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20歳で感受性が死んだ話

 『そのどれもが全部同じ人』

 例えば、先日あった話。私は石川県内の大学に通う大学3回生で、部活動は漫画研究会に属している。が、普段は部活動を全く行う気概を見せず、同じ部活動の先輩とそのご友人とでデュエルマスターズというカードゲームに夢中で、日常生活でおよそ発揮されることの無い能力の高め合いをシコシコと行っているのだ。絵を描けよ。
 カードゲームしか接点のない状態であった2回生の頃から次第に互いのことを理解し合い、自分の中では先輩の存在は学校内でかなり仲のいい友人レベルにまで昇格した。そんな中でも、「やっぱ人と完全に感覚を共有するのは難しいな〜」と思うようなエピソードがあったので紹介する。
 例えば、その先輩はブルーアーカイブというソシャゲに傾倒しているのだが、私は知っての通り大のソシャゲアレルギーで、買い切りのゲームと違ってソシャゲは終わりがなく、金だけを搾取されるという思想が常に頭の片隅にある。「限定」水着衣装とか「限定」クリスマス衣装などの「限定」の二文字だけで購買欲を煽りまんまと騙されたあほうな我々は搾取されるといった塩梅だ。そのようなイベントは夏のボーナスや冬のボーナスの時期に合わせて実施され、「ちょうどよく収入も入った事だし、あの娘の限定衣装が欲しいから、出るまでガチャを回すか〜」といった気分になるのだ。つまるところ我々はゲーム会社の手のひらの上で踊らされているに過ぎない。これが現実だ。
 そんな思考がある自分に先輩がブルーアーカイブを勧めてきた。嬉しそうに、「このゲームはキャラだけじゃなくてストーリーがめちゃめちゃ良くて、とにかく1回やってみて欲しい。あとハコニワ要素もあってキャラごとに限定の家具があってキャラごとに反応が違くてめちゃめちゃディテール凝ってて最高最高最高〜〜〜!!!」などと言いながら。当然私はソシャゲをやらないと決め込んでいるため、「あっ、この娘、イイっすね~~^^」などと相手の気持ちを逆撫でしないように振る舞って興味を引かれた素振りを見せるけど、どう転んでも始める気は無い。先輩がキャラごとのエピソードや関係性を話し始めるが、内心ほとんど聞いてない(早く帰って公害防の勉強しなきゃだな~〜~^^)
 そして家に帰る道中でふと気づく。「何かに夢中になれる人間って、羨ましい...」ソシャゲは熱しやすく冷めやすい、浅はかかなものかもしれないが、確かに先輩の瞳は輝いていた。それなのに私ときたらどうだ。自分にとって都合のいいことだけを受け入れて、あとは他の存在をシャットアウトする。そうして行くうちに自分の中から感受性がどんどん抜け出ていくのを感じるのだ。それはきっと明日も明後日も同じで、新鮮味のない毎日を過ごすことになるのだろうか、と不安になった。結局、私は、自分にとって必要なものだけ受け入れて、不必要なものは排斥するような、昨日と同じような毎日をただ過ごしていくだけでは感受性は育っていかないということに今更気づいたのだ。

『10代、ドヤ顔で悟った人』
『20代、恥に気づいた人』

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