私の愛する友人へ

この文章は、今でなくても構わないが、いずれ彼女に届けばと思う。

ある一人の友人に贈る。
そんなに大切に思っていても何故彼女を「親友」と呼ばないのかには、2つの理由がある。
1つは、彼女には知己がいるからだ。そこに割って入る/同列になれる自信がない。
そしてそれに付随するように2つ目の理由がある。自信がないのは、実に6年ほどの間彼女とは関わりが一切なかったから、である。

彼女と出会った18歳、過ごした19歳、関わりが絶たれた20歳。
お互い無意味で、しかしかけがえのない時間を各々に過ごしたと思う。その中で交わる必要があれば、いや、双方に気が向けば私たちの時間は交錯した。もっとも、当時の私の状況を鑑みると「関わることが許されていた」という表現が近いかもしれないが。

彼女は、当時の交際相手の友人だった。親しくなった理由はきっとそれだけだ。交際にあたり多少のいざこざがあった私にとって、貴重な友人の一人であったし、元交際相手も彼女と私が親しくする分には不快にはならないだろうから…。というのは経緯で、私の心理としては「こういう友人が欲しかった」というものが大きかった。ひたすらに、趣味が合った。彼女と趣味の話をしている時間はかけがえなかった。深夜に1秒でSNSにいいねをつけてくれる、御堂孝典と平川大輔を愛している彼女が好きだった。好きなキャラクターも作品も近からず遠からず(峰倉かずや作品が好きなことは同じだった)。だけれども私も深夜に彼女のツイートにいいねを1秒でつけ、ケイスケと某声優を愛していた。
鈴木達央、YORKE.、岩崎大介は共に愛した。
彼女と深夜にカラ鉄で過ごしたとき、私の前野智昭のモノマネを笑ってくれて、森久保祥太郎のモノマネを披露してくれた。
鳩マン軍曹とプログレスの親戚の名前を言えない。
空乃太陽一族をこよなく愛している。
佐倉沙織に青春を捧げた。
初恋パラシュートが好き。

ずっとマイナーな趣味を一人で続けていた自分にとって、同い年でここまで似通った人間がいたものか、と感動した。そんな友人に出会えたことで、大学に通った/母校に通うことを選んだ自分も幾許か報われたはずだ。

では、そんなに大切な友人だったのにどうして6年もの間連絡を取れなかったのか。
それは、お互いの心になんとなくで思い浮かべられるか、思い浮かばなくても構わないが、特に第三者に周知することでもないと思うので書かないけれど。

私は、私たちの間の空白の6年を埋めたいとも思わない。超えたいとも思わない。
あの頃、気がついたらそばにいてくれたように、お互いがそばにいられる時にいられればと思う。

彼女が塞ぎ込む日、自分の言葉で手を差し伸べたいとも思わない。手を取るかどうかも、彼女が決めることだからだ。私たちはいつもそうしてきた。お互いが、お互いの方を見たい時に見てきた。今更思い上がって、彼女を私の言葉で奮い立たせたいだなんて考えはない。だけれども、もし孤独や退屈で爆発しそうな時に心の片隅で私のことを朧げでもいいから思い浮かべてくれたら、友人として冥利に尽きる。

だから、彼女の誕生日にと、直接彼女に大それた感謝を述べることはしないが。こうして何か言葉に残すことはしておきたい。
いつかまた私たちの道が交わる時、「あの時の私の誕生日にこんなの書いてたのか〜!進撃の巨人っぽいな。でも、読んでないんだよね。あれ、どうなんの?マブラヴなの?」くらいで躱してくれればと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?