例の商標登録の件について思ったこと

 まず前提として、どちらかの敵とか味方とか、誰かを擁護するようなことは書かないつもりです。
 どちらかというと出遅れたというか、流れに乗れなかったので。

DOS攻撃が行われた件について

 犯罪行為なので止めましょう。と言っている人がいるが、それは論点がずれていると思う。
 第一、お祭り騒ぎになってしまったせいで、もはや特定はできないんじゃなかろうかと思われます。というか、うかつな人は特定ができるけど、上手くやる人は特定ができないというまだらな状態になると思う。
 そうなると、同じ犯罪行為をした人でも、裁かれる人と裁かれない人が出てくる。それはそれで、また別の問題になりそうだから。
 そして、裁かれない暴力のことを、人は正義と呼ぶわけです。

 その行為が行われる前に「止めておけ」というのなら、それには意味があるかもしれないが、すでに行われた行為に対して「それは悪だ」と言うだけの、醜い人間にはなりたくない。
 正義に便乗するような小悪党にもなりたくないけれど。

 あと、見かけた意見に「レンタルサーバーに迷惑がかかるから止めた方が良い」という物があったけど、それもなんか、ずれてる。
 そもそもたぶん、DOS攻撃の目的は、当人を攻撃することじゃなくて、当人に協力した人を攻撃することだから。
 それが人道に悖った行為かということは別の話になるけれど、彼本人を攻撃するよりも、彼に協力する人間を削った方が、効率的というわけです。
 将を射んとする者はまず馬を射よという、まさにそれが狙いなわけです。

今後どうなるのか(予想)

 取り下げられるだろうというのが、まあ無難な予想です。
 法律には詳しくないので知りませんが。
 その後も、彼に対する報復みたいなのは、ネチネチと続くのだろうけど、まあそんなのは知ったことではない。
 どこかで転換期が来て「あのとき炎上した、○○です!」みたいな感じで復活するんだろうけれど、まあ好きにすれば良いかなと。

 で、そうじゃなかった場合というのが、なんとなく面白そうなわけです。
 取り下げられることがなく、動画編集者などが使用料を支払わなければならないという『ルール』が定着した場合です。
 この場合、果たしてどの程度の人がこのルールを守るのだろうか。ということです。

 根本的にルールというのは、守る人がいて、初めて価値が生まれるものです。
 世間の常識や、集合意識に逆らうようなルールは、もはやルールとして維持されることはない。
 例えば、仮に今回の騒動で裁判所から「罰則金いくらを払いなさい」と言われたときに……

・素直に支払う
 →当座の問題は解決する。
 →世間からは「圧力に負けた」と映る。
・従わず、抗う
 →さらなる面倒ごとに巻き込まれる。
 →世間からは「圧政に立ち向かう勇者」と映る。

 のようになるなことも考えられます。
 実際にどうなるかは別として、そう考える人が一人ぐらいは現れると思います。
 そうなると、どうなるか。ここまで行くと妄想の域だけど……

・ルールに従わず、戦っている人がいる。
 →だったら私も、戦う! 革命を起こす!
 →こんなルールを作るこの国は間違っている! こんな国のルールに従う必要はない!

 ……言い過ぎました。
 でも、程度の差はあれ、同じことを考える人が出てきても、不思議ではありますが納得はできるのではないでしょうか。

 例えば……皆さんは、歩行者用の赤信号を守りますか?
 もちろん、基本的には守ると思います。
 でも、例えば車なんてめったに通らない場所だったら?
 車が来ないことを確認して、えいっと渡ってしまうのではないですか?
 知らないおっさんが信号を無視するのに続いて、当然のように渡ってしまうのではないですか?
 (たぶん)悪人ではないはずの、あなたでさえ、状況が整えばルールを破ってしまいます。

 そうなると、まさに無法地帯が訪れるのかな……

結論

 詰まるところ一番安全なのは、商標が取り下げられることなんだと思う。
 もしそうならなかった場合、次に国がやらなくてはならないのは、取り締まりをバチ厳しくすることなのかもしれない。

よろしくお願いします。