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聖書読みましょ♪Re-Collection 第68回 イエス様を無視して聖書を読んでも真理には届かないかも


メシア・イエス・キリストの生涯36回
          「罪を赦す権威」後半

マルコの福音書第2章1節~12節
  マタイの福音書第9章1 節~8節
             ルカの福音書第5章17節~26節


こんにちは!まいむまむです。
イエス様の生涯について4福音書を並べて、時間順に読んでいます。
毎回申し上げますが、わたくしは、「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの中川健一先生の講義「メシアの生涯」にそって読んでいきます。

興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってくださいね!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。

また、参考文献は新実用聖書注解になります。

本日のご紹介はこちらです。

【ドラムだけを見る】DEZOLive2024@本厚木キャビン【アレンジしまくり】

まいむまむイチ押しフュージョンバンド「DEZOLVE」のライブ映像です。
ドラマーの山本真央樹くんの定点カメラからの映像で、
ドラムを愛する方々にはなかなか得難い映像となっていますよ。

で、ライブございますよ。

2024年8月4日(日) 17:00スタート
場所は、本厚木Cabin です。
小田急線本厚木駅から徒歩3分ほどのとても良いロケーションです。
ただ、小さいライブハウスで、
すでに椅子席は予約が終了してしまいました。すごい人気です。
スタンディングでよろしい方は、ぜひDEZOLiveをお聞きください。
日本でも有数のテクニックの演奏を至近距離で聞くことができます。

🥁 🎸 🎹 🎸 🍷 ☕ 🥁 🎸 🎹 🎸 🍷 ☕ 🥁 🎸 

さて、聖書をお読みいたしましょう。

カペナウムのペテロの家(多分)にイエス様がおられるということで、
非常にたくさんの人が、ペテロの家に押しかけてきました。
皆さん、イエス様のお話を聞きたい、
いや、イエス様の奇跡が見たいと思ったのでしょう。
ただ、そこには、イエス様の活動を吟味する当局の人々もやって来ていました。
そんなところに、中風(身体のマヒ)で寝たきりの人が運ばれてきました。
しかし、入り口は、人でいっぱい。とても近づけたものではありません。
そこで、連れてきた人たちは、
なんと!屋根をはがして釣り降ろすという強硬手段をとりました。

イエス様はこの異常事態において、どうされたのでしょうか。

イエス様は、この病人をみて、
「友よ、あなたの罪は赦された」とおっしゃったのです。

これが、当局の人たち(パリサイ人、律法学者)を刺激してしまいます。

では、続きを読んでまいりましょう。


Ⅲ 宗教的指導者たちの反撃 ルカの福音書第5章21節~23節 

*ルカの福音書 5章21節
21 ところが、律法学者たち、パリサイ人たちはあれこれ考え始めた。「神への冒瀆を口にするこの人は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」

前回に、メシア運動の評価のプロセスを申し上げましたが、
まずは、調査対象となる運動を「観察」します。

当局(パリサイ人、律法学者たち)は、
この段階では、決して口を開いて何かを言ったりしません。

だから、意義があっても、口には出さず、
心の中で、もぞもぞ言っているのです。

そして、実は、「神おひとりのほかに罪を赦すことはできない」という
彼らの考え、神学は正しいのです。

普通ならこれで正解なのですが、

問題は、相手がイエス様であったということですね。

彼らのイエス様に対する認識が誤っていたということなのです。

*ルカの福音書 5章 22節~23節
22 イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いて言われた。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。
23『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。

おおぜいのパリサイ人や律法学者たちは、
はらわた煮えくりかえっていたのが、顔に出ていたのでしょう。

で、このイエス様の質問が、昔からどうもよくわからないのですよ。

表面的には、「罪が赦された」と言うのが簡単なのですよね。
言うのはタダってことですから。

でも、本質としては「罪が赦された」ということは、
「歩け」というより難しいですよね。

誰が、人間の罪を赦すんだよってことになりますから。
人間の罪は、神様しか赦すことができないのですから。

つうか、受動態の文と命令形の文と比較するのって
どうなのかしら…とは思います。

パリサイ人たちも、ちょっと??になったのではないかしら。

どう捉えたらよいのか。

未だにわたくしもよくわかりません。

Ⅳ イエスの勝利 ルカの福音書第5章24節~26節 

*ルカの福音書 5章 24節
24 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために―。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」

中川先生は、ラビ的教授法として、
「軽いものから重いものへ」ということを仰いました。

これは、より難しいことをすることによって、
易しいことを証明するというやり方だそうです。

ここで「軽いもの」「罪の赦し」 
「重いもの」「肉体の癒し」とのこと。

イエス様は、より「重いもの」を命じることによって、
罪の赦しが本当であることを証明しようとされたようです。

*ルカの福音書 5章 25節~26節
25 すると彼はすぐに人々の前で立ち上がり、寝ていた床を担ぎ、神をあがめながら自分の家に帰っていった。
26 人々はみな非常に驚き、神をあがめた。また、恐れに満たされて言った。「私たちは今日、驚くべきことを見た。」

イスラエルの人たちは、この奇跡を見ることで、
イエス様をメシアとして受け入れるかどうかの岐路に立たされたことになります。

さて、当局による観察段階は終わりました。
パリサイ人や律法学者たち、
特にエルサレムから来たエリートの皆さんは、
中央に報告したことでしょう。

そして、次からは審問段階に入ります。

今まで黙って言葉を発さなかったパリサイ人や律法学者たちは、
この後は非常な勢いで論争を吹きかけるようになります。

今回の癒しの奇跡を見て、その場にいたパリサイ人や律法学者たちの中に、
素直にイエス様がメシアであると認める人たちは、
ほとんど出なかったのでしょうか。

彼らの持っている聖書知識は、
目に覆いをかける役割しか果たさなかったのでしょうか。

それを思うと、聖書を読むというのも、
なかなかに一筋縄ではいかないような気がいたしますよね。

わたしたちは、聖書を知らないから、
真理がわからないのではないかと思って、
聖書を読もうと思います。

真理の前に立ちはだかる目に見えない壁を破りたいと思います。

しかし、イエス様抜きで聖書を読んでも、
それは真理の目を開くことにはならない
のかもしれません。

もったいないよね。

どうか、イエス様を認識できるようになりたいものです。

お祈りします。
やさしい天のお父様
聖書を読んで、イエス様の存在を認めることができるように
私たちの真理の目が開かれるように、導いてください。
尊いイエス様のお名前でお祈りします。
アーメン

📔 📕 📖 📚 📒 📓 📔 📕 📖 📚 📒 📓 📔 📕 

イエス様の敵が増えてしまいました。
でも、味方も増えますよ。

次回は、
「メシア・イエス・キリストの生涯」第37回「マタイの召命」
マタイの福音書第9章9節~13節 
マルコの福音書第2章13節~17節
ルカの福音書第5章27節~32節

福音記者マタイの登場です。

どんなやつかな?

では、シャローム!!!