我々は「神(仏)」の声を知っている。

私は理由があって聖書の勉強をしていて気付いた事がある。
よく神(仏)は、特定の人にしか聞こえない「声」がある。
キリスト教なら、イエス・キリストやモーゼがそうだ。
彼らに神(仏)が導きを与えて多くの人に伝える。
神(仏)の声は、彼らにしか聞こえないし、話す事が出来る。

聖書の勉強が進むにつれて、様々な考え方が出てきた。
そこで本日たどり着いた結論だが、我々は神(仏)の声に聞き覚えがあるが忘れている。
我々が思い詰めてしまったら、神(仏)は状況に応じた指導を与えてくれる。
それは「閃き(ひらめき)」だ。

閃き(ひらめき)は、神(仏)が声で教えてくれるが、我々はそれを「声」としての認識はしていない。
閃き(ひらめき)には、進むべき道とその道への通し方を教えてくれている。
努力する者にだけ与えられる神(仏)の声(啓示)と言える。

よくある話しとして、神(仏)の存在は科学的に証明されていないと言う人達もいるが、それなら「閃き(ひらめき)」のメカニズムを解明した方が近道では無いのか?
つまり「閃き(ひらめき)」は何故起こるのか?
「閃き(ひらめき)」は、突然あらゆる事を理解し、悩みを打開できる力がある。
{突然理解出来る}というのは、人間にとっては異常事態とも言える。
これを何かに理由付けするならば、神(仏)の声、つまり神(仏)の啓示を受け入れた事になると思う。
すると、神(仏)は我々を見ている監視者でもなく、正しく神(仏)の行いをしていると言える。
我々は、神(仏)の声に気付くよりも閃き(ひらめき)に気を取られ、神(仏)の声をすぐに忘れてしまう。

●我々が悩みに悩む➡︎
●神(仏)が声かけ(啓示)をする➡︎
●我々は、閃き(ひらめき)により解決策を生み出す➡︎
●我々は問題を解決出来るが、神(仏)の声(啓示)をすぐに忘れてしまう。

★これが「閃き(ひらめき)」のメカニズムだと確定しても良いと言える。


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