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台東区・見廻り隊3(不受不施派)

 徳川幕府が行う宗派合同供養会が、太閤秀吉の時と同様に宗派対立を作りました。日蓮宗内で、信者以外から施しを受けない法施もしない「不受不施派」と施しは受ける「受不施派」が対立を始めました。
 日源上人が開祖の感応寺は「不受不施派」僧侶は追放され、寺は改宗され天王寺と変りました。宗教の自由は遠のき、叫ばれもせず、この弾圧は明治に入るまで続きました。
 この対立で、妙見信仰から始まる徳川将軍15人のうち6人が増上寺、6人が寛永寺に、2人が日光、谷中霊園に1人が埋葬されました。

 価値感が大きく変わった明治に近づく幕末、「千葉氏一族」を名乗る国学者・平田篤胤、子の鉄胤が登場し「古事記」の解釈から皇国を唱えます。
島崎藤村の小説「夜明け前」の舞台です。
 

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