深海からの手紙

以前、思考の海というきもいポエムを投稿したんです
あの時、私は思考の海に楽しく深く潜りたいといいました
んで、これは息が続かなくなってもうすぐ浮上する私の議事録です

 ここで文章書くのはただのストレス発散で、思考の整理をしたいなら文章より図の方が向いてるのもわかってるけど、その方法がいまいちピンとこないミミズ飯って感じです今
 最近メイドインアビスにハマって、こないだも一気見してしまって現在第二期が放送中なんですが、ストーリをざっくり話すと
・でかい穴があって
・みんなそこに宝探ししに行って生計を立ててて
・潜るのは簡単だけど、登るのは大変
という話です。多分。原作読んでないから多分。
登るのが大変というのは肉体的な話ではなく、でかい穴「アビス」特有の性質である「上昇負荷」というのが関係しています
んで、その上昇負荷は深く潜るほど強くなって、ある深さ以上潜ったならばもう人間として引き返すことはできない、引き返すと「なれはて」と呼ばれる存在に変わってしまいます
 個人的に第五層から引き上がると死ぬのに、第六層から引き上がると人間でない生命体?となるのはどういうことなんだろう…あれは生き物ではないのか?とか色々考察が捗るんですがそれはいいとして

 私は思考の海にここ一年間ぐらいずっと潜っていて、最近ふと色々見失ってるなと、そろそろ上がった方がいいなとそう思ってます。感覚がバグり始め、メンタルが狂い始め、時間感覚も狂って戻りません。睡眠なんて取ろうとしても取れないし、思考はまとまらない。被虐思考と攻撃性ばかり高まっていくそんな今日この頃です。まさに山月記の白虎みたいな、そんな感じです。あそこでうさぎとかではなく虎に変わるというのは割と適切な選択なように今では思えます。
 まぁ、そうなってるのは潜る前に「死ぬ気でやる」のテンションで狂うぐらいやってみようとかそう思ってたからなんですが、狂ったところでただの狂人であり、それが結果に結びつくわけではないわけです。当たり前ですが、狂ってみないとわからないこともあります。
 まず、思考を狂わすと詰みます。その人のキャリアの源でもある思考を狂わす行為は、ただの被虐思想に他ならないわけです。
 んで、「死ぬ気でやる」と「死んでもやる」は全くの別物という五条悟の名言?は割と正しいです。前者の方が難しいし、重要だなと思います。本気で狂った時点で詰みなんです。
 天才的な狂人は、選択が狂ってるだけで、思考は優れていると思います。選択に意図がのるか、ただの自傷行為かを判別する力を持ち、狂った選択をものにする思考を持っていると思います。

 私は自殺はしたくはなるけどしません。肉体的な自傷行為もしません。痛いの嫌いなので。けど、社会的精神的に死ぬならそれが美徳だと思っている節があります。それは私の場合、合理的に考える力が弱くても、自分を省みない行動は批判されにくいという狡い考えです。それがおかしいと分かっておきながら、それらが英雄視される社会への反抗でもあります。死ぬ気でやって死んでも、社会はきっと改まることはないですが、それを「すごい」なんて言っちゃう人間と「おかしい」と思うだけの人間の乖離が大きくなるだろうと思います。それを望んでいるだけです。乖離が大きくなりすぎて争いが起これば万々歳です。
 これは自分の至らなさを他人に責任転嫁させているだけであり、社会的な正しさを信じられないだけであり、自分の持つ正しさを行使することに臆病なだけなんです。その結果、自分の思う正しくないことを極端な形で社会に還元して、社会にジャッジしてもらおうと。そこで自分を打ちのめしてもらおうという考えでもあります。わざとヒールに回って、自らを罰してもらうことで、私は同罪を働いている人間全員が罰せられた時のような幸せを感じることができるし、そのような結果自分が社会的に死ぬことは、社会に突きつけた皮肉と美徳が合わさるという、世にも滑稽な出来事なわけです。

 そんな考えで、私は狂おうとしていました。けど、本気で狂うと社会に出れません。取り入ってもらえません。結局ヒールは、壇上を用意しなければ、ただの関わらない方が良い人に他なりません。一人死ぬだけです。

 なので、私はとりあえず狂うのをやめようと思います。深く潜るのは、もっと準備が整ってから、壇上が用意されてからのお話です。社会に迷惑をかけない範囲でかつ、良悪良な意味で深い影響を与えるような、そんなものを作りたいと今は思ってます。
 解決策は深く潜った先に置いておいて、ちょっとしたサプライズぐらい置いておければ最高じゃないですかね


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