聖書読みましょ♪Re-Collection 第70回 私らはイエス様に直してもらうべき病人なのかも
メシア・イエス・キリストの生涯37回
「マタイの召命」後半
マルコの福音書第2章13節~17節
マタイの福音書第9章9 節~13節
ルカの福音書第5章27節~32節
こんにちは!まいむまむです。
イエス様の生涯について4福音書を並べて、時間順に読んでいます。
毎回申し上げますが、わたくしは、「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの中川健一先生の講義「メシアの生涯」にそって読んでいきます。
興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってくださいね!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。
また、参考文献は新実用聖書注解になります。
本日のご紹介はこちらです。
夏祭りのイベントがあちこちで開催される中、
まいむまむ推しのお祭りは、これ!です。
横浜で活躍するプロバスケチーム3チームが登場して、
いろいろなイベントが行われます。
その中でも、最も注目は、とーぜん車いすバスケです!!!
今回、天皇杯優勝の「神奈川VANGUARDS」と天皇杯3位の「伊丹スーパーフェニックス」のエキシビジョンマッチが開催されます。
これは、見逃せない一戦です。
間近で見ると、車いすバスケの凄まじさが実感できますよ。
このお祭りでは、ボッチャ体験やミニバス試合、
縁日や食べ物やさんもあります。
大人も子どもも楽しい夏休みになると思いますよ💙
おすすめします。
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さて、聖書をお読みいたしましょ♪
イエス様は様々な癒しの奇跡を行ったことで、
当局に目を付けられることになりました。
これから、当局の査問が始まるようです。
その前に、イエス様は、新しい仲間「マタイ」をスカウトしました。
マタイは、そうです、あの「マタイの福音書」の記者です。
大物ですよ。
ただ、彼の前歴がヤバかった。
当時、最も忌み嫌われていた「取税人」だったのです。
(取税人が、なぜ、そんなに嫌われていたのかは、前回(69回)をごらんくださいませ。)
基本的に、良きユダヤ人なら、付き合いをしてはならない職業の人です。
その取税人であるマタイに対し、
イエス様は「我に從へ」(文語訳)と命じられました。
仕事をしていたマタイは、その声を聞いて、
ただちにイエス様に従って行きます。
そして、イエス様を自宅にお招きしたのです。
Ⅱ 新しいマタイ(後半) マタイの福音書第9章10節
先ほど、当時の良きユダヤ人は罪人である取税人と
付き合いをしないと書きました。
そして、実際、取税人は、同じ取税人仲間と罪人(遊女)としか
付き合いをすることができませんでした。
しかし、イエス様は、そんなことはかまわず、
マタイの家の食事会に参加されます
この家はマタイの家です。
自宅で、イエス様の弟子になって
生まれ変わったことを祝うお食事会を開いたのかもしれません。
そして、取税人の仲間にお別れする会だったかもしれませんね。
お客様として招いたのは、
主賓はイエス様、次は6人の先輩弟子たち。
そして、おおぜいの取税人と
罪人(つみびと)すなわち遊女(娼婦)の皆さんです。
これはもう、ありえない組み合わせでした。
ユダヤ的視点では、
食事をともにすることは、親密な交わりを意味していました。
先ほども申し上げましたが、
取税人は一般の人、ましてやラビたる人が付き合ってはいけない対象でした。
多分、そういう人たちと親密な席を持つことに対して、
兄弟子たちも、ちょっとビビったかもしれませんね。
「ヤベー人たちばっかりだなー」とか。
食卓についている取税人や娼婦のまわりには、
一般の人やパリサイ人たちが詰めかけてきて
この異様な光景を眺めていたようです。
Ⅲ 立ちはだかる壁 マタイの福音書第9章11節~13節
いよいよ、審問の段階に入りました。
でも、直接イエス様に言うのではなく、弟子たちに言ってますね。
パリサイ人たちの理解では、
裕福な者が、高名なラビを食事に招待することは、
ほむべきこと、良いことでありました。
しかし、マタイの招待したのは、
あろうことか、取税人と遊女です。
そんな場所にイエスが同席することは、
まともな人なら、理解できない行動です。
もし、イエスがメシアなら、このような者たちと交わってはならないはず。なぜなら、汚れをうけることになるからです。
*詩篇第1篇1節
「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず 嘲る者の座につかない人。」
義人はこのようでなければならないと考えていました。
もっともなことではあります。
日本でも、朱に交われば赤くなるといいますからね~。
取税人や遊女は、差別され嘲られて傷ついた人々です。
また、道徳的な意味でも病人であるとイエス様は言われました。
イエス様は、そういう病人も癒す医者なのです。
パリサイ人たちは、自分たちが霊的に健康清らかで、
取税人ごときとは違うと考えていました。
本当は決してそうではないのにね。
わたしも、「あの人よりは、まし」と思ったりすることがあります。反省。
イエス様が引用したのは、旧約聖書のホセア書6章6節です。ごらんください。
「わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。」
神は、いけにえ以上に真実の愛、信仰、誠実を喜ばれる。
このことを「行って学びなさい」とイエス様は仰っています。
「行って学びなさい」ということばは、
ラビが生徒を真理に導くための決まり文句だそうです。
律法の専門家たるパリサイ人たちへの痛烈な皮肉ですね。
一から出直せってことですからね。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
このことばは、まさにマタイの人生に起こったことですね。
マタイは、きっと取税人をしながら、
自分が罪人であることを、
いつも、いつも自意識として持っていたのだろうと思います。
「おれは、こんなんでいいのか…」
そういう認識がなければ、
イエス様の招きの声に反応することは難しいのだと思います。
パリサイ人たちの問題点は、
自分が正しい人間であると思っていたこと、
自分の生き方に自信があったことなのでしょう。
され、マタイは、この食事会を最後に取税人をやめ、
イエス様に従っていきます。
取税人の仕事には、2度と戻れないそうです。
代わりの人がいくらでもいますからね。
ペテロやヨハネは漁師だったので、戻ることが可能でした。
その意味で、マタイの決断は大きな犠牲を伴うものだっただけに
尊いですよね。
そして、マタイは、一生を捧げてマタイの福音書を書きました。
マタイの福音書が、ユダヤ人に向けて書かれたというのが、
なんとも不思議なことです。
だって、マタイは、そのユダヤ人にずーっとさげすまれ、
憎まれていたではないですか。
それでも、マタイは、その同胞に対して、
イエス様を宣べ伝えるために、福音書を書いたのですね。
マタイは、大きな犠牲をはらって、
しかし、なによりもすごい人生を得ました。
かくありたいものだなーっと思います。
お祈りしますイエス・キリストの父なる神様
イエス様の命令に直ちに従ったマタイのことを学びました。
自分の問題を、イエス様に捧げることができることは素晴らしいことだと思います。
どうか、私たちの人生も変えてください。
尊いイエス様のお名前を通してお祈りいたします。
アーメン。
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次回は、「メシア・イエス・キリストの生涯」第38回「断食論争」
マタイの福音書第9章14節~17節
マルコの福音書第2章18節~22節
ルカの福音書第5章33節~39節
パリサイ人たちの審問はますます厳しくなりますよ。
イエス様はどう戦うのか。
イエス様のおそばについて、見守ってまいりましょう。
シャローム!!!