【再掲】人生の半分乙女ゲーやってるアラサー①

初めてプレイした乙女ゲームがテニプリの『学園祭の王子様(通称:学プリ)』で、これは何年か後にDS移植した時にタイトルが『もっと学園祭の王子様』になったことからモアプリって略されるらしい。でもわたしは学プリと呼んでしまう。いまだにメビウスのこと「マイルドセブンちょうだい」って言うおじさんのこと多分馬鹿にする権利わたしにはない。

最初に攻略したキャラは丸井ブン太だった。小学生の頃のわたしはああいうのがすきだったみたい。謎。

なんでジャンプの漫画で恋愛シミュレーションをそれも15年前くらいに出したのかよくわかんないけど、「テニプリのキャラと恋愛できるゲームでてるんだよ」って言われて「やる!」って言って買ってるから、そういうふうに欲しい人がそれだけ多かったってことなんだろうけど…。声優さんとかもどういう気持ちで収録したんだろう…。いや、キャラソンとかもたくさんあるジャンルだから「今度は恋愛すんのね〜」って感じだったのかな…?いやでもそれもあとからだよな。謎。

謎は多いものの実際、よくできたゲームだったと思う。合同学園祭の実行委員にヒロインが選ばれてて、テニプリの各学校の面々と合同学園祭の準備の過程で恋愛に発展していくっていうシンプルな構造。2番目に親密度が高いキャラが嫉妬するみたいな展開もあったと思う。だから「ゥチテニプリだと〇〇好きだけど△△も好きで〜」みたいなオタクも喜べる。

幸村精市が、「立海大の攻略対象キャラを全員攻略することで解放する」というのもなかなかに凝っていたのだけれど、姉(切原赤也が好き)と割り勘で買って「まあ、姉ちゃんが赤也で、ぷみみはブン太として…残りの攻略対象、どうやって割る?」と”””攻略するキャラクターまで律儀に半分”””にしたのだけれど、蓋を開けたら

姉:真田仁王

わたし:柳生柳

っていうなかなかに酷い分け方をされていた(柳生柳好きな人ごめん。でも真田仁王に対する割り方ですか?と小学生ながらに思いました。小学生だからこそ残酷だったのかな〜今の時代だったら「他キャラsageは自担の品位に関わるよ」とか言われてたのかな〜)し、ジャッカルに至っては攻略対象じゃなかったのもなんだか闇を感じた。女の子に求められないキャラクターへの切なさを覚えた。わたしは好きだったよジャッカル。多分色黒好きなんだよね〜〜〜




ちなみに、「えーわ変な割り振りされたよ〜」とか喚きながらやったけど、柳生先輩のルートは普通に面白かった。し、なんなら幸村はわたしはやってない!飽きっぽいので。

柳生先輩が「古本屋で中古の推理小説を買ったら…鉛筆で”犯人はこいつ”って書き記されていたんです」って言ってて、めっちゃウケた。実在する人間のエピソードでも爆笑した自信ある。

これが小学校四年生の終わりの頃。

そのあとは普通にネオロマ(そんときはコルダ無印やってた)を始めたけど、中学受験があったから一旦ゲーム封印してたから「終わったらときメモとVitaminXと遙か3やるぞ〜」みたいな気概で中学受験してた。




コルダ無印の話は一旦飛ばす。柚木さましかやらなかったから(センスのいい11歳だな?)。

遙か3は中1の夏にやったから(DSがなかったのが渋かった。ビタミンはevolutionの方も買い足したからDSでやった気もするんだけど…悟郎は確実にPS2でやってんだよな。ビタミンやってからPS2のR3L3ボタンの存在知ったんだけど、みんなはどう?)最初はときメモとビタミンやる感じだった気がする。

ときメモは本気でハマって、マジで小学校6年生でそれってどうなの?って感じだったけど

毎日小学校から帰ったら深夜の3時までときメモやって、7時頃起きて登校ってのを卒業までの2ヶ月間繰り返した。学校で過ごす時間はもったいないので、休み時間に「バレンタインチョコの作り方の練習」をするためにタッチペンだけ持参して「右 時計回り 左 反時計回り」と脳内でシミュレーションしながら自分の席でずっとタッチペンくるくるしてた。やばいガキだったんだろうな〜〜〜

家に1stしかなかったから、2ndは自腹で買い足した。小学生の頃の5000円とか重たかったな〜!まあ絶対5000円以上に楽しんだけどね〜!!!中学受験終わるの2/3とかで、たしか2ndってその年の2/14発売だったはずだから(違ったらすいません)運命感じたんだよね!!!!ワーオ?

わりとGSはほとんどのキャラが好きだったけど、中でも多分千晴が好きだったんだろうな〜。千晴が初めて送ってくれる英語の間違いメール。私の英語力は千晴のおかげ。千晴が送ってくるメールは”GAKURAN”しか読めなかった小学生だったから。中学生になったら、千晴の最初の間違いメール、全訳する!ってこころにきめてた。

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