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上総・蕨の里「御武射(おびしゃ)」

「杉谷や山三方にほととぎす」・正岡子規

 上総蕨の里では、蕨の葉の枯れる冬を待ち根を掘り出した。蕨根は深く色は黒い。冬の蕨粉作りは、葛粉を作る同じ工程で作られた。
 新年を迎えると、1月6日から始まる「おびしゃ」が「将門伝説」の残る里にある。弓を射る神事から始まる「おびしゃ」には、武射、歩射、備射等の漢字が当てられ「月星信仰・6院6坊」から12本の矢を放ち占った。
「おびしゃ」には「男おびしゃ」と「女おびしゃ」がある。弓を射る神事が済むと、10~20軒程のグループが当番の家に集まり新年を祝った。弓を射る神事はなくなっても「おびしゃ」の宴だけは残った。

「おびしゃ」に似た催しが、鎌倉幕府の御家人間であった。京都の警護に当たる「大番役」とは別に、当番となった「大飯(椀飯)役」が仕切る1月6日の大宴会「大飯振る舞い」である。千葉氏、三善氏の当番には、土産品の中に駿馬が入っていた。
 鎌倉御家人にとって、「大飯振る舞い」の当番は出費が嵩んだ。金策にと御家人が最後に頼ったのは、「志納」の財源を持つ小川だった。千葉院内の「六院・六房」は、元寇以降、鎌倉幕府御家人の相談窓口になっていった。


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