見出し画像

荏胡麻(エゴマ)

 奥州征伐を実行に移した鎌倉幕府軍は、三手に別れ平泉を目指した。この遠征に先立ち頼朝公は、彼の乳母・比企尼ゆかりの(比企、千葉)一族に、敵から奪った領地を恩賞(新恩給与)として分け与える約束をする。

 比企能員一族は、北陸道を進み"念珠ケ関"(?)から、頼朝率いる大手軍は"白河の関"から、千葉一族の東海軍は"勿来の関"から福島県に入った。
 "勿来の関"から福島県に入った東海軍は、鮫川から広がる荏胡麻の台地を目にする。「じゅうねん」*と地元で呼ぶ荏胡麻の葉や種は食用になる、種を搾ると灯油に、搾りかすは肥料になる、牛馬の飼料となる。茎は乾くと榾火に使え、灰は良質の草木灰をなった。日本各地で二毛作も始まり、追肥の需要が高まる真下に、恩賞として荏胡麻の台地が一族に与えられ荏胡麻油の独占権を得た。

 鎌倉幕府の問注所は、鎌倉から京都の六波羅探題に移るが問注所の執事は三善家が代々世襲をする。日蓮宗の日像は京都で布教活動を始める。武器を刀剣から荏胡麻や布、槇や杉の艘材に変えた商人たちは、挙って一族のネットワークを使い販路を拡大していった。

 曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」は千葉一族がモデルとなっています。面白い奇抜なストーリーですが一族の史実も劣らずに面白い。
「蓑笠や馬琴もしらぬ旅の味」・正岡子規・明治24年

*「じゅうねん」の語源は、「食べると十年長生きをする」説があります。近年、荏胡麻油には身体に必要な不飽和脂肪酸・オメガ3が多く含まれていることが分ってきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?