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千葉市・見廻り隊17(池田・亥鼻城)

 JR西千葉駅のホームから、小川山(小河山)と亥鼻城が見えます。亥鼻城は、千葉氏一族・馬加(まくわり)氏の居城と謂われています。
「下総ノ国ノ低サヨ春ノ水」・正岡子規
「秋清く海晴れぬれば端居より里原ごしにいさりする見ゆ」・伊藤左千夫

 桓武天皇の後5世高望の4男、平良茂(真樹?)。兄の3人は上から国香、良兼、良将。弟は村岡五郎と呼ばれた良文と常陸六郎と呼ばれた良正です。 良茂は兄弟と違って闘争心がなく、目立たず争いを嫌った小心者。領地に関しては、無頓着ではないが損得では動かない一面を持っていたようです。
 彼の娘が良将の子の将門の妻となり、その孫娘が良文の孫・次男忠常の母となった。忠常は将門と良文の孫であり良茂の曾孫になる。良茂の言動は、互いに不信感を持つ一族間からも信頼を得ていたようだ。
 平忠常以後、源家との繋がりが以前に増して強まり、良茂・良文の末裔は「平」から応神天皇の末裔・「小川」へと姓を戻し始めた。

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