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聖書読みましょ♪第158回 イエス様を認めるか認めないかで、人生が分かれます

メシア・イエス・キリストの生涯104回
 「仮庵の祭りで姿を表すイエス(1)」その1
                 ヨハネの福音書第7章11節~13節

こんにちは!まいむまむと申します。

さて、このnoteでは、
イエス・キリストを知るために聖書を読んでいます。

イエス様のことを書いた聖書、すなわち福音書は、
マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書と、4つもあります。( ゚Д゚)

それぞれ、読めばいいのだけれど、同じイエス様の一生を4回読むのもな・・・と思ってしまいます。(中身はそれぞれ違いはありますが)

おまけに、イエス様のことばって、
それ自体は難しくないのだけれど、
結局何が言いたいの?みたいな謎に満ちた発言も結構多いのです。

そんなこんなで、福音書をきちんと読んだことがありませんでした。

そんなとき、わたくしは、
「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」という
youtubeチャンネルの中川健一先生の講義
「メシアの生涯」に出会いました。

この配信は、ユダヤ人として生まれたイエス・キリスト
真に理解するために、ユダヤ的視点で、福音書を読んでいくものです。

このnoteは、その講義をもとに、
4福音書を絨毯爆撃で、
端から読んでいこうというチャレンジです。
興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってください!

引用している聖書は「新改訳2017」版です。

また、参考文献は「新実用聖書注解」になります。

今回ご紹介するのはこちら

ドヴォルザーク/スラヴ舞曲

ゴールデンウイークのご予定を立て始める頃合いかと思いますが、
皆様いかがでしょうか。
遠くに行っても人混みばかりだし、
いろいろ値上がりしていて、
ちょっと・・・と思われる方も多いかと思います。

そういうときは、やっぱり🎶フェスが一番です(*^▽^*)

毎年(コロナ期除く)GWの三日間、
丸の内を中心とした各所で行われるのが、
ラ・フォル・ジュルネ・TOKYOです💛

このイベントでは、0歳から入れるコンサートが用意されています。

例えば、5月4日の午前10時半からの部では、
このスラブ舞曲も演奏予定です。
子育て中で、生のコンサートに飢えているパパママも、
安心して楽しむことができますよ。
有料コンサートだけでなく、
街中でもたくさんのミュージシャンのコンサートを楽しむことができます。

ご家族皆さんで、お散歩がてらにお出かけくださいませ。

🎷🪗🎸🎹🎺🎻🪕🥁🪘🎷🪗🎸🎹🎺🎻🪕🥁🪘🎷🪗🎸🎹🎺

前回は、弟子志願者が3人出て来て、
イエス様に従うとはどういうことなのかを、
考える機会となりました。

何を一番にして、何を捨てるかということが、
イエス様に従うときに重要になってきます。

この世で生きていると、これが難しい。
大切にしているものがいろいろあるからです。
この葛藤はずっと続くかもですね。

さて、イエス様は、内密に(公式にではなく)、
仮庵の祭りに参加するために、エルサレムにやって来られました。
 

仮庵の祭は、10月頃の祭で、ユダヤ教の三大巡礼祭の一つです。

当時のユダヤ人の男子は、基本的に全員エルサレムに上って、
神殿に参ることになっていました。

 人でごった返しているエルサレムで、
話題の中心は、もちろん我らがイエス様です💛💓💙


Ⅰ 状況説明 ・ヨハネの福音書第7章11節~14節

*ヨハネの福音書7章11節
11 ユダヤ人たちは祭りの場で、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜していた。

「ユダヤ人」とあります。
この言葉は、ヨハネの福音書には31回出て来るようです。
そして、この言葉の含む意味は3種類あるそうです。

一つは、ユダヤ人一般です。
いわゆるアブラハム、イサク、ヤコブの子孫としてのユダヤ人です。
民族的な意味です。

もう一つは、ガリラヤ人と対比しての「ユダヤ人」です。
すなわち、いなかもんに対する「都会人」としての
「ユダヤ地方の住民」という意味です。

もう一つが、「ユダヤ人の宗教指導者」という意味で使われています。
 

ここでは、三つ目「ユダヤ人の宗教指導者」という意味で使われています。

さて、この「ユダヤ人の宗教指導者」たちは、
イエス様を探しています。

「あの人はどこにいるのか」と言ってイエスを捜していた。
新改訳2017はとてもシンプルに表現しています。

リビングバイブルによる訳ですと
「『だれかイエスを見かけたものはいないか』と、やっきになって尋ね回りました。」
ニュアンス的には、この訳がぴったりのようです。

では、ユダヤ人の宗教指導者達は、
なぜ、やっきになって尋ね回ったのでしょうか。

「仮庵の祭」は、ユダヤ民族がエジプトの定住生活を捨てて、
モーセに率いられてシナイの荒野で、天幕に住んだことを記念する祭りです。
そして、この祭りは、「メシア的王国の希望」と密接に関連しています。

宗教指導者たちは、この祭りにイエス様が現れて、
自分がメシアであると宣言すると、
人々が熱狂的になり、イエス様を王として担ぎ上げてしまうのではないかと恐れたのです。
 

この年の仮庵の祭は、いつになくピリピリした雰囲気だったと思われます。
 

*ヨハネの福音書7章12節
12 群衆はイエスについて、小声でいろいろと話をしていた。ある人たちは「良い人だ」と言い、別の人たちは「違う。群衆を惑わしているのだ」と言っていた

「群衆」とありますが、実はこれは、複数形です。
英語でいうなら「crowds」です。

これは、いくつかのグループがあるという意味です。
ガリラヤ地方からやって来た巡礼グループとか、
ほかの地方から来ているグループ、
また、諸外国に住んでいるディアスポラのユダヤ人のグループなどもいたようです。

そして、群衆の意見は真っ二つに割れていました。

一つはイエス様を擁護する人たちです。
「良い人だ」ギリシャ語で「アガソス」と言います。

ギリシャ語のニュアンスでは「動機が正しい人」を意味し、
究極的には神を示すもので、
イエスは神であるという意見となります。
単なるイイヒトて意味じゃないのですよ。

もう一つはイエス様を非難する人たちです。
「違う。群衆を惑わしているのだ」とは、
偽預言者だと断罪している言葉です。

イエスは、悪霊の力で奇跡を起こしている偽預言者だということです。

これは、旧約聖書の申命記によれば、
石打の刑(死刑)に処すべきケースに該当するようです。

これが、宗教指導者の意見であり、
ひいては、ユダヤ人の多数派の意見でありました。

 イエス様が魔術、すなわち悪魔、ベルゼブルの力を使って人々を惑わしたという記録は、
紀元2世紀のタルムードに残っており、
この認識は、現代までユダヤ人の間に共有された概念です。

ここで、興味深いのは、
イエス様が奇跡を行ったこと自体は、
否定されていないということです。

聖書に書かれた奇跡は、
当時のユダヤ人全般にも認められていたことなのですね。

 しかし、その奇跡に対する評価が最悪で、
それが今に至っているということになっているわけです。

*ヨハネの福音書7章13節
13 しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はだれもいなかった。

はい、ここの「ユダヤ人」も、
ユダヤ人の宗教指導者たちを意味しますね。

群衆は、公然と議論し合うのではなく、ひそひそ話をしてました。
つまり、公然とイエス様を支持する人はいなかったようです。
 

群衆は宗教指導者を恐れました。
宗教指導者に逆らうと、
共同体から追放されてしまい、
生きていくことができなくなってしまうからです。

現代のイスラエルでも同様です。
イエス様を信じることは、社会的地位を失うことにつながるようです。
親から縁を切られることもあるとか。
まじ、残念。

日本でもクリスチャンは圧倒的少数派で、
変人の仲間入りみたいなところがありますが、
ユダヤ社会ではそれどころではないのですね。

こんな息苦しい状況を打破するのは誰でしょう!
そうです!われらがイエス様です!ウェルカーム!
ということで。

お祈りします。
天におられる神様
イエス様について評価が真っ二つに割れています。
これは、今でも同じです。
どうか、イエス様を正しく認識できるように、
目が開かれるように、導いてください。
主イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン

この後、イエス様がエルサレムで、メッセージを語られます。
ご期待くださいませ。
 
「メシア・イエス・キリストの生涯」第104回 
「仮庵の祭で姿を現すイエス(1)」その2
ヨハネの福音書7章13節~19節
シャローム!