見出し画像

揚羽蝶紋(池上本門寺にて)

 平清盛が使っていた揚羽蝶紋です。平家の象徴紋ように扱われていますが、源氏もこの揚羽蝶紋を使用しています。一例が一族の池田家です。
 池田家が関係する事件が江戸時代にありました。1634年12月26日に起こった「伊賀上野の仇討ち」は、「日本三大仇討ち」と云われています。

①曽我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入り、「伊賀上野の仇討ち」
②曽我兄弟の仇討ち、「伊賀上野の仇討ち」、浄瑠璃坂の仇討ち
赤穂浪士は討ち入りです。「仇討ち」の語意から選ぶと②になりますが、1668年の「浄瑠璃坂の仇討ち」は宇都宮藩・奥平家が舞台で関係者に一族が登場しません。
①は全てに一族が絡んでいます。「伊賀上野の仇討ち」に登場する人物は、池田藩主、渡辺数馬、荒木又右エ門、河合又五郎。茄子の産地でもあった伊賀は、平清盛以前の国香の昔から平一族と縁のある土地でした。
「一富士二鷹コトヲナス」
「一富士二鷹三茄子」
「うらやまし浮世の北の山桜」・松尾芭蕉/江戸庶民から「北の山」と呼ばれた一族を詠んだ句ですが、実情は「いつも一揆を恐れていた小心者の一族」と聞いています。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?