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大宮・見廻り隊2(氷川神社)

 桓武天皇から菅原姓を賜った菅原(管)家は、多くが文章博士の職に就いていた。その菅原家にゆかりのある氷川神社です。桓武天皇の皇胤・平将門の一族に大宮家や氷川家の名が残ります。
 この大宮・氷川の里で、丈部氏(はせつかさうじ)は朝廷より武蔵の姓を賜り、武蔵不破麻呂と名乗り氷川神社を氏神と祀った。武蔵不破麻呂から武蔵武芝に代が移ると、武蔵武芝の娘が武蔵介菅原正好の妻となり菅原正範の母となった。
 「更級日記」の娘の父、上総介菅原考標は菅原道真公の5代目の孫になります。菅原孝標の娘は「更級日記」の中で「くろとのはま」と「たけしばのてら」の昔話を加え創作の跡を残しました。

 蕨真一郎(蕨真)の弟・直治郎の歌、
「天の門ゆかれる水はうつせみの人に見られず音のみきくも」・蕨橿堂

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