを話すタイミングが生まれた。
yosumiとahi;とM3の打ち上げのやつでまともに話している姿を知った。かわいいね。

おい、2019年のぽんぽこ24でエハラミオリ特集されてんじゃねーかと今振り返った。「キミに、胸キュン。」もある。そうやって勝手に人生の伏線を蒔いている。ハンバード ハンバードもそうだ。時系列順にゃ述べられないようだ。
バーチャフリーク rewireが最高ッてノリで、その気持ち引きずって初めて新木場のClub ageHaに参加した。やべー人の流通。低音、追いきれないくらいのタイムテーブルの豪華さ、念願の生yosumi、kzさん、fruity luv、そしてヨシナの曲。2022年より後は後日になるはず。
ZONEのカッケー感じ、語彙のない僕の持つ表現で話す最大限に心震える鼓動。
楽しかったなあの夜は

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?