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品川区・見廻り隊(御殿山)

「品川の君待つらしを花盛向島に行かず御殿山に行く」・正岡子規
 品川宿の南西にあった御殿山は江戸時代、将軍が鷹狩りの折休息した品川御殿あり「御殿山」と呼ばれた。元禄の火事がより御殿は消失したが、その焼け跡に吉野の桜が植えられ「御殿山の千本桜」と評判の名所となった。
 房総の山々も見える佳景の此の地も、幕末になると黒船に備えた品川台場の築造のため桜樹は伐採され土砂とともに取り崩された。その後も鉄道建設のために切り取られ切り崩され築堤などに利用されていった。
 明治5年(1872年)に新橋ー横浜間が開業する。子規さんが詠んだ明治31年の御殿山の桜はどうなっていたのだろうか。

 桜の時期が過ぎて御殿山庭園は新緑に染まっていた。平日は訪れる人も少ない。滝の音に誘われ近くまで下って来た。高低差を活かし樹木の陰影を取り込んだ日本庭園だった。


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