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蕨市・見廻り隊9(街道の吉祥槇)

 蕨宿の中山道は、槇の街路樹が続いている。交番の前にある二本仕立てに成形した槇を、千葉一族は「吉祥槇」と呼び慶ぶ。名の謂れは、上総介秀胤の遺児の幼名が「吉祥麿」だったから付いたようだ。
 鎌倉幕府の要人(政所・問注所)だった一族が、元服した日朗(吉祥麿)に揃って自宅の贈与を申し入れた。一族間でこの「贈与の連鎖」が始まると、隅田(高橋)氏、戸田氏、蕨氏も其れに倣った。其々の館跡は、日蓮ゆかりのお寺として今も残っている。
「蕨己に手を広げたる広げざる」・正岡子規
 

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