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聖書読みましょ♪Re-Collection 第74回希望を語るより先にグチが出るって、あるあるです

メシア・イエス・キリストの生涯39回
  「ベテスダの池での癒し(1)」
ヨハネの福音書5:1~18

こんにちは!まいむまむです。
イエス様の生涯について4福音書を並べて、時系列順に読んでいます。
毎回申し上げますが、わたくしは、
「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの中川健一先生の講義「メシアの生涯」にそって読んでいきます。

興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってくださいね!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。

また、参考文献は新実用聖書注解になります。

さて、本日のご紹介はこちらです。

祭屋よさこい踊り子隊 よさこい2024本番1日目

8月8日宮崎市でマグニチュード7.1の大きな地震がありました。
高知市もかなり揺れたようなのですが、
南海トラフの恐怖にも負けず、
翌日から、高知市内各地でよさこい祭りがスタートいたしました。

まいむまむは、実に高知県出身でございまして、
身内がこちらの踊り子隊に参加しております💙

よさこい祭りの踊りは、鳴子を打ち鳴らしながら踊るもので、
阿波踊りのように、決まった振りは特にありません。

ですから、各踊子隊が、毎年自由に衣装や振り付けを考案して
競うものになっています。

鳴子

で、このよさこい祭りの大イベントが代々木、原宿、表参道で行われますよ!!!

2024年 8月24日(土)、25日(日)
原宿、代々木公園など各所で、よさこい踊りが満喫できます。
キッチンカーもたくさん出ますし、木陰も多くて、意外と涼しく見れるかも。
夏の終わりに、元気をもらえるかなと思います。
皆様、ぜひどーーーーぞーーーー♪

😀 😁 🫠 😚 😝 😌 🥳 😎 👺 👾 😸 👶 🍖

さて、聖書をお読みいたしましょう♪
38回「断食論争」では、
断食をめぐって、イエス様とパリサイ人たちとの間で、
対立がおきました。

この後、イエス様のメシア運動に対する審問が
どんどん厳しくなっていきます。

そして、今回から、安息日に関する論争がスタートいたします。

この論争が非常に厳しいものになることを理解するには、
安息日とはなんなのかということを知っておく必要があります。

そこで、聖書読みましょ♪Re-Collection第73回 におきまして、
ユダヤ教における安息日について、学びました。

よろしければ、そちらもご覧いただけますと、
イエス様とパリサイ人たちが
なぜこんなに激しく闘うのか理解の助けになるかもと思います。

まずは、イエス様の癒しの奇跡からスタートしましょう。

Ⅰ 絶望的な状況 ヨハネの福音書第5章1節~5節 

*ヨハネの福音書 5章1節
1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。

「ユダヤ人の祭り」というのは、
年に3回行われる巡礼祭です。

このお祭りのときには、ユダヤ人(男子)はエルサレムに上って、
参加することとされています。

今回の祭りは、何のお祭りか書かれていませんが、
中川先生によれば、恐らくは|過越《すぎこし》の祭りであろう
とのことです。

*ヨハネの福音書 5章2節
2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でべテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。

べテスダの池はエルサレムの中にあります。

これは、当時の様子を復元したCGです。

縦90メートル、横は長いところで66メートル、短いところで50メートルくらいの台形のような形です。けっこう大きいですね。

周りと真ん中に回廊がめぐらされているので、回廊は5つあります。


これは、現在のべテスダの池の遺跡です。
現在は、聖アンナ教会の地下にあるので、なんかイメージ違いますかね。

*ヨハネの福音書 5章3節、5節
3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。
5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。

あれ、4節は?ということですが、

実は、4節は状況説明のために、
後から加筆されたものなので、正式には聖書から除外されています。

でも、参考のために

*ヨハネの福音書 5章4節
4 彼らは水が動くのを待っていた。それは、主の使いが時々この池に降りて来て水を動かすのだが、水が動かされてから最初に入った者が、どのような病気にかかっている者でも癒されたからである。

ロバート・ベイトマン作「ベトザタの池」

池の水を動かすために、
天使がアンニュイな感じで、
たらたら歩いてくる様子がいいですねー💖

このように、べテスダの池には不思議な言い伝えがありました。

水が動くというので、
間欠泉のようなものであったのでは、と想像されています。

「そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。」
簡単に38年といいますが、とんでもなく長い期間ですよね。
当時の平均寿命以上の年数ですよ。

本当に気の毒な状況です。

Ⅱ 神の恵みの侵入 ヨハネの福音書第5章6節~9節前半 

*ヨハネの福音書 5章 6節
6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」

この彼が38年も臥せっていたことを、
イエス様がどうやって認識したのかは、不明ですが、

イエス様は、その池の周りにいた大勢の人の中で、
最も悲惨な人を選ばれたのだろうと思われます。

中川先生は、イエス様は、
いつも大勢の中の個人に目を留められるのだと仰っていました。

ひとり、ひとりのことを見つけてくださるのですね。

あなたも、わたしもですよ。(⋈◍>◡<◍)。✧♡

さて、そのイエス様がなんと言われたか。

「良くなりたいか」

正直、ここを読むと、「なんちゅうこと聞くねん!」って思いましたよ。

なぜ、当たり前のことを聞くのか? 直りたいに決まってるやんか!と。

でも、事はそう単純なものではないようです。

長くわずらった病人は、
回復への意欲を失うことがあるようです。

難病にかかった人たちは、
治せる見込みがなくて、先が見えなくて
疲れて絶望してしまうこともあるのですね。

さらに、これは、言いにくいことですが、
病気の状態に逃げ込むこともあるようです。

いわゆる自分の弱さを武器にしてしまうというか。

イエス様はそういう人間の弱さを全部ひっくるめて、
希望の灯をともす力
があるのです。

カール・ハインリッヒ・ブロッホ画『ベテスダの病人を癒やされるキリスト』

暗いところに沈み込む病人を
明るいところに招くイエス様という感じですね。

さて、イエス様のこのご質問に、この病人はどう答えたのでしょうか。

*ヨハネの福音書 5章7節
7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」

皆さま、このお答えを聞いてどう思われますか。

なんだか、まっすぐに返事をしていませんよね。

「良くなりたいか」と聞かれたのに、出て来たのは愚痴でした。

わたくしも、多分こんな感じでぐちりそうな気がいたします。

彼は「良くなりたいか」と聞かれたのだから、
「はい、良くなりたいです」とか「いや、別にいいです」とか答えるのがスジなわけです。


ところが、彼の口から出て来たのは、他者への非難の言葉でした。

あまりにも長い苦難の生活のため、
苦しみを責任転嫁するのが習いになってしまっていたのでしょうか。

*ヨハネの福音書 5章8節
8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」

その病人の愚痴にかまわず、イエス様は短刀直入に命令を授けます。

普通なら、手を置いてとか、手をとって起き上がらせてとか、
癒しを手伝ってあげるところかなと思いますが、そうではなかった。

自分で行動を起こすように命じたのですね。

*ヨハネの福音書 5章9節前半
9a すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。

この病人は、イエス様のことばに
「えっ?」とか「ムリ~」とか言わずに、
すぐに従った結果、ただちに癒されました。

イエス様がこの時期行った癒しは、
癒しを受ける側の人の信仰の有無は問うていません。

神様のことばに従うなら、
神様はそのことばを通して働かれるということのようです。


ピーテル・アールツェン 画「ベテスダでの麻痺の治癒」

38年間この池のそばで臥せっていた人が、
サクッと起き上がって歩き出しました!!!
スゴイことです。 本当に良かったですね!
イエス様は素晴らしい!神様は素晴らしいですね!

しかし、ここで、めでたしめでたしで
終わらなかったのです。

お祈りします。
イエスキリストの父なる神様
イエス様と病人のやりとりと不思議を見ました。
絶望の淵にいる人が一瞬に癒されました。
ハレルヤ!です。
その病人とともに喜ぶことができますように。
主イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン

📔 📕 📖 📚 📒 📓 📔 📕 📖 📚 📒 📓 📔 📕

この不思議な奇跡は、喜びでは終わりませんでした。
それは、なぜか?

次回その理由が明らかになります。

ご一緒にイエス様のおそばで、続きを見てまいりましょう。


「メシア・イエス・キリストの生涯」第39回
「ベデスダの池での癒し(1)」(後半)
ヨハネの福音書第5章1節~18節 

シャローム!!!