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祐一、騎手やめるってよ

【騎手福永祐一の思い出】

・春のGI快進撃の裏に

以前、某競馬専門誌で福永祐一のベストパートナーは?というアンケートがありました。コントレイル、ワグネリアン、キングヘイローといった馬達が上位に入ったようです。なるほど、父の洋一騎手が成し得なかったダービー制覇は本人のみならずオールドファンにとっても夢だったわけですから、これは納得の結果であります。もちろん私にとっても思い出に残る馬達ではありますが、福永祐一この1頭!となるとラインクラフトが真っ先に思い浮かびます。

2005年の牝馬三冠戦線、その中心に居たのは福永祐一でした。お手馬はラインクラフトとシーザリオ。ラインクラフトは阪神JFこそ3着に敗れますが、2歳No.1牝馬の呼び声高く桜花賞の最有力候補。一方のシーザリオは年末の阪神競馬場でデビューします。こちらは角居厩舎の忘年会がきっかけで祐一の元へ舞い込んだ騎乗依頼でした。翌春、ラインクラフトはフィリーズレビューをシーザリオはフラワーカップを制し桜花賞へ。祐一は先約のあったラインクラフトの騎乗を決めます。そして鞍上未定となったシーザリオに角居は愛知の吉田稔という意外な選択をしました。シーザリオの桜花賞がどういう結果であれ、福永くんの手元に戻しやすいように。そんな配慮からの起用だったのです。桜花賞はシーザリオの猛追をアタマ差凌いだラインクラフトが優勝。展開と着差を見る限り力量はシーザリオが一枚上だったと思いますが、ラインクラフトを完全に手の内に入れていた祐一の好騎乗が勝利を呼び込みました。そして二冠目のオークス。桜花賞でのシーザリオ陣営の意図を汲んで今度はラインクラフトの瀬戸口が応えます。「祐一、シーザリオでオークス行って来いよ。」ラインクラフトはオークスではなくNHKマイルカップへ向かうのでした。この計らいに祐一が応えないはずはありません。ラインクラフトはNHKマイルカップを快勝。シーザリオに至っては日米オークス制覇の大偉業を成し遂げたのです。2005年春は瀬戸口、角居、両調教師の粋なサポートに一競馬ファンとしてグッと来るものがありました。

・シーザリオ不在の秋

残暑厳しい9月、ラインクラフトのライバルとして立ちはだかったのは武豊エアメサイア。オークスではシーザリオのクビ差2着という実力馬です。1600mの桜花賞ではラインクラフトが完勝しているが、果たして2000mではどうか。ローズSで注目の直接対決が実現します。マッチレースの予感に心踊らせ、私は阪神競馬場へ足を運びました。下馬評通りレースは完全に2頭だけの競馬となり、エアメサイアがわずかにラインクラフトを捉えたところでゴール。ただ、現地ファンの間で「どっちが強いんやコレは。」という声が漏れます。ラインクラフトは今日は止まってもいいという感じで早めに動いており、エアメサイアもしっかり脚を測ったようなレース。これはキョウエイマーチVSメジロドーベル以来となる理想の秋華賞だ。逃げ先行型の桜花賞馬と差し追込型のオークス馬が戦う秋華賞。それは最も美しい牝馬三冠最終章。エアメサイアはオークス馬じゃないけれど今年の秋華賞にはそれだけの価値がある。

10月16日京都競馬場、第10回秋華賞。
ラインクラフトとシーザリオで繋いだ祐一の牝馬三冠を見届けたい。私はラインクラフト→エアメサイアの馬単1点だけを握りしめていました。レースは勝負所へ。二本の鉄塔がオレンジの西日に照らされ、ターフに影を落とす場所。そこが淀の下り坂の始まり。静か動か。ラインクラフトに選択の刻が迫る。一気には出さないが外々を回してフワリと前へ。祐一の選択は動。「祐一、ブッちぎれっ!!」私は声の限り叫びました。「これはまたゴール前で2頭並ぶぞ。」両馬の絶妙な差の詰まり方に淀のスタンドに居たファンのボルテージは最高潮へ。

全盛期武豊の真骨頂、チョイ差し

結果はまたしても武豊エアメサイアがラインクラフトをわずかに捉えてゴール。ガッツポーズこそありませんでしたが「そう簡単には勝たせんよ。」とばかりに祐一を一度だけチラ見した武豊は翌週ディープインパクトで牡馬三冠を達成するのでした。引き返してくる両馬への大歓声に包まれた京都競馬場は今も忘れられません。あなたが淀で観たベストレースは?と聞かれたら、迷わずこの秋華賞だと答えます。

【調教師福永祐一に望む事】

・福永洋一の息子でよかった

私は1996年から本格的に競馬を観ているので、福永祐一は初騎乗から名騎手まで育っていく過程を見た最初の騎手という事になります。JRA初の女性騎手、双子騎手、そして天才福永洋一の息子のデビューとなれば一般紙でも扱いやすい話題。この年ほど新人騎手が注目された年はないでしょう。祐一がまだ若い頃の受け答えで印象に残っている言葉があります。「僕は福永洋一の息子でいいんですよ。」
親が偉大であるほど七光りと言われるのを嫌って活動名を捻ってみたり「〇〇の息子でなく、僕の名前で呼ばれるように頑張る。」といった取材の受け答えも珍しくありませんが、祐一はYuuichiで登録する事もなければ「父は父。僕は福永祐一ですから。」みたいな事も言いませんでした。「他の騎手より人脈の部分で有利なのは父のおかげ。」とストレートに感謝する。この尖りの無い人間の素地の良さが2600勝騎手福永祐一という大きな城を建てたのだなあと、引退セレモニーを観ながら改めて思うのです。

・貴方にしかできない事がある

騎手福永祐一としては間もなく終着駅に辿り着くわけですが、そこで待っている人がたくさん居ます。これから競馬界に足を踏み入れる若手騎手達もそう。その中には二世騎手もたくさん居る事でしょう。彼らの悩みに寄り添えるホースマンは誰か。それは日本競馬史上最も重い二世騎手の看板を背負って競馬界に飛び込み、多くの関係者に愛されて育った福永祐一調教師に他なりません。スターホースだけでなく、日本を背負って立つジョッキーを育てて欲しいというのが私の願いです。

さて、残すは25日サウジのラストライド。まずは怪我なく無事に終わる事を祈りつつ、そろそろ筆を擱く事とします。


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